ほぎゃぁ、ほぎゃあ!



響く赤子の産声。そして、少女の歓喜の声。

「生まれた、生まれたわ、私達の希望が」

大きなお屋敷のとある部屋、装飾品や絵画などによって煌びやかに彩られた一室で、屍鬼の希望とも言える子が生まれ落ちました。
それは、思った以上に早く、早産だとしてもあまりにもの早すぎるありえないほどの早さでした。

「彼の体はよほど適応性がよかったと見える。…人間よりも3倍もの身体的能力が秀でているとは言えここでも発揮されるとは」

「赤子サイズなら作るのもお手の物と言う事なのかしら?…でも少し残念。都合が悪い時に生まれてしまったわ」

「……あぁ。人間が我々の存在に気づき始めたからね。この子供が生まれるまでにはこの村をと思っていたが…」

「…あと少しなのに」

あんなにも待ち望んでいたというのに、残念な事にこの時での誕生は少女達にとっては少しばかり都合が悪い日に生まれてしまいました。
何故ならば、狩られる側の人間達の一部が少女達…桐敷の家が越してきてから次々と人が死んでいった事に気づき始め騒ぎ始めていたからでした。
一応は騒ぎ始めた女性の狂言と言う形で沈静化はしたものの…今度は一人の医者の男の動きが怪しくなっており、予断を許さない状況下だったからです。

「千鶴があの医者に言い聞かせをしたみたいだが…まだ油断出来ない」

言い聞かせと言う物を使って命令し、屍鬼に関わる不審な証拠などを無理矢理消去させたとは言え、彼は他にも何かを隠し持っていそうな気もしていました。
あとは完全に血を吸われて自分達側になるかそのまま死ぬかまでになっているとは言え、安心しきれないのはそれ程までにその医者は若いながらも聡明で勘にも優れ、この村の中で1番の脅威…要注意人物だったからでした。

「それでもお祝いをしなくちゃ、新しい命の誕生に…種の繁栄の為に」

「あぁ、そうだね、沙子。…我々の種の繁栄の為に」

二人はそう言うと、赤い液体の入ったグラスを片手にその子供の誕生を祝福しました。
ふわりと宙に浮く漆黒の黒髪を靡かせて少女が微笑めば、同時に耳の様な物を模した髪型をしたとても体格のいい大男が優しげに微笑みます。
その顔はまるで愛しい者を慈しむ様な笑顔で少女にだけ向けられていました。







「うぅ…っううぅ…っ」

その一方、目の前の扉を開くこともその場から去ることも出来ずに赤ん坊の産声が響き渡る部屋の外で、扉の向こうで祝杯を挙げている二人とは対照的に、子供の父親でもある一人の青年は苦しみに苛まれ、大粒の涙を零し続けていました。

自分と愛しい相手との愛の結晶ともいえる我が子の誕生だと言うのに、床に頭を突っ伏し手のひらで顔を覆うその姿は、待合室で誕生を待ちわびている父親の姿とは言いにくいもので、ふわりとした稲穂の様な髪の毛の隙間から見えるその表情は何とも痛々しいほどの悲痛な面持ちに、零れ落ちるその涙の理由が決して愛しい我が子がこの世に生まれた嬉しさから来る涙ではない事が伺えます。

…けれど、それも仕方がない事なのかもしれません。平たく言えば自分の罪が重なりに重なった罪の塊から生れ落ちたとも言え、自分の犯した大罪の象徴とも言えました。更には屍鬼である自分と人狼であった少年の…二人の男から生まれた、本来ならば生まれるはずのない子供がどんな姿をして産声を上げたのかと思うだけでも彼にはとてもとても耐えられないものだったのです。

「…まない…っ、すまな…い…っ…夏…野…ッ!」青年はあまりに無力で臆病で、ひたすら言葉にならない謝罪と涙を零す事しか出来ず、震える背中にはどんな形にせよ親友を手にかけた挙句、自身の醜い欲でその身を穢してしまったと言う、大きな大きな罪が圧し掛かり、足元に小さな水溜りが出来るほど大量の涙を零し続けてもそれでも泣き止むことが出来ませんでした。

