最近、都会から引っ越してきた結城夏野君と言う子が我が家に訪れる様になった。
徹や葵達とはまた正反対な感じの物静かな子だけれど礼儀正しいし、何よりとてもいい子だ。
他の村の住人とはあまり接触を取りたがらないとは聞いていたが、徹にだけは懐いているのを見ると微笑ましかった。徹も友達を何度も家に連れてくるのは珍しい。

まぁここじゃ、高校の友達を家に連れてくるにしても何時間も掛かってしまうからかもしれないが、それにしても自分の弟達よりも年下の夏野君の事をえらく気に入っているのが私の目からも見て取れた。

…それに、徹があそこまで誰かを気に入っているのを見るのは初めてみる。

すぐ下に葵と保がいたせいか、兄としての自覚が強すぎて、あまり物や人に執着しない子だったが…うんうん、仲がいいのはいい事だ。



―――そう、尾崎医院の事務局長でもあり、徹、葵、保の三人の兄弟の父親でもある物腰の柔らかい落ち着きのある中年の男は、何十年ぶりの可愛らしい来客に喜びを示していた。

「ただいまー、…お!今日も夏野君が来ているのか?」

見覚えのない靴が隅にきちんと添えられているのに気づけば、男は自分を出迎えた妻に問いかけた。

「おかえりなさい。ええ、そうよ。二人でまた徹の部屋にいるわ」

「そうか」

妻に鞄を渡し、靴を脱ぐ動作をしながら、柔らかい笑顔を顔に浮かばせて、男は、自分の息子がもう一人出来た様な感覚に、嬉しさを感じていた。

…やはり、子供は何人いてもいいものだ。

普段、院内での事務局長としての顔をしているが、家へと帰れば途端に三人の父親の顔となる。
男は野球チームが出来るくらい子供が欲しかった時期もあった位、子煩悩で、子供に対しての愛情はそれは深く、深く、そして誰もが羨む、よき父親であった。

徹が5歳の時にこの場所へと引っ越してきたのも子供達の行く末を案じての事で、この大自然の中で健やかに育って欲しいと言う願いから不自由の無い…むしろ優遇されていたとも言える職場を退職してまで、この場所に家を構えることに決めた経歴の持ち主で。自分の子供から他の子供にまで愛情に差をつける事なく、平等に、万遍に、自分の子供の様に可愛がる程、その男の子供に対する愛情はとても深いものだと言えた。

――――現に、徹を始め、保、葵と、思春期の真っ盛りにも関わらず、素直で活発ないい子に育っているのがいい例だ。

「ほんと、徹のお嫁さんになってくれればいいのにねぇ」

妻の静子は、頬に手を添え、しみじみとその言葉を呟けば、そんな妻の予想外な言葉に、服を着替える為に寝室へと向けていた足を止め、男は少しばかり呆けた顔を向けた。
その顔は実際の年齢よりもに若く見え、長男、徹の顔に瓜二つに見える。

「…?何を言っているんだ?夏野君に失礼だろ」

…そもそも夏野君は、男の子じゃないか。と思いながらも、男はあえて口に出さずに妻を窘めた。

「あら、そうね、ふふふふ」

男が妻の言葉に疑問を持ちながらも、背広を脱ぎシャツのボタンを外していれば、含みを持った笑みで微笑みつつ、妻は慣れた動作で自分の旦那のカバンと背広を片手に、衣服の着脱を手伝うのであった。





そして、そんな夫婦間のやり取りがあった数日後の、うだる様な暑さが少しばかり影を潜めた正午。
creoleと書かれたとある店の扉がギィ…と、開く音が聞こえれば、それと同時にそこの店の主である男が、今入ってきた人物に向けて声を掛けた。

「お、いらっしゃい。武藤さん、コーヒーでいいかい?」

「あぁ、どうも、コーヒーでお願いします」

ここはとある喫茶店。尾崎医院の場所からもっとも近いランチを経営している場所で、尾崎医院に勤める看護婦が時折ここで昼時を過ごしている姿が見られ、特に村の男達の憩いの場として知られている場所でもあった。

辺り一体、樅の林で村全体を完全に包囲されてしまっている人口1万3千程しかない村な所為か、娯楽と言う物は極限られた物になってしまっていた。
それ故、村人達の暇の持て余し方は、それぞれがどこか一箇所に集まり、他愛も無い話をする事だった。

