…心臓が五月蝿い。体が熱い。その熱さに浮かされて意識が朦朧とする。

寝なれた筈のシーツの感触が、普段とは違う事に、変な感じがする。
シーツの感触が直に背中を通して伝わってくる度に、冷たい外気がヒンヤリと体に触れるたび、自分が裸でいる事思い知らされる。
すでに徹ちゃんのは反応を示していて、それだけで俺の心は舞い上がっているのが分かった。
こんな体を見ても、徹ちゃんは欲情してくれている。…あの人とは違って胸なんてない、この貧相とも言える体に対して。

けれど、電気が消えているとはいえ、徹ちゃんの目の前で何も纏っていない自分がいるのが妙に恥ずかしく思えるのも事実で、自分ひとりだけ裸なのも嫌で…徹ちゃんの温もりも直に感じたくて、再び口実を使った。

「徹ちゃん…一人だけ服着ているのは駄目だろ…本番の時もそうするつもりか?」

「あぁ、そう、だな…」

俺に言われて、素直に返事を返せばそのまま徹ちゃんは自分のシャツの裾を掴んで上の服を脱ぎにかかった。
へそのライン、胸元、鎖骨。そして、顔を出せば、そのまま服は音を立てて床へと投げ捨てられ、俺の目の前には上半身裸の徹ちゃんの姿があった。
それは、夢で見た光景だった。…何度も、何度も。

ただ、夢と違っていたのは―…。

「…っ」

…徹ちゃんの高い体温が、俺の冷え切った体温さえも熱くさせた事だった。

「……冷え切っているな、夏野の体」

「徹ちゃんは、熱すぎるだろ…」

「はは、そか。…緊張しているのかもな」

そんな事言わないでくれ。意識して欲しいと思っていたけれど、今はその言葉が俺には辛かった。
切羽詰った様な顔で、見つめてくる徹ちゃんの顔や、俺の体に優しく触れるその指先が、俺をまた期待にさせる。

――もしかして、徹ちゃんも。

キスの練習の時にも思った事が頭に過ぎる。……だが、

"夏野のおかげで律ちゃんとキス出来たー!"

それと同時にあの言葉を思い出して、すぐ様現実に突き落とされる。

キスを何度しても、…今からそれ以上の事をしようとしていても分かっている。……徹ちゃんの好きな人は、俺じゃない。

「…そ、そこは…触るなって…徹ちゃん」

「いや、だって…夏野も…」

「…俺は相手役なんだから、そこは関係ないだろ…俺の事はいいから…早く…」

"徹ちゃんが欲しい"

…そう、口に出して言う事が出来ないのがもどかしい。これは練習なのだから。

「……分かった。」

そして、練習があると言う事は、また本番が来ると言う事に、俺は胸が締め付けられそうになった。
あの時の様に、徹ちゃんの口からその報告を聞かされた時、俺は耐えられるのだろうか。
そう思ったら、胸が痛くて、…押し広げられた部分も痛かった。
前者は、悲しみの痛さ。後者は、喜びの痛さ。同じ痛さなのに、捉え方が全くもって違っていた。

「つらくないか…?夏野…」

「…ん、大、丈夫…」

名前を呼ばないでくれ。キスをしないでくれ。
期待してしまう、思ってしまう、思い上がってしまう。
いっその事、徹ちゃんに好きだと、言ってしまえたらと思ってしまう。
けど、言えない。言えるわけが無い。もう、困らせたくは無い。

こうやって徹ちゃんと出来ただけで、俺にはもう十分過ぎた。

ごめん。練習と偽って誘って。
ごめん。徹ちゃんの事好きになって。
徹ちゃんの事が大切すぎて、でも、好きすぎて。俺は口実を使った。

徹ちゃんの事が大事と言いながら、自分の欲の為に、…嘘をついた。

「夏野…すまない…」

俺の気持ちを代弁するかの様に、謝罪の言葉を口にしながら俺の体を抱きしめている徹ちゃんの体は、夢の中よりもとても熱かった。
耳元で、吐かれる息、…俺の名を囁く声。徹ちゃんの心臓が力強く動いている音が聞こえる。生きている。徹ちゃんが俺の中で確かに存在している。
その事が嬉しくて、俺は夢の様に徹ちゃんの体を強く抱きしめた。

きっとこれが徹ちゃんとの最後の逢瀬だから、ずっと、この温もりを覚えていられる様に。

…例え、悲しい結末が俺を待っていようとも、この温もりを思い出して耐えられる様に…。


――――あの人の物になってしまったけれど、今は、今だけは、俺のー…



"…結城くん…"


…?視線…?…この声は…?

徹ちゃんの体温に抱かれながら、目の前にある障子が開いたままの窓の方から何か強い物を感じた。

…あれ、そう言えば…障子はあのまま開けっぱなしだったか…?

どうやら、倒れた椅子は直したが、障子を閉めるのは忘れていた様だった。ある時から不用意に閉める必要もなくなった所為もあるが、少し不用心だった事を恥じた。
かと言って今更こんな状態でわざわざ閉めに行く訳にも行かず、そのままにしていれば徹ちゃんの肩越しに開いた障子の向こうから強い視線がひしひしと感じられる。

そう、それは少し前までひっきりなしに感じていたとある誰かの視線…。でも、あの日以降ぱったりと止んだ筈だった。
それに、あの視線の持ち主だったあいつはもう死んだ筈だ…。
なのに何だ…?この俺達の行為をまるであいつが窓の外から覗いている様な…。

前とは違うのは、俺たちの今しているこの行為に対して、軽蔑や憎しみと言った感情がその視線に含まれている事だった。

……そんなまさかな…。

あいつがいるわけがないんだ。きっと、徹ちゃんの優しさを利用して、自分の欲を満たした罪悪感から来る物なのかもしれない。
バレない様に悪事を働いたとしても、知らないうちにどこかで誰かがそれを見ていると言う事なんだ…。きっと。
でも、これが最後だ。最後なんだ。

これが終わったらもう欲張らない。絶対に。…少し時間は掛るかもしれないけど…徹ちゃんとあの人の幸せを願うよ…。
徹ちゃんの事がやっぱり好きだから…大切だから…。


だから、せめて。

……今だけは、

「徹…ちゃ…っ」

「夏野…っ、く…っ」

そして、本当にこれが、徹ちゃんが徹ちゃんでいられた時の、たった一回きりの逢瀬となった。





悲しい結末は、違った意味で俺を出迎えたのだった。
10.07.27-10.10.30
触れ合う身体

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