「うぅぅ…っ!うぅっうぅぅ…っ」

床へと屈っ伏し、生前の…屍鬼と言う起き上がりになる前の人間だった頃に流した涙の数よりも多く涙を流していれば、やがてギィ…と扉の開く音が廊下に響き渡りました。

「あら…」

予期しなかった音と声に青年は思わずびくりと肩を反応しました。
そして、声のした方へと顔を上げてみれば、そこには、そんな彼を見下ろす少女と男の姿…全ての元凶とも言える二人の姿がありました。

青年は、泣くのを止めてすぐにその二人を睨みつけました。

それは目の前の二人に対する敵意のある目。けれど相手から滲み出る何とも言えない威圧感にたじろぎ、恐れと言う感情が入り混じった目。…でしたが、ふいに目の前の大男の腕に包まれたとある゙もの゙に気がつけば、途端に悲痛な面持ちへと顔を変え、その何かから逃げるかの様に視線を再び下へと向けました。
青年はあえて言われなくとも大男の腕に抱かれている白い布に包まれたものが何なのか気づいてしまったのです。分かってしまったのです。…だからこそ、視線を背けました。

……自分の犯した罪を見ない様にする為に。

そんな青年の様子に、少女はくすりと微笑んで赤く染まった指先を折り曲げながら可愛らしく首を傾げました。

「ずっとそこにいたの?中に入ってくればよかったのに」

「…」

「あら、何も答えてくれないのね、つまらないわ」

少女は、反応が無い事に少しばかりつまらなそうにすれば、自分の従者でもある大男の腕に包まれたものへと顔を近づけ、再び床にひれ伏したままの人物に無邪気に言葉を続けました。

「ふふ、あなたと彼の子供とてもとても可愛い…女の子よ。命の誕生ってなんて素敵なのかしら。ねぇ、そう思わない?」

「…っ!」

その言葉に先ほどとは打って変わって、青年はこれでもかと言う位に眉間に皺を寄せ、苦虫を噛み潰したかの様な顔で拳を強く握り締めれば不快感を露にしました。
その顔は無理やり人を脅してまで子供を作らせた張本人が生命の誕生の神秘を語るなどおこがましいといった軽蔑の意味も含まれていましたが、それよりも"女の子"と言う言葉に対しての方が大きくありました。
一応は自分の子供が生まれたと言う感覚はそれなりにありましたが、それでも自分の犯した罪を拭い去ることも出来るわけが無く…、その子供の顔も性別も何もかも出来ることならば関わりたくはなかったのです。

脅されていたとは言え、大事に思っていた親友の血を…命を奪い、そして同じ側の屍鬼として戻ってきた親友を今度は無理矢理犯してしまった彼にとっては、父親たる資格が無いと言えばいいのでしょうか。汚れ切ったこの手でその子供に触れることも、その子供の事を知ることも赦されないと思っていた節もどこかにありました。

「そうそう、彼に褒美を与えて頂戴。勿論あなたのもあるわ」

そんな青年の気持ちなどお構いなしに、少女はふわりと髪とスカートの裾をゆらし、真っ白い手を宙に舞まわせばその向こうに、赤い液体の入ったワイングラス二つ天蓋付きベッドの近くに置かれていました。

「…ぅぁ…」

グラスに入ったその赤い液体の正体が何なのか青年の頭が瞬時に判断すれば、無意識にごくりと自身の喉が大きく揺れ動き、琥珀色から漆黒に塗れた黒くどよんだ瞳へと変化したと思えば、やがて赤い輪がぽぅ…と浮かび上がりました。揺れ動く赤い瞳。狼狽するその姿。震える指先。

「新しい命に祝杯を。ふふふ…」

その様子に満足したのか、少女は天使の様な声でそっと囁けば、スカートを翻しそのまま大男と共に真っ暗い暗闇へと姿を消しました。

「…く…っはぁ…っ」

一人、廊下に取り残された青年は、ふらりふらりとおぼつかない足取りで、先ほどまで入るのを頑なに拒んでいたその部屋へと足を運ばせました。…その赤い液体に誘われるかの様に。

