眩しい光に思わず瞼を開ければ、開きっぱなしだった障子の向こうで日の光が草木を照らしているのが目に入る。
その日差し具合から6時位だろうかと、体を起こそうとすると何故か足に力が入らなくてそのまま崩れるように床へと手をついた。

「…痛」

足の付け根あたりから膝にかけて小刻みに震えている感覚…それはまるで普段使わない筋肉を無理矢理使ったかの様な、強引に伸ばされたバネが元に戻りきらない感覚。
加えて腰から足の付け根に対して下半身がヤケに重くのしかかり、鈍い痛みが起き上がらせるタイミングを先延ばしにしていた。

…思う様に動けない。これじゃまるで自分の体じゃないみたいだ。

昨日全速力で走ったせいかとまず最初に脳裏に浮かぶが、この感覚はどちらかと言うと足を無理矢理左右に広げた感覚に近い物で、更には今まで感じた事のない疼きに近い物がある所から感じられた。
まだ何か入っている様なそんな感覚。または広がったままでまだ完全に塞ぎ切れてない感覚に近かった。

…何だこれ…昨日何があった…?

予想だにしていなかった自分の体の異変に不思議に思っていれば、昨日着ていた筈の脱ぎ散らされた衣服と何故か自分の下着が近くに転がっているのが視界に入った。

…服?……あ。

"練習台になってくれるか?"

そこでようやく自分が今まで何も着ていなかった事と昨日何があったのか思い出した。

…徹ちゃんがこの部屋に来たのか…。

それと同時に、達した後も未だに誇張する徹ちゃんの物に自分の体は当に限界に来ているのを知りながら、今度は背後からの練習でもするか?…と、自ら体勢を変えて誘った自分の姿を思い出した。

……何て事をしてんだ…俺。

本来ならばありえない痴態を徹ちゃんの前で繰り広げた事を恥じながらも、それでもそんな俺に徹ちゃんが何度も応えてくれた事を思い出し、胸や体が熱くなり始める。
あの茹だる様な暑さがすでに遠のいた今の気温では肌寒い筈なのに、それとは裏腹に体の奥底から込み上げてくる熱に思わず身震いし、自分の意志とは無関係に右手がぴくりと動いた気がした。

徐々にその熱をどうにかしたい衝動に駆られ始め、思わず宙を舞ったままの指先がその熱が集中する所へと行きそうになる。

……いや、我慢しなければ…。ここで本能のまま手を動かしたとしても虚しさが残るだけだ…。

何とかそう自分に言い聞かせて、行き場の無くなったその指先を一つに纏め、散らばったままの服を掻き集める方にその手を向けた。

「…っ」

ヒンヤリと冷え切ったその服に袖を通せば思わず鳥肌が立つ。
そのおかげか少しばかり頭が冷え、体も熱が引いた気がすれば、今のうちにと再び自分の体が熱に浮かされる前に衣服を整え、未だに勝手が利かない体に鞭を打ちつつ部屋を出る事にした。

キィ…。

…静かな廊下。夜とは違う、朝特有の雰囲気を立ち上らせながら窓から差し込まれた朝の光に視界が少しだけ濁った。

……まるで夢の中にいるみたいだ。

歩く度に疼く痛みからこれは夢ではない事を何度も知らしめられるが、それでも変な気分だった。
足下が昨日とはまた違った意味で覚束無い。
昨日起きた事が何度も何度も繰り返し浮かんでは消えていく。
その映像はどれもが夢だと思ってもおかしくない程、それはあまりに非現実味を帯びていた。






シャー……

冷え切った水が鋭利な痛みとなって頭から背中、水の当たる全ての部分に突き刺さる。

やがてその痛みから慣れ始めた頃、ゆっくりと目の前に白い湯気が立ち上り始め、少しずつ曇り始める鏡を見つめて見れば、そこに映るのは見栄えの無い貧相な見慣れた自分の体があった。
ただ一つ違っていたのは、赤い点があちらこちに付いていると言う事…だった。

胸元、腹部。そして…濡れそぼった髪を少し掻き分けてみれば、どの部分よりも色濃く付けられた赤い痕が首筋から見えた。

それはまるで噛み付かれたかの様な大きな痣とも言える痕。

その形から蚊にさされた物ではないのを物語っており、あの日の夜、徹ちゃんに付けられた痕は確かに夢では無いと言う事を知らせてくれている様で、さらに俺の心を震え上がらせる。

どんな理由にせよ、徹ちゃんに抱かれた証拠。
鏡に映る自分の姿に、何ともいえない満たされた感覚が押し寄せてくる。優越感にも近い物だった。
まるで、自分が徹ちゃんの所有物である様な感覚。

