「やっぱり無理だ…。俺には殺せない…。ごめん…ごめんな……」

青年は涙をこぼしながら赤子の首に当てていた手を離しました。

「せめて、お前と夏野だけでも…」

今までは命を奪うしかなかったその手が、今度は命を生かす為に変わろうとしていました。


"どんな姿になっていたとしても、徹は私達の子供だ…"

"……俺、待ってるから。あの場所で徹ちゃんが来るまで待ってるから……"

その言葉を胸に、青年は赤子を布にくるんで大事そうに抱き抱えました。

「一緒にいこう」

降りしきる雨の中、青年の想いと共に小さな命は確かに彼の腕の中でトクントクンと音を鳴らしていました。
幼いながらも何か分かっていたのでしょうか。
泣き虫だった筈の赤子は一度たりとも泣きわめく事もなく、青年の腕の中でそれはもう静かに静かにしていました。

そうして――…、

"この子は、無関係なんだ…俺たち側じゃない、だから人間として普通の子として…"

その小さな命は彼の家族の手へと預けられたのでした。






――あの時、一緒に死ねばよかったのかもしれない。

少年は一人、誰かの墓らしき物の前でぽつりと気持ちを吐露しました。

――でも、俺が死んだらあんたが救われない気がしたんだ。
だから、俺は待つよ。何年でも何十年でも……ずっと。

――約束、果たしてくれるんだろ?……あんたは約束破った事、無かったもんな。

だから――……。

「なぁ、徹ちゃん……」

小さくも可愛らしい花をそっと供えて。一人の少年は愛しい相手の名をぽつりと呟きました。





*




それから長い月日が経ったある日の事。

今までは一部の人しか持ち合わせていなかった携帯と言う物が多くの人々の手にも流通する様になり、街中を歩けば幼き子供までもが護身用に所持している光景が当たり前になった昨今。
PCと言う物も昔よりも遥かに一般家庭に浸透し、今では外を出歩かずとも自宅で物を気軽に買えるばかりか、わざわざ会いに行かなくとも電脳空間を通じて声所か顔さえも見せる事が出来る便利な伝達ツールへと変化した…と同時に現実世界での人間関係の稀薄さが目立ち、電脳空間を通じての目に見えない人同士のやり取りが多くなってきていると言う、昔ではありえなかった世界が当たり前と化してきているこの時代。
気づけば隣人がどんな人なのかさえ分からないと言う現実と、近所同士での助け合いも少しずつ薄れてきてしまったこの少し寂しい世界に一人の青年が生まれ落ちました。

彼がまだ赤子だった時にすでに両親は他界と言った境遇を持っていましたが、そんな生い立ちでも彼の家族が親代わりとなって大切に大切に育てられたお陰か、道を踏み外すこと無く、幼き頃と変わらない笑顔の絶えない優しく穏やかな性格のまますくすくと青年と言える年齢へと成長しました。
祖父によく似た顔立ちと人当たりのいい性格は多くの人々が彼を慕い、その元に集まる程。

彼の名前は"武藤徹"

稲穂の様な髪色と両方の親所か家族すら持ち合わせていない、柔らかくふわりとした髪質を持ち、そしてあちらこちらと飛び跳ねる癖っ毛がさらに彼の愛嬌を強調させていました。

彼は今のゲームよりも昔のゲームの方が得意な、はたから見ればいたって極普通の好青年でした。
普通と違っていたのは、少しずつ伸びてきている犬歯。怪我の治りは普通の人よりも少し早く、さらには夜目も若干利く事でした。
逆に太陽光には弱く、長時間当たってると赤い発疹が皮膚に出る太陽光アレルギーと言うのを持っていましたが、防護策としてフードや帽子などでなるべく直射日光を受けない様にしていた為、さほど日常生活に支障をきたしていませんでした。

そんな彼の近年の悩みといえば年を追うごとに貧血になる頻度が高くなっているばかりか、更には赤い血を見ると何とも言えない衝動が強くなってる事でした。

――それと昔、誰かと交わした約束を思い出せないでいる事…でした。
それは確かにとてもとても大事な約束な筈でした。
決して忘れてはいけない。大切な誰かと交わした約束。
それなのにどうしても思い出す事ができず、何度も頭を悩ませました。
夢の中でした約束では無いのは分かっていましたが靄がかかっている状態でのままでした。
次第に大事な約束ならばいつかは思い出すだろうかと悠長に構える事に決めれば、結局この年になっても思い出す事は無く……。

「んーこれはどうすっかなぁ」

そんな彼の今現在の周りには梱包用の道具一式から衣類、本と書かれたダンボールなど雑誌や昔の時代には到底考えつかなかったポケットにすっぽり収まる程に小型化した電気機器達が乱雑に置かれていました。

「これは持って行くとして、こっちは先に送っとくか」

手に持ったのは漫画本と思われる物から何故か30年以上前に流行った旧型のゲーム幾。
それを大事そうに断衝材にくるんでは箱の中へと入れていきます。

青年は丁度今、荷造りをしていました。
それは都会の大学への進学を気に、一人暮らしをする事が決まっていたからでした。

「あとは…」

"――では、今週の特集です"

未だに足元に転がっている物達に手元に残すか、置いておくかを悩んでいた時、つけっぱなしだったテレビから突如赤い字で大きく書かれた"特集!!"…の文字が映し出されました。そこには、"謎の疫病と山火事により滅んだ村。――外場村"

…草木が無造作に生えた廃屋の画像と共に、そう赤い文字で書かれていました。

"先週は前世の記憶を持つ人間はいた!…の特集でしたが、今週は現在は廃村と化した村、旧外場村を特集します!"