「はぁ…はぁ…」

やがて青年のすぐ目の前には、普段よりも多く入れられた真っ赤なグラス……に映る、黒い目に覆われた赤い目をギラリと光らせている人ではない、異形とも言える姿が映り込みました。…それはどんなに嘆いていても、どんなに自分の罪を悔いていても、そのグラスに入ったものの前では一人の飢えた猛獣でしかないと言う事を突きつけられている様で、さらに彼の精神を追い詰めます。

そう、どんなに悔やんだとしても、もう、後戻りは出来ないと言う事実。
人間ではない物になってしまった者の末路はただただ生と言う物に醜く縋り付きながら底なし沼の様な真っ黒い暗闇へと堕ちていくだけ…。

結局、青年はどんなに抗おうとしても、自我や理性さえ失わせてしまう程のその甘美過ぎる誘惑には逆らえることが出来ず、その液体の出所は誰の物かさえ考えることも無くなれば、勢いよく渇き切った喉を潤し始めました。

ごきゅ、ごきゅ、ごきゅ、り。

この世の物とは思えないほどの極上の味に酔いしれて、満たされる喉の代わりにさらに飢えていく心。蝕んでいく精神。一生満たされる事のない欲。増えていく自身の咎。

「…ぷはぁっ…」

最後の一滴まで残らず自分の分を飲み終え、もう一つの液体の入ったグラスに手をやれば、何度飲んでも飲み足らないあまりにもの極上な甘美なご馳走に思わずそれすらも口に含んで飲み込んでしまいたい衝動を必死に堪えつつ、そのグラスを片手に天蓋の付いた大きいベッドの方へと歩み寄り、薄い素材で出来たベッドを覆う薄い布を震える指先によって掻き分けました。

「…夏、野」

そうすれば、ひらりと揺れる布の合間から見えるのは、痛々しい鎖によって手首を拘束されてベッドの上で憔悴しきった少年の姿が現れました。

青年にとって唯一無二の親友であり、恋焦がれていた愛しい相手の姿。…そして、最初に青年が手を掛けた相手でもありました。

「…夏、野…」

「…」

青年の手によって死んだはずだった少年は、屍鬼の中でも異種の人狼と言う者へと変貌を遂げ息を吹き返しました。…特殊な機能を自身の身に携えて。

「……はぁ…はぁ…」

汗でしとった髪が細い首筋に張り付き、呼吸がこぼれるその薄紅色の唇に、すでに止まった筈の自身の心臓の音が聞こえた気がしました。

ずっと欲しかった何度抱いても飽き足りない愛しい相手。

今にでもその体とその首筋に本能のままむしゃぶりつきたい衝動を押さえながら、青年は少年の頬に張り付いた髪をそっと優しくどかしました。
そしてそのままうっすらと開かれたその唇に誘われるかの様に、慣れた動作でワイングラスに入った液体を口移しにて流し込み始めました。少しずつ、少しずつ、零れない様に。

「ん…ぅ…」

そうすれば、少年は自身の口の中へと生温い液体が流し込まれる感覚と、冷えききった柔らかな感触に、うっすらと瞼を開け、そこにいるであろう人物の名前を口に出しました。

「と、おる…ちゃ…」

少年は、ぼやけた視界を元に、ジャラリと鎖の音を立てながら何とか体を動かそうと心みますが、どう足掻いてもその鎖を解くことは出来ず、その指先が結局何かを掴む事なく、再びだらりと垂れ下がりました。

本来ならば、こんな鎖さえも解いてしまい程の人狼の持つ類いまれな身体能力を持つ筈だと言うのに、今、青年の目に映るのは人狼になる前の人間だった頃よりも弱り切った少年の姿。

そんな姿を見ていられず、青年は悲愴な面もちで強く瞼を閉じました。

人狼となり、この館に閉じこめられた少年の食事方法は他の屍鬼達とは違うものでした。屍鬼達の様に人を捕獲して血を摂取するのではなく、性行為をする時のみ、青年によって口移しで与えられていました。
一部のとある機能を発達させる為だけに血を与えられ、そしてそのまま抱かれ、それ以外では決して血を与えられる事はありません。