老人は、炎天下の元、畑が大きく広がっている場所を目の前に、トタン屋根で日を妨げながら、そこに並列された椅子へと腰掛け、畑仕事の合間に他愛も無い世間話。女達は、国道近くにある"ちぐさ"と言う店で、子供のいない時間の主婦の一時を過ごす。…そうやってそれぞれが、何もないこの村での日々の過ごし方を自分なりに見つけ、この日々を過ごしていた。…勿論、男達もそれ然り。家庭や仕事から少しばかり離れて、暇を見てはこの店に集まって、この店自慢のコーヒー片手に憩いの一時を過ごしていたのだった。

「久しぶりだね、どうだい最近の調子は」

「はは、何とか」

物腰の柔らかさとは対照的に、今来ている服のラインからでも分かる体格のよさと、同じ年代の一般男性の身長よりも幾分かある身長を兼ね揃えた武藤と言う男は、久々にここのコーヒーに舌鼓を打とうと訪れてみれば、すでに先客がいた事に気づいた。

…おや、この人は。

うねる様な癖毛を横に垂らし、少しばかり伸びた髪を後ろで一つにくくりつけている男の姿に思わず視線が行った。

よく見れば、その男は、最近この村に引っ越してきた人物だった。
その男も店へと入ってきた見覚えのある男に、コーヒー片手に視線が合えば、笑みを浮かべ、軽く会釈した。

「あぁ、武藤さん。夏野がよくお世話になっています」

「結城さんでしたか、いえ、こちらこそ」

それに釣られて、男も笑顔で返せば、横へどうぞと促されるままカウンター席へと腰掛けた。

武藤と言う男よりも華奢な印象を与える無造作に髪を一つに束ねた男は、結城夏野の父親で、工房を開いている職人だ。
彼自身も村に越してきてすぐに、何も無い村での唯一の憩いの場でもあるこの喫茶店の常連となり、少しばかりの一時を過ごしていた様だった。

そして、自分達の子供が仲がいいのもあってか、他の住民達に比べて幾らか交流があった。

「珍しいですね、この時間帯に会うのは」

「そうですね、最近ここのコーヒーを飲んでいないことに気がつきまして、そうしたらいても立ってもいられなく…」

「お、嬉しいことを言ってくれるね、武藤さん。ほらよ、コーヒー」

「あぁ、どうも」

コーヒー特有の香ばしい匂いを鼻先で嗅ぎながら、久々に味わうその喫茶店名物のコーヒーの味を堪能しようと一口、口の中へと含めば、舌の上でコーヒー特有の苦味と旨みが押し寄せ、至福な一時を味わう。

その様子を伺いながら、うねった髪を横にたらした男は、少しばかり申し訳なさそうな声で話を切り出した。

「…そう言えば、昨日も夏野がそちらに伺ったみたいで、申し訳ない。近々そちらにご挨拶に伺おうと思っていたのですが…」

「いえいえ、あまりお気になさらずに。こっちはいつ来てくださっても構いませんよ。むしろ、もう一人自分の子供が出来たみたいだと家内と喜んでいた所で」

目尻の皺を寄せて、武藤と言う男は本当に嬉しそうに言葉を返した。その優しい声音、作り笑顔では無い、自然な笑みから、お世辞で言っているのではない事が分かれば、もう一人の男はホッと胸を撫で下ろした。

「そう言って頂けれると助かります。昔からあまり友達を作りたがらない子なんで…」

「はは、徹自身、自分の遊び相手が出来て喜んでいますし、何より夏野君の事、大層気に入っているみたいで」

「え…」

男が発したとある一言に一瞬間が空く。さっきまでの穏やかな雰囲気から、一転、その言葉に驚いた表情の男の顔が一つ、あった。

「……え。…と、徹くん?…葵ちゃんではなく?」

「はい…?」

少しばかり、言葉の最後が上に上がる。
何故か、自身の長男である徹の方と仲がいい事に、目の前の男は驚いている様に見え、何か不味い事でも自分は言ったのだろうかと、少しばかり首を傾げた。

「は、はい…、葵と保とも話はしますが、私が見るからに、長男の徹の方と特に仲がいいみたいで、昨日も二人で徹の部屋にいたみたいですが…?」

「…へ、部屋に二人で…!?」

"部屋に二人"

その言葉にさらに食いつかれる。

「は、い…」

眼を真開き、驚いた表情の男に対して、さらに険しい表情でもう一人の男、結城と言う男が体がぐいっと乗り出しながら、その言葉に対して執拗に問いただそうとする。

「あのッ!へ、部屋で二人って、い、一体何を…ッ!?」

その切羽詰った男の様子は、少しばかり異常ともとれるもので、今にでも身を乗り出してきそうなその姿に、店の店主も呆気に取られていた。

「ええと…あの…」

武藤と言う男は、不思議に思った。部屋で二人っきりは何か不味いのだろうか、と。

確かに年頃の男女が部屋で二人っきりになるのは、親としてやはりどうかと考えてしまうものだが、自分の息子は男で、彼の子供も男の子の筈、何故そんなに焦っているのだろう。…と。

