「…おかしわ」

可愛らしい絵柄を模した壁紙からぬいぐるみやお人形等が無数に置かれ、カラカラと動く猿の姿をしたカラクリ人形がカタコトカタコトと音を鳴らしている部屋で少女は首を傾げました。

「さっきまでは気づかなかったけれど…今ならはっきりと分かる。この子には私たちと同じ感覚がしない」

その言葉に少女に長年仕えてきた人狼の男も頷きました。

「あぁ、確かにこの子供は我々の感覚がしない。体温もあるし、呼吸も脈もある…人狼と屍鬼を掛け合わせたものだから、何かが違うだろうと言う事は承知の上だったけれど、これはどうもおかしい」

その子供は、確かに男の言う通りでした。
小さく胸を上下に動かして呼吸をし、そしてトクントクンと可愛らしい音を一定の音程で響かせる心臓。
今は瞼で隠された愛くるしい瞳も琥珀色のまま、黒い闇で覆われた瞳も、血の様な真っ赤な色が円を描いている事もありませんでした。
普通の赤子よりもとてもとても早く生まれてきたと言うのに、その事を取ってしまえば他の人間の子供と大差変わりない赤子でした。
そう、おかしな事にどう見てもその子供は普通の人間の子供なのです。青年の面影を残し、うっすらと生えている毛の色は少年の髪色に似ていました。

「もしかして…」

少女は恐る恐る子供の腕に添えられた小さく切り取られたガーゼに手を置いてみれば、そこには未だに残った注射の痕が残っていました。

「…やっぱり傷も癒えていない。人狼ならもうすでに癒えているし、屍鬼だとしても遅すぎるわ…」

子供を寝かしつける前に血液を採取した際に出来た傷跡は、今もそのふっくらとした柔らかな腕に小さいながらも赤い血を滲ませながらはっきりと残っています。
寝かしつけて、1,2時間ほどして様子を見に来た時に感じた違和感が少女の心を大きく不安にさせました。
その子供は、脈や高い体温を持ち合わせている代わりに、本来ならばこれ位の傷など瞬く間に治癒してしまう屍鬼の特性を持ち合わせていなかったのです。
静かに眠るその子供の顔を眺めながら少女の表情に少しだけ曇りが見えました。
先ほどまで種の繁栄と架け橋となるであろう子供の誕生で浮き足を立たせていたからでしょうか。少しばかり頭を冷静にさせてもう一度よくその子供を見てみれば、他にも違和感を感じ始めたのでした。「それ所か…あの人の…結城夏野君の血を引いてもいないみたい」

血を引いていない、その言葉に人狼の男は自身の耳の様な形を模した髪型を揺らしました。
少女の言葉に男も心当たりがあったのです。

「あぁ…はっきりとした確証がなかったから沙子には黙っていたが、今なら分かる。この子供は人狼の血を引いていない。僕と同じ同族である人狼の気配が感じられないからね。むしろあの少年の感覚も面影も血の匂いも何も感じられない」

「…どう言う事?」

「武藤徹に近い感覚があるのは確かだから、彼の子供なのは分かる。むしろ、この子供には彼の感覚しか感じられない…」

何十人に一人の確率で生まれる屍鬼の亜種である人狼は、人間よりも体力面から体の組織機能などにも優れ、何より人狼と言うだけあって聴覚、嗅覚と言った五感も人よりも数倍以上の機能を保持していました。
その人狼の男が言うのです。その言葉は重みのあるずっしりとした確かなものでした。

「…そう」

男が言った言葉を聞いても少女は驚きはしませんでした。
むしろその言葉によって少女の中にあった一つの疑惑が確信に近いものへと変わりつつありました。
実は、その人狼の男が言う前から、少女はその子供に何らかしかの違和感を感じていたからでした。

それは長年、屍鬼として時を歩んできた少女だからこその直感でした。
多くの屍鬼達をこの目で見てきた屍鬼の女王たる少女だからこその。

その子供は確かに青年の面影は残っていたので、彼の血を引いているのは確かでした。
微かに生えた子供の髪の毛は青年の茶色の髪とはまったく違い、少年同様の髪色をしていましたが、それは少年の髪の毛の色と言うよりも…、

「……ねぇ、あそこの家族は黒い髪を持った人もいたかしら?」

少女が指した家族と言うのは屍鬼である青年の家族の事でした。

「あぁ、彼の母親が黒髪だからね。妹だけがその色を受け継いでいるよ」

人狼の男はすぐ様そう答えました。
何故ならば青年が逆らったらすぐに家族を襲える様にと、すでに青年の家族構成は把握済みだった為、少女の質問にすぐ様答えることが出来たのです。
男の調べによると青年の家族は父親と母親、そして妹と弟の5人家族でした。
二人の息子は父親に似て髪の色素は薄かったのですが、娘側は母親に似て黒い髪を持っていました。少年の髪色に近い色を。

「そう…もしかして、彼の母親の方の遺伝子…隔世遺伝でもしたのかしら?…人狼の血が入っていないのはおかしいし、これじゃあまるで子供を生んだと言うよりも造ったみたいだわ…」

