静まりかえった部屋に、ゲームの操作音とぺらり、ぺらり、とページがめくられる音だけが聞こえる。

ぺらり、ぺらり。

何ページ捲っても夏野の頭の中には、雑誌の内容が入る隙間など今は無かった。今、夏野の頭の中にあるのは、徹が今日学校でどのようにしてチョコを受け取ったかだった。

…徹ちゃんは優しい。きっと、あのチョコを渡してきた人に笑顔でお礼を言ったのだろう。

゙おー、ありがとなー!゙

自分も渡したら、笑顔でそれを受け取ってくれるのだろうと夏野はふと思った。だが、そんな事を考えてしまった自分に対し、馬鹿らしいとも思え、すぐ様そんな考えを打ち消した。゙何考えている、さっきまで、自分は否定派じゃなかったが…と。

確かに、それを渡す事で自分の気が少しでも晴れるかもしれないが、渡された徹は戸惑うかもしれないと思うと、やはり普通の少女達と同じ事を夏野自身がするわけにはいかなかった。――――告白も、それ然り。むしろ、そんな事をしてどうするのだと夏野は思った。

…実は、この短い期間で徹に対して親友に近い間柄をすでに越え、夏野の中では、すでに恋慕に近い感情を持ち合わせてしまっていたのだった。最初は自分が男に恋心を持つとは思っていなかったのだが、クリスマスの日に、自分の中に溢れ出ていた気持ちの正体が恋だと言う事にピタリと当てはまれば、どこぞかの女に恋して交際するなんて想像できなかった分、自分と同じ同性の男でありながら、武藤徹と言う人物に恋をしてしまった事の方が、自分らしいと思えた。…だが、気づいてしまった自分のこの気持ちを、徹に言うつもりは、毛頭無かった。

…徹ちゃんに告白して、何を望む?徹ちゃんと付き合いたいのか?普通の恋人同士みたいに?互いの部屋にいって一緒の時間を過ごしたり、一緒に出かけたりとか…?…それは、今も対して変わらない。むしろ告白したことによって、この時間も奪われてしまう危険性がある。徹ちゃんは告白した後も、変わらず家に来いよ!と言ってくれるかもしれないが、俺が告白する前の様な変わらない態度で徹ちゃんに接する事が出来るわけがない。…と夏野は思った。

ならば、告白しても無意味。それにもし、運よく天変地異がひっくり返ったとして、徹も自分と同じ思いだったならば、それはそれでどうなる事もない。実は相思相愛だったと分かっただけで、今と対して変わる事はないだろう。徹とキスをして、抱きしめて、それ以上の事…全てが夏野には想像できなかった。

゙自分達は男同士゙

ただでさえ、男と女の間の恋愛自体うまく行く事があまり無いと言うのに、男と男の恋愛何て普通ならばありえない話だ。もし運よく恋愛関係へと発展した事例があったとしても、確立なんてほんのごく僅か、むしろ0に近く。だから、想いが一緒な訳がない。所詮、夢物語だと、夏野の頭の中で警報が鳴り、夢から現実に引き戻されてしまうのだ。

そんな夏野が出来る事はただ一つだった。徹宛に届いたチョコを徹自身の口に入れさせない事だった。嫉妬から来る行為で、人が作った得体の知れない物を口に含む日が来るとは思っていなかった夏野は、自分の思わぬ行動に驚いたが、体の限界が来るまでその手を止める事はなかった。

息苦しく、胸がつっかえる。気分が重く沈み、やるせない気持ちに覆われる。それは、大量のチョコを摂取したせいか、それとも、報われないこの気持ちが行く場所もなくて宙を漂い続けているせいで、胸につっかえを感じているのかは分からなかった。むしろ、両方だったのかもしれないが、結局、どう頑張ってみても最後までそのチョコレートを食べきる事が出来なかった。夏野は雑誌を見ている様に見せかけながら視線をゆっくりと、ゲームに夢中の徹の近くで散らばる未開封のチョコの箱達の方へと動かした。

…食べるのだろうか。

とは言っても、溶かして固めただけの只のチョコレートだ。食べたって何かが変わる事はないのだが、夏野は、それが徹の口に入るのが凄く嫌だった。

「ただいまー!」

ゲームの音しかしなくなった静かな部屋に、下から威勢のいい、元気で大きな声が聞こえてくれば、徹の弟である、保の声が二階まで響いてきた。部活をしているせいか、帰って来るのは大体この時間だ。

その声に反応するかの様に、徹が席を立てば、゙夏野、俺ちょっと下に行ってくるわ゙と夏野に一言残し、片手には夏野が食べきれなかったチョコレートの入った箱達を片手に携えて、下へと降りていった。