それとも、先ほど男が言った様に、昔からあまり友達を作りたがらないとの言葉を拝借すれば、徹と二人っきりで何の遊びをして時間を過ごしているのか親心として気になっているのかもしれないと思ったのだった。

何より、引っ越してきたばかりだ、色々と気にかかる部分は自分では計り知れないものがあるだろう。

実際、十年以上前に自身も引っ越して来た当時は、新参者と言う扱いで色々と気苦労はあった。…だが、子供達の方は、徹の性格からか、新しい家や見慣れぬ風景に不安がる妹と弟とを引っ張ってあちらこちらと村中を連れまわし、親達よりも早く村での生活に馴染んでいった為、そこまで心配する必要はさほどなかった。…かと言って、どの親もそううまく行くわけもなく…。

自分の息子である徹が、他の子供達よりも適応能力が優れていただけで、何より、自然の相手に冒険に勤しむ年齢では無くなったばかりか、来年受験を控えている子供に、大都会から人口1200人の樅の木で密閉されたこの村への引越しと言う急激な環境の変化は、少し酷な物だったに違いない。…きっと結城さんなりに、夏野君の事を心配しているからの態度だろうと、同じく子を持つ親でもある男は、子を案じてこの様な男の心情を察したのだった。

「あ、葵…うちの娘が言うには、徹はゲームで、夏野君は雑誌を見ていると言っていましたが…」

゙ゲームに雑誌゙

その言葉に、ホッと安堵すれば、少しばかり行き過ぎてしまった自分の言動を思い出し、その男は思わず顔を赤らめた。

「そ、そうですか…まぁ、徹君なら大丈夫だと信じてますけど…はは…」

照れ隠しと言わんばかりに、髪をくしゃりと掻きながら、引きつったままの結城夏野の父親の姿に、…何か言ってはいけない事を言ったのだろうか?と、コーヒー片手に再度、首を傾げたのだった。






一方その頃、主のいない武藤家では、行事により、普段よりも早く学校から帰宅してきた子供達が、今まで疑問に思っていたことを当人がいない事をいい事に口に出していた。

「…ってさ、前から不思議に思ってたんだけど、もしかしてまだ、夏野の性別教えてない?未だに"君"付けだし」

武藤家の次男、保は、前々から自分の父親の態度を不思議に思ってはいた。兄の友人である、結城夏野と言う人物に対して未だに"君"付けで呼んでいる事を。

そんな弟の疑問に、双子ではないが、保と同じ学年である武藤家の長女、葵は言葉を少し濁した。

「うん、お母さんに黙っててって言われているから黙ってはいるんだけど…。それにしては、よくお母さんは気づいたよね」

葵が視線を向ければ、二人の母親であり、武藤と言う男の妻でもある静子は、帰ってきた我が子の為に冷たく冷やされた麦茶を二つちゃぶ台の上にコトンと置きながら、少女の様な笑みを浮かべた。

「あら、あんな可愛い子を見ても勘違いしていたあなた達の方がおかしいわよ、徹だって気づいていたじゃない」

「お兄ちゃんは、普段ぼへーっとしているから抜けている様に見えるけど、案外洞察力あるから…」

そう言いながら葵は、カラカラカラとなる扇風機の前の前に陣取り、汗で若干しとった自身の髪を風に靡かせた。

「んぐぐぐ…」

次男の保の方は、自分も暑い思いをして帰ってきながらも、同い年ながら誕生日は自分よりも早い姉の場所を奪う事なく、団扇らしきものを片手に扇いで体の中に溜まった熱を逃していた。代わりに差し出された麦茶は当に飲み干し、二杯目となる麦茶を口の中へと流し込んでいる。

「…ぷっはぁ、俺も夏野の事、男だと思ってた分、制服姿の夏野見た時はびっくりしたよなぁ…。兄貴なんか、"あれ?気づいてなかったのか?"…だし」

「私も保に言われて気づいた口だけど、お父さんも誰かにはっきりと言われない限り、気づかないんじゃない?私も最初は保の冗談だと思ってたし」

「ふふ」

楽しそうに笑いながら、再び空となったコップに三杯目となる麦茶を注いでいる自分の母親に、少しため息をつけば、娘である葵は、父親の事を案じたのだった。

「お母さん、そろそろお父さんに、夏っちゃんの性別教えてあげたら?うちの家族の中で一人だけだよ?未だに夏っちゃんの事、…"男の子"だと思っているの」

仕事のせいで、家にあまりいないせいか、未だに結城夏野の性別に気づいていない父親に、さすがに娘も本当の事を言ってはどうかと打診する。

何より、徹も夏野自身も、"夏野君"と言う敬称で呼ばれる事に対して何も言わないのも、気づいていない原因の一つだった。そして、当人が女扱いされるのを嫌っていたのもあった。