少女は呟く様にぽつりと自分の中に生じた疑惑を口に出しました。

「造ったとは?」

「彼の体液に組み込まれていた様々な遺伝子情報を元にして…造った子供。だから、人狼の血が含まれていない…そんな気がするわ」

少女は、どことなくそう思いました。
確信はありませんでしたが、二人の子供と言うよりも何故かそちらの方が納得が出来たのです。
少女の言葉に、人狼の男も頷きます。

「…そうだね、僕もそちらの可能性が高いと思う。この子供には彼の…彼の家族に似た感覚しかなくてずっと不思議に思っていたんだ。どちらかと言うと武藤徹と言う男のクローンを作ったみたいに思える」

「クローン…そうね。子供の性別が違うけれどその言葉がぴったりだわ…まだきちんとした確証は無いから断言までには至らないけれど」

「あぁ、だから結城夏野の遺伝子は含まれていない。そっちの理由の方が確かにこの違和感の原因が何なのかしっくりくる。人狼の血を引いていないのもそれが理由なのかもしれない」

「…体液に含まれていた遺伝子情報を読み取ってこの子供を造っただなんて、まるでおとぎ話に出てくる様なお話ね。私達、屍鬼の事もそうだけど。…そう…確かに彼の子を孕んだのね」

「確証はないから実際はどうなのか分からないが、仮に武藤徹の血を引いているとして屍鬼の血を引いているかどうか…」

「違う方法で確認をとってみましょうか?今から血を…」

医者に扮した初老の男は少女にとある事を持ちかけます。それは血液を与える事、でした。
ミルクを与えても、屍鬼達は液状の物なら摂取する事が出来るため、はっきりとどちら側なのかは分かりません。
ですが、血液を与えて体の変化を見れば自ずとも結果が目に見えるのです。屍鬼も屍鬼の亜種もどちらも血液には目がありません。
大事な食料。命の糧。血液がなければ屍鬼は死んでしまうし、人狼は本来の力が出せなくなる。
何物にも変えがたい大切な種族の繁栄の為に必要不可欠なもの。
その種族の血を少しでも受け継いでいるのであれば、血を与えてすぐに変化の兆しは見える事は明らかでした。

「それは駄目よ」

けれど、少女はそれに対して首を縦に振ることはありませんでした。

「もしこの子が私達側でなかったら大変だもの。少しだけ様子を見ましょう。あせる事は無いわ」

"もし屍鬼の子ならば時期に血を求めるでしょうし"
そう言うと幸せそうに眠る赤ん坊の寝顔を見つめて優しく微笑みながら、少女はその初老の男を窘めました。

「…とりあえず日の出る時刻に眠りに入らないまま泣き声を上げるかどうか様子を見てみよう」

人狼の男は少女にそう持ちかけます。人狼ではない他の屍鬼達は日の出る時刻になると眠気が増し、深い眠りへと入るからでした。
また、太陽光を浴びれば大きな火傷をし、長時間その光に当たれば死に至らしめる事にもなる程、太陽の光と言うのは屍鬼たちにとっては危険な物でした。
人狼の少年の血を一切受け継かず、屍鬼である青年の血を受け継いでいるのであれば、眠ってしまうのは確かでした。

「そうね、色々確かめなきゃいけないわ。人間であった頃の彼と、屍鬼になった彼の二つの特性を受け継いでいるかもしれないし…例え人狼の血は持っていなくても」

「仮に、我ら側ではない…人の子だったとして、もしそうだったらどうするつもりなんだい?沙子」

人狼の男のその問いかけに少女は大きな瞳を瞼で覆い隠しました。

「…どうもしないわ、ただ、この世界が当たり前だという事を刷り込みさせるだけ。まだ私達側にするには若すぎるもの」

刷り込み。つまりは人の血を吸うと言う事は生きるために必要な自然の摂理だと諭すのです。
生まれながらにそれが日常だと植えつけられれば、不思議とは思わないでしょう。――豚は食べる為のもの。そう言って教え込まれた人の子同様に。

「ふふ、この村に来てよかった。本当にそう思うの」

ダイヤの様に黒い瞳を輝かせて少女は身軽にくるくると自身の体を回転させました。
瞳同様に黒く染まった髪と服が宙をひらひらと宙を舞えば、黒揚羽がまるで自身の羽を羽ばたかせている様で、その少女の可憐な姿に男も優しげな表情で見つめます。

「それに血縁関係は屍鬼になりやすいし、この子も将来、私達側へとなってくれる筈だわ」

そう言うと少女は、まるで聖母の様な慈愛に満ちた顔を浮かばせながらその子供を見つめました。

「私、分かるの。例えこの子が人間の子供であっても、彼の遺伝子だけを受け継いだ子供であっても、いつかきっと私たち種族の繁栄の鍵となるわ。それが遅いか早いかの事で…」

少女は何故かそう確信していました。人の子であってもこの子供がいつか種の繁栄の為に必要不可欠である事を。

「この子の為にも、一刻も早くここを私達の場所にしなければいけないわ。ねぇ、室井さん」

人狼の男でもなく、初老の男でもない、衰弱している所為か声を出すこともままならない袈裟を身に纏ったもう一人の男に、少女はそっと言葉を投げかけました。





――そして、日が出る時刻、朝の始まりと共に子供は声を上げました。
多くの屍鬼達が寝静まった場所で一人、ほぎゃあほぎゃあと高らかに。
10.09.02-10.12.23.
弐話

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