……ずっと残っていればいいのに。

そう思っていても日が経つにつれ、赤、黄緑、そして肌の色へと戻っていくのだろう。
人の体と言うのはよく出来ている。大きな痣を作ったとしても勝手に体が治療を施しこれ位の物ならすぐに治してしまう。それが今は憎く思えた。
この痕さえ消えてしまったら、俺と徹ちゃんのあの日の事を証明する物がなくなってしまう。
あの日を証明する物なんてこれ以外何も残っていない。後は、俺の記憶に残っている物だけだと言うのに。
そう思ったら、さっきまで満たされていた感情がまたぽっかりと空洞を開けた気がした。

……いっその事、この痕が消えてなくなる前に、あの人にこの体を見せつけようか。

徹ちゃんとした行為全てを口に出す事が出来たらどんなにいいか。

……いや、分かってるつもりだ。もう俺の願いは全て聞き届けられた。
これ以上はもう求めないと、あの人との幸せを願うと、あの時、徹ちゃんに抱かれながら誓った筈だ…。
俺が徹ちゃんの幸せをブチ壊していいわけが無い。いいわけがないんだ…。

だからせめて、徹ちゃんがいたそのベッドに顔を埋めて再び目をつぶる。
……微かに残る、徹ちゃんの匂い。懐かしい。愛しい匂い。

その匂いに包まれながら、今まで不足していた睡眠時間を貪るかの如く残された時間を睡眠に費やしたのだった。










そして、徹ちゃんに付けられた痕が、跡形も無く消えたある日の事。



「また…がでるなんて…若いのに」

「…最近多くないか?どうなっているんだ…」

「流行り病にしては、少し異常じゃないかね…こんな短期間で…これで何人目だよ」

……徹ちゃんは死んだ。原因は最近この村に流行っていた疫病と言う見解だった。
咽び泣く小母さんの声だけが、俺の耳の中に響く。そして、俺の目の前には、棺に入れられた徹ちゃんの姿。

…何が、どうしてこうなったんだ…?

徹ちゃんとはあの日の夜から、会っていなかった。さすがに、事をしてしまった後じゃよけいに顔が合わせづらかった。
俺が眼を覚ました時には徹ちゃんの姿はなかったし、学校でもバス停でも会う事はなかった。

それでも、たった1週間の間だった。その間に、徹ちゃんは死んでしまった。…眠る様に、静かに。

…何で、こうなったんだ…?

俺が、徹ちゃんに嘘をついて体の関係を迫ったから、バチが当たったのか?
そうだとしても、罰を食らうなら、普通は俺の方じゃないか…?

…何で徹ちゃんなんだ?
けれど、徹ちゃんがあの人とする前…でよかった…。

…そう思った自分がいたのも事実だった。

あの日以降、徹ちゃんがあの人と会う事がなかったと人づてから聞いた時、俺は何とも言えない感情が芽生えた。

俺だけが知る、熱に浮かされた状態の徹ちゃんの顔。体。俺の名を呼ぶ声。

もう、二度とその顔を見ることが出来ないけれど、その声を聞くことが出来ないけれど、その体に触れることが出来ないけれど…、

――――これで、永遠に、徹ちゃんはあの人の物でも、…誰の物でもない。



……最悪だ、俺。





「…夏野君…」

「!」

馬鹿な考えを払拭すべく、人気の無い場所で一人頭を冷やしていれば、背後から声を掛けられた。
静まりかえった場所にその声だけが響く。
声の主が誰なのかあえて振り向かなくともすぐに分かった。
徹ちゃんの葬式だ。来ないわけが無い。
だが…なるべくなら今日と言う日位、この人にだけは会いたくはなかったのが本音だった。
狭い村だ。それにあの人は看護婦。たとえ避けていたとしてもいつかは会う事は覚悟の上だったが、この日だけは…。

「…」

俺が身動き一つもせずに何も言い出さないでいれば、背後から申し訳なさそうな声音で少し躊躇する余韻をみせながら俺に話を切り出してきた。

「あの…」

この人と最後にあったのは徹ちゃんと一緒にいたあの夜だ。

俺が、徹ちゃんと…した日。
つまりは、あの嫉妬に駆られた醜い俺の顔をこの人に見られて以降、会う事はなかったと言う事なわけで。
あの顔を見た後のこの人が口に出す言葉はきっと今の俺にとってきつい物に違いは無い。

……聞きたく無い。

「今回の事は…とても、残念で…、今、こんな事を言うべきじゃないのは分かってはいるんだけど……」

…やめろ。言わないでくれ。ほっといてくれ。そもそも、徹ちゃんが死んだ今、何を言うつもりなんだ。
俺に追い討ちをかけるつもりか?