何故ならば、屍鬼とは違い人狼は多くの血液を採ればとるだけ人よりも三倍もの身体能力が上がり、今腕に絡み付いている鎖さえも意図も容易く壊す事が出来てしまうのです。更には夜しか出歩く事が出来ない彼らとは違い、人狼は昼夜問わず動ける。

味方だったらいいのですが、それが屍鬼達を狩る側である人間達側だった場合は、屍鬼にとって脅威そのもの。
だからこそ完全に自分達屍鬼側に下ったかをきちんと見定めないかぎり、下手に食事をさせるわけにはいかなかったのです。

何より、女王とも言える少女がひたすら待ち続けていた生殖機能を持った屍鬼の子を唯一成す事が出来る器を持つ者。男でありながら、男であるが為に想いを告げることが出来ずにいた愛しい相手の事を願い過ぎて人狼となった際に自身の一部の体の機能が変化してしまった少年…。
それは言わずとも彼ら、屍鬼達の道具でした。本人の意思など関係ない、屍鬼と言う種の繁栄の為だけに利用される体。

「とお…るちゃ…」

一層細くなった手首に絡みつく鎖はとても痛々しく、虚ろとなった瞳が目の前にいる人物の姿を映し出そうとしているのを見て、青年は再び涙を零しました。

「夏野…すまない、すまない…っ」

「…い…いんだ……」

少年は深く目を閉じ、枯れ切った声で自分の足元で泣き崩れる愛しい男に安心させる様に優しく優しく言います。

「他の誰かにされるくらいなら……あんたにだったら…俺は平気だから…」

「…っ夏…野…」

「…なぁ…喉が渇いて渇いて苦しいんだ…。もう少しだけくれないか…?」

「あ、あぁ…まってろ、今飲ませてやるから…」

「ん…」

喉よりも胸が苦しくて、少しでも触れたくて、少年は嘘を付きました。
そうする事でしか好きな相手と触れる事が出来なかったのです。
二人は互いを想いあってはいました。恋愛感情を持ち合わせていました。勿論自覚もしていました。
…けれど性別の壁のせいで互いに自分の想いを告げる事が出来ずにいた二人の運命が青年の死により狂い始めてしまったのです。
屍鬼となって起きあがってきた青年によって命を奪われ、人狼となって再び息を吹き返した少年は、今度は屍鬼達の巣である大きな洋館のとある一室に捕らわれ、本来ならば恥辱に塗れた背徳ともいえる行為を繰り返し行われる様になりました。

ベッドの上に鎖で繋がれ、食べ物もきちんと与えられないまま足を開かされて、来る日も来る日も壊れたテープレコーダーの様に繰り返しの連続。
それでも少年は泣き言を言いませんでした。どんな形にせよ、夢にまで見た男との逢瀬なのですから。

自分の体に異変があった事も重々承知していました。ですが、彼が願うならと自ら死を受け入れた少年にとって自身の体の異変は恐れる物ではありませんでした。
むしろもう一度こうやって触れ合うことが出来きたばかりか、体を繋げることさえ出来たのです、もうこれ以上の幸福はないと心では思っていました。

"徹ちゃんが望むなら、俺は何だって…だって、俺は徹ちゃんの事が――…"

…けれども少年は大粒の涙を零しながら謝罪の言葉を言い続ける男の姿に、どうしても自分の本当の気持ちを伝える事が出来ませんでした。
誰かに脅され命令されて、止むおえなく…自分としていた事も分かっていたからです。

…何度も何度も耳元で言われた言葉。

"俺の子を…"

その言葉を言いながら、親友であった自分を犯さなければいけなくなった男の心境を汲めば、自分の気持ちを告げる事が出来るわけが無く、そんな少年が青年に言える限られた言葉は"他の誰かにされるくらいなら…"でした。

「口開けて…」

「ん…ぅ…」

開いた唇の隙間から流し込まれるどろりとした液体。触れ合う唇。ずっと、欲しかったその唇の感触。
ようやく得られた彼との口付けはどれもすべてが鉄くさい味で、思った以上にとても冷え切っていました。……とてもとても悲しいくらいに。
10.09.02-10.10.20.
壱話

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