これは、少しばかり昔の…少年と指して言うにはほんの少し年齢がいっており、青年になりたてのまだまだ大人になりきれていない青ニ才とも言える人物のお話。

約18年程前、とある夫妻の元にある子供が生まれ落ちました。
夫妻にとって待ち望んだ初めての我が子。それが彼でした。
そんな彼も他の子供達同様に、親の愛情を一身に受けて育つ筈でしたが、両親の愛情が彼だけに注がれるた日は1年もありませんでした。
何故ならば、物心がつく前にすぐに妹、弟が生まれ、兄としての自覚を求められたからです。
あっと言う間に自分の居場所は変わり、自分と数ヶ月しか違わない妹弟達に奪われました。…と言っても、両親は彼もその妹、弟も愛情たっぷりに分け隔てなく育ててくれました。

けれど、子供はいつだって親の愛情を独り占めにしたいのが本音でしたが、他の子供たちとは違って彼は泣き言を言いませんでした。
むしろ今の自分が置かれている状況を素直に受け止め、大人たちに言われずとも、自分の妹や弟を大層可愛がりました。それが兄である自分の役目とばかりに。

そして、我侭を言う事も無く、物に執着する事もなく、妹や弟が自分の所有物を欲しがればどんなに大切にしていた物でさえ、素直に明け渡していました。
人が嫌がることさえも笑顔でこなし、頼まれることがあっても、逆に自分からは人に頼むことはそうそうありませんでした。それが、自分の親であっても。友人であっても。誰であっても。

優しい人、いい奴、人柄がいい、彼に会う人は皆口々にそういいます。とにかく笑顔のよく似合う、むしろ笑顔の彼しか浮かばない位だと。
もしかしたら、自分の本心を笑顔で隠す術をその頃から知っていたのかもしれませんが、彼は感情的になることも、涙を流すことも、愚痴を言う事も、親に逆らう事も、誰かと衝突して喧嘩する事なども一切無く…いつも屈託のない笑顔を周りの人々に振りまいていました。


――――そう、生前までは。


「頼みがあるんだ…」

大粒の涙を流しながら震える体、声で、彼は自分の父親と母親にある事を頼みました。

「父さん…母さん…まだ俺を二人の子供だと思ってくれているのなら…」

それは死んでから彼が口にした最後の願い事、最後の我侭。……遺言とも言える物でした。







゙――もし、生まれ変われるとしたら、誰になりたい?゙

その問いかけに少女は答えました。

゙生まれ変わっても、また私に生まれたい゙…と。

例え自分を見捨てた親であってもまたあの人たちの子供として生まれたいと、嘘偽りなく純粋なる天使の様なその笑顔で少女はそう答えました。

"だって、私は他の誰でもない私なの。どんなに月日が経とうとも、あの人たちが亡くなって何十年何百年経とうとも、私はお父様とお母様の子供。もしもその質問に対して誰かを選んでしまえば私を育ててくれたお父様やお母様…そして今の私を否定する事になるわ"

そして、一人の青年も同じく、少女と同じ言葉を呟きました。

「…俺、もし生まれ変わる事が出来るのなら…また父さんや母さんの子供に…息子として生まれたいよ…。保や葵、三人兄弟で、また――…」

今度生まれ変わるなら、もっと綺麗になりたい、格好よくなりたい、もっと裕福になりたいと願う人もいるでしょう。けど、彼はありのままの自分を選びました。
今までのごくありふれた生活でさえ、今の彼にとってはとてもとても幸せな時間だった事を思い知らされたからかもしれません。

幸せな日と言う物は、普段過ごしている分には案外気づかない物。失ってから気づく、自分がどんなに恵まれていたのか。ありふれた日常が、どれほど幸福に満ち溢れていたのか。



ザー…

降りしきる雨の中、止めどもなく大粒の水状の物が、三人の目から零れ落ちていきます。ぽとり、ぽとりと。

彼は、知っていました。もう、彼らの子供ではない事を。人を殺めて生きる人間以下の何者でもない、ただ、ただ、醜くなり果てようとも、それでも生に縋りつく愚かな亡者である事を。

二人は、分かってはいるつもりでした。突然の別れから、起き上がりと化して再び戻ってきた息子。けれど、その村に代々伝わる起き上がりと言われる異形の姿…人ではない者になってしまった我が子。今は、倒すべき存在と化してしまった、人間の敵と言われる側の人種である事を。

それでも愛した自分の子供に違いはありませんでした。……例え、人を殺めて生き延びていたとしても。

"お前がどんな姿になったとしても、それでもお前は私達の息子だ"

どんなに声を振り絞って言おうとも、声に出して言う事が出来ませんでした。
その一言はとても重く感じれて、喉の奥で詰まって、詰まって、どうしても言えなかったのです。

もしかしたら、時期に起き上がりと言う存在が実在した事に気づいてしまった他の村人達の手にかけられる事を知っていたからでしょうか。
息子が襲われる事を知りながら自分たちの手で守ることも出来ず、誰かにやられてしまう位ならばと、この手にかける事すら出来ない無力な彼らには、その一言はとても重くつらい言葉でしかありませんでした。

「徹…っ!徹…っ!!う…っうぅ…っ!!」

「とお…っひっく…徹…っ」

それでも何とか必死に言葉をどうにか紡ごうとします。どうにかして会話を途切れさせてはいけないと、言葉にならない言葉で何度も自分達の息子であった人物に声を掛けます。…二人は分かっていたのです。この日が一生の別れである事を。

だからこそ、言葉をかけてあげる事が出来ないその代わりに、名前を呼びました。必死に考えに考えて生まれる間際までなかなか決まらなかったその名を何度も何度も。

"徹…徹、この子の名前は徹にしよう"

"ふふ、徹、素敵な名前ね"

18年程前に、生まれて間もない我が子を抱えた時の病室での光景が目に浮かべば、涙をこれでもかと言う位に嗚咽と共にむせび泣きました。降りしきる雨の様に、止め処も無く、止め処も無く。

"徹、お前のお父さんとお母さんだぞ"

"徹、生まれてきてくれて有難う。…有難う"


"……お前が生まれてきてくれて、私たちはとても幸せだよ"





―――あなたの幸せはどこにありますか?

少女は、自らの力で誰にも壊されることの無い自分の幸せを着実に着実に確固たる物へと築きあげていこうとしています。…多くの人々を巻き込んで。

青年は、何度も何度も自分の存在意義に問いかければ、響き渡る新しい命の産声に大粒の涙を零しました。自分の犯した大きな過ちから来る贖罪ともいえる涙を。

少女の様に、自らの手で幸せを掴みとることも出来ず、この忌々しい姿になってしまった自分に絶望して命を絶つこと出来ずに、無力な自分に嘆くしかない…、このお話は、そんな悲しい運命に狂わされた男のおはなし、おはなし…。
10.09.02-10.10.10.
零話

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