…いや、そんな人じゃないのは少なからず知っている。
何より徹ちゃんが好きになった人だ。そんな人じゃないのは俺も重々に分かっているつもりだ…。

…なら、謝られるのか?徹ちゃんと付き合った事を謝罪されるのか?

俺の気持ちに気づいているのなら、その話を持ち出されるのが一番確立が高いだろう。
この人は勘が働くタイプだ。
徹ちゃんへの俺の気持ちに気づいていてもおかしくはない。

「でも、やっぱり夏野君には聞いてもらっておいた方がいいと思って…」

……やめてくれ。

謝罪なんか聞きたくない。俺がみじめなだけじゃないか。……それに、

「とお…」

「すみません、看護婦さん。…その話は今度にしてくれますか?」

何より、今はこの人の口から、徹ちゃんの名前を聞きたくはなかった。







……それからの事は本当にあっと言う間だった。
徹ちゃんの葬式から少し経ったある夜の事、俺の目の前に死んだはずの徹ちゃんが現れて、俺の血を啜った。

無抵抗のまま血を吸われながらも、それが徹ちゃんの顔をした得体の知れない何かなのは気づいていた。

この村で流行っている疫病と未だに感じる視線。死んだはずの人間が夜徘徊していると言う事。
次々とおかしな事が起きていて何者かの手が自分自身にも迫ってきている事も気づいているつもりだった。

だが…抗う事は出来なかった。…いや、抗うつもりでいた。…少し前までは。

少しずつ体が重くなっていく感覚を感じながら、死しても尚、徹ちゃんが俺の所に来てくれた事が嬉しくて嬉しくて…俺はそのまま徹ちゃんを受け入れた。

……これが徹ちゃんの優しさに付け込んだ俺への罰なのだろうか。徹ちゃんの事が大事と言いながらも口実を使って自分の欲を満たした俺への…。

けれど、罰を下す人物が徹ちゃんの顔をしている以上、俺にとってこれは罰にはならなかった。
むしろこれでよかったのだと思えた自分がいた。誰かの手によって殺されるくらいならば、徹ちゃんの顔を見て、徹ちゃんの肌を感じたまま、死ぬ道を躊躇無く選ぶだろう。

徹ちゃんがいなくなってから、俺はもう前の様に勉強することも出来ずにいた。
徹ちゃんが死んだことによってあの人と幸せになる場面をこの目で見る事もなくなり、後ろ髪を引かれる思いで都会に行く事もなくなった筈なのに…前よりも無気力と化した今の俺は生きた屍の様なものだった。
都会に行っても、この村に居続けても徹ちゃんはもうどこにもいない。…この世界に徹ちゃんはいない。いなくなってしまった。

なら、俺は…。

「ごめん…夏野…ごめんな…」

「いいんだ…」

あの時と同じ様に謝りながら震えるその体にもう一度触れたかったが、指の先さえ動かすこともままならない。
せめて、冷たい大粒の涙を零し続ける徹ちゃんのその悲しみにくれた顔を見続けていたかったが、それすら叶う事もなく徐々に真っ暗な闇へと誘われていく。

冷たい涙。冷たい手。歯を突きつけられた部分だけが熱を帯びて痛みがじわりじわりと広がり、これは夢でない事を知らしめていた…。

ゴクリ…ゴクリ…と、徹ちゃんの喉の音が聞こえる。俺の血を飲み干していく音。
少しずつ俺の血が徹ちゃんの胃の中へと流し込まれていくのを想像すれば、今まで満たされなかった心が埋まった気がした。

体を繋げてみても満たされなかった心が、少しずつ埋まっては温かく広がり始めている。

…もう、触れ合う事が出来ないけれど、徹ちゃんの一部になれるのならそれでいい。
あんたが俺の血を吸いたいと言うのなら、好きなだけ吸っていい。…それ位しか今の俺には出来ないから…。

徹ちゃんの心が俺の物にならないならば、俺が徹ちゃんの血と肉となり、徹ちゃんに看取られながら死ぬのであれば、むしろ俺にとってはこの上ない幸せな最後に思えた。

……好きだよ、徹ちゃん…。

どこかで聞いた死ぬほど愛していると言う前ならば到底理解しがたかったその言葉が頭の中に浮かんでは消えて。
結局、最後まで自分の本心を徹ちゃんに伝える事が出来ないまま、俺の世界は電源を消したテレビの様にぷっつりと途切れたのだった。

- END -

10.08.30-10.11.21
下された罰と愛惜

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