「お父さんの反応みてたら楽しくて。それにあの人少し固い所があるから」

静子はそう言うと、ニコリと微笑み、先程取り込んできたばかりの家族の洗濯物を膝の上で折り畳み始めたのだった。




そして、そんな家族の会話など知る良しがない先程の葵と保の父親であり、静子の夫でもある武藤と言う男は、何故か結城夏野の父親に深々と頭を下げられていた。

「ゆ、結城さん…!?」

いきなりの事に、それには喫茶店のマスターも驚き、二人の様子を少し遠く離れた場所から伺っている。

「色々と不器用な子で、ご迷惑をお掛けするかと思いますが…」

言葉一言一言が、重く、とても言いづらそうにしているの見れば、複雑な気持ちも相まっていたのだろう、いつまでも子供だと思っていたら、気づけば一人の男の部屋に居座るまでになってしまったのだから。

そして、その家に泊まってきた事が、男の知る限りで数回ほどあった。その家のどこで寝ていたのかが気になったが、あえてそれは聞くことを止めた。
今までならば、大問題だろう。…だが、ここは田舎。しかも生い茂る木々によって密閉されてしまった一つの村。集落。村の子供達全員とまでは行かないが、近所の子供等は、ほぼ皆兄弟同然で育っている為、同じ部屋での寝泊りはさほどおかしい事ではなかった。

けれど、やはり親としては複雑な気持ちでしかなかった。かと言って、目の前の男の息子である武藤徹と言う人物は、父親によく似て人当たりもよく、人懐っこい柔らかな笑顔を常に持ち、一言で言えば好青年と言え、男自身も武藤徹と言う人物に対して良い印象を持ってはいた。

何より、今まであまり人を寄せ付け様としなかった夏野が、その人物と一緒にいる事を選んだのだ。そう考えると、親の目からでも、その青年に我が子が少なくとも信頼を寄せているのは見てとれた。…だからだろうか、部屋に二人っきりでいるのを聞いて、最初は驚きはしたものの、心のどこかで妙に納得をしてしまったのも確かだった。

――――彼、…徹君になら、自分の宝物でもある夏野を任せられる。…と。

……だが、そうは言っても蝶よ花よと手塩にかけて大事に育ててきた我が子が、他の男の元へと行くのを想像するだけで、親としては胸が締め付けられるのが現状で…、それを踏まえた上で、男は頭を深々と下げた状態のまま、色んな感情が入り交わりながら、悲愴感漂う面持ちで言葉を口に出したのだった。

…当人である二人の気持ちを確認せずに一人、暴走したまま。

「…うちの夏野を、…娘を、今後ともよろしくお願いします」

「え、あ…っ」

あまりに深々と、心からお願いされてしまえば、少しばかり照れた様子で自身の頭の毛をくしゃりと手で掻きながら、武藤徹の父親でもある男は慌てて結城夏野の父親同様、否、それ以上深く頭を下げれば、子を案じる二人の父親の光景に、思わず店の店主も微笑んだ。

「は、はい。こちらこそよろ…」

頭を深々と下げる中、男はふと、これではまるで、夏野君を徹の元に嫁がせるかの様な言い様だなと思えば、先日に妻に言われた言葉が男の脳裏に過ぎった。

"徹の、お嫁さんになってくれればいいのにね"

…おや…?

男はふと、数日前の自分の妻との会話といい、目の前の男と言い、何だか話が噛み合っている様で噛みあっていない感が先ほどからチラチラと感じてはいたが、男が深々と頭を下げた時に発した言葉の中に答えは隠れ潜んでいた事に気がついた。

"うちの…を…"

長女の葵よりも長男である徹と仲がいいのを聞いて驚く男の姿。部屋で二人っきりの時に何をしているのか必死になって聞いてくるその様。

そして、今先程、自分に対して言われた言葉。

"……娘を、今後ともよろしくお願いします"

「…む、むす…っ!?」

全てのパーツが揃えば、男もようやく自分の勘違いに気が付いたのだった。


――――ちなみに、その日の夜、家族会議が開かれたのは言うまでもない。
10.08.05-10.09.19.
ある男の独白

Next back top