スーツを着こなした一人の男性リポーターの威勢のいい声が響けば、軽快な口調でその村の歴史について語り始めました。
人口1200程の樅の木…卒塔婆の元となる木で囲まれた小さな集落。
そこが何十年も前に突如として子供から老人までもが死に至る病に侵され、次々と命を落としていった挙句に山火事にまで見舞われた所為で、今では廃村と化した経緯が簡略的に紹介されていきました。

疫病やら災害に見舞われる前の外場村は、死者をを火葬をするのが一般的となっていた時代にも関わらず、そこでは未だに土葬が行われていた事と、死んだ筈の人間が起き上がってくる"起き上がり"と言う奇妙な伝承まであったとされ、オカルト好きの人々にとってそこは、いわく付きの観光名所として有名になっていました。

"では、早速、その村に行って不思議体験をした人の証言からいってみましょう!"

男性リポーターの張り切った掛け声と共に画面上に映ったのは、首から下だけのアングルで撮られた若そうな男性でした。

テロップには、生霊!?外場村にうろつく人影の正体!!の文字。

前々から旧外場村には何度か人影らしきものを発見したとの証言があがってはいましたが、この男性は人影どころか人を見たとの事でした。

"では、Aさん。そこに至るまでの経緯も含めてその時の状況を詳しく教えて下さい!゛

"いやあ、酒の合間に皆で行って見ようよ!…とかなっちゃって深夜に外場村に行くことにしたんですよ。結構あそこ道が入り組んでて迷いに迷ってようやく目的地に着いたのが朝方だったんですけどね"

"ふんふん"

"んでようやく村についたー!って思った途端、テンションが妙にあがっちゃって!俺一人つっぱした挙げ句、皆とはぐれちゃったんですよね"

"携帯は繋がらなかったんですか?”

"どこ行っても圏外でしたね〜。んで、一人さまよいまくっていたら、人影が見えたんですよ!"

"おお!!ってその村にゆかりのある人だったんじゃないですか?"

"俺も最初はそう思ったんですけど、その場所には不釣り似合いな程綺麗な少年で。年は15〜6位ですかね。あまりに異質に見えたんですよね。何て言えばいいんだろ、何か逆に怖く感じ始めたんですよ、朝方だったのに恐怖であんなに鳥肌が立ったのは初めてですよ!"

テレビの音声とは違う、ブルブル…小さく小刻みに聞こえてきたのは携帯の振動音。

"それはもしや幽霊…だったりして…!…でっ、その少年には声を掛けられたんですか?"

それに気づいた青年は今やっている作業を中断して、赤く点滅している携帯に手を伸ばしました。
メール新着の所には見慣れた名前。どうやら彼のクラスメイトだった友人かららしく、送られてきたメールの内容にプッと笑うと、慣れた手つきで返信のメールを打ち始めました。

"声を掛けようと思ったんですが…先に俺の気配に気づいた少年が俺の方を降り向いた途端、一瞬にして消えちゃったんですよ!風がざっとなって俺が目を一瞬だけ閉じた瞬間に!!"

"なんとぉ!もしかしたらその村の災害などに巻き込まれてしまった人物の…かもしれないですね!"

"確か、その日は去年の9月の〜…あぁ、あの日は17日だった気がします。久々に皆で飲も〜って話になった日でしたから。まだ暑さも残ってた頃ですし。あ、でも運転は酒飲んでないやつですから!飲酒運転してませんよ!"

「あとは、これで…」

テレビから流れてくる言葉をBGMとばかりに聞き流しながら、最後の作業を終えた彼はニッと満足さた表情を浮かべました。

「よし、出来たっと!明日はこれを宅配便で持っていってもらう様にしないとな」

"知り合いのお墓だったんでしょうかね?その墓と思わしき所を見ると幾つか花が添えられてました。まだ枯れてはいなかったんで、その少年が供えた物かと"

"ほほぉ、それはどんな花でしたか?"

"紫色の小さな花でした。雑草ですかね?あまり見ない花でした。でも綺麗でしたよ。朝露に濡れてキラキラ光ってました"

"おぉぉぉ!もしかしたら恋人の墓だったりしたらロマンティックですねぇぇぇ!!"


――――廃村と化した村に彷徨う一人の少年の姿。
結局その真相は謎のまま、証言をした男性は当時泥酔状態だった事と、急な温度差による霧状な物が外場村付近の地域で発生していたのが確認され、それは男が見た幻だろうと言う事で片付けられました。
ですが、代わりにその番組によって青年の長らく突っかかっていた胸のわだかまりがふっと音を立てて消えたのでした。

大きく開かれた琥珀色の瞳に映るのは、錆ついて古びた鉄塔と――…

「…外場村……」

……の文字。

そして青年と少年が再び巡り会うのはもう少し先のお話。



*




徹、徹。あなたの名前は徹よ。泣き虫だったあの人の事を忘れない様に…。
一人の少女は赤子を抱きしめて涙を零しました。
ねぇ、いつかあの人は笑ってくれるかな。あの人の罪が許される日は来るのかな。
私を助ける為に雨の中、私を抱えて走ってくれた日の事がつい昨日の様にも思えるの。

出来る事なら私、あの人の笑顔……見たかったな。
泣いている顔よりも、笑っている顔の方がきっと似合うと思ったんだもの。



――だから、願うわ。
彼が今度生まれ変わる時は……笑顔の絶えない日になる事を。


ねぇ、だから笑って。


- END -
10.09.02-11.11.19.
種の繁栄を completion.
終話

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