…どうするのだろうか。

夏野は、そのチョコの行く末がきになった。

…また俺に食べられない様にチョコを隠しにいったのだろうか。

夏野は閉じられた扉に視線を向けた。けれど、どんなに見続けても一向に徹が階段を上ってくる気配はなかった。

部屋に残されたのは、夏野と、夏野が食べ散らかしたチョコレートの残骸、ビリビリに破けられた包装用紙。…そして、メッセージカード。

そんな状況下に耐え切れなくなり、ベットからそろりと降りてみれば、散らかったままのそれらを一つにまとめ、夏野はゴミ箱へと投げ捨てた。

ガコン。

ゴミ箱へと見事に収容された丸められた状態の包装紙が少しずつ元の形になろうと、自身の体を広げ始めるのを眺めながら、夏野は、一人思った。

…自分の気持ちも投げ捨てなければ、と。

変な嫉妬など抱えていても惨めなだけだ。自分には都会の大学に行かなきゃ行けないと言う目標がある。その決意を揺るがしてどうする。恋なんて、進学の妨げになるだけだと夏野は自分自身に言い何度も聞かせれば、再び立ち上がり、ベッドに置かれた未途中の雑誌に手を掛け様とした。…その時だった。

「なっつのー」

ガラリと扉が開くのと同時に少し間の抜けた声で徹が戻ってきた。普段なら気づくはずの階段を上がってくる足音さえ気づかなかった夏野は、急に徹が現れた事に驚き、思わず声を上げてしまった。

「うわぁ!…って、遅いと思ったらジュース買いに行ってたのか、徹ちゃん…」

徹が戻ってくるのが遅かったのは、両手に持っているジュースの缶を見る限り、どうやら外の自販機まで出かけていたからだったのが見て取れる。

「そ、ほら、これお前の分。あんなに一気にチョコ食って胸やけしただろ、馬鹿食いしてもいいけど自分の体と相談しないと気持ち悪くなるぞー」

「あ、あぁ…ありがと…」

差し出されたそのジュースは夏野がよく飲む物だった。口元をすっきりさせるにはうってつけな飲料水の入った缶。それを受け取ろうと手を差し伸べてみれば、冷え切った缶の冷たい感触が、夏野の手に広がり、指先の一部が徹の指と重なれば、そこだけが熱を帯びた。

「…?」

その熱をどうにかしようと、早く缶を自分の方へと持っていこうとするのだが、夏野は何故か缶をきちんと受け取ることが出来ない。なぜなら、徹がまだ缶を握り締めていたからだった。夏野の顔を真剣な面もちでじっと見つめながら。

「徹ちゃん?」

缶を互いが握り合って見つめたままの状態に、さすがに何事かと声を掛けてみれば、徹の口からその顔に見合わない言葉を言ってきたのだった。

「なぁ、夏野よ。夏野から俺に対してのチョコレートと言う物は無いのか」

「は?…あ、あるわけないだろっ!」

その声と同時に徹の手を振りほどき、缶を自分の方へと寄せれば、振り解かれた事によって宙ぶらりとなったその指は、徹の顎へと持っていかれ、本当に残念なのか分かりにくい普段と変わらずの呑気な声で言葉を口に出した。

「楽しみにしてたんだけどなぁー夏野の手作りチョコ」

思いもしなかったその言葉の内容に一瞬目を開くが、夏野はすぐ様呆れた顔、声で、徹に言葉を返した。

「何で、俺のを期待してんだよ…。てか、残りのチョコはどうしたんだよ、徹ちゃん」

ついでに、あのチョコの行方も聞いてみる。今の流れなら、自然に聞けれると夏野は踏んだのだった。

…そもそも、あんだけ貰っといてまだ言うか。それに俺は男だろうが!

とも、言いたかったが、それは心のうちに留めて置くことにした。出会ってまだ半年足らずながら、武藤徹に一般常識を訴える事が無謀な事だと言うのに気づいてきたからだった。

「あぁ、保にあげてきた。もっと食いたかったかー?」

゙まぁでも、夏野があのままじゃ吐くまでチョコ食い散らかしそうだったから、見せない様に下に持っていったんだけどな。゙と言葉を付け足せば、夏野はチョコあまり好きじゃないのをしっていたし、゙もともと保にあげるつもりだったしな゙…とも、述べた。

「いや、もういい」

むしろチョコの姿さえ見たくないと思っていた分、持って行ってもらって助かったと夏野は思った。缶を開けて、チョコレートの味が今も尚残る自身の口内に注ぎながら、あのチョコ達の行方が、徹の口の中に行く事が無かった事に喜びを感じながら、冷たく冷えた液体と共に、チョコと嫉妬によって絡められた胸のつっかえが流れ落ちた気がしたのだった。

「なはは、そか。そりゃまぁ、あれだけ大量に口に含めばなー」

徹はそんな夏野の気持ちなど一切気づく事もなく、自身もまた一口と、缶の中の液体を飲み込んだ後、まだ液体が入ったままの缶を雑誌が散らばる机の上に置けば、再び自分の定位置とも言えるテレビ画面の前へと腰掛けた。夏野は、その少しばかり猫背気味の自分よりも広い背中に視線をチラリと向けた後、缶を徹と同じ場所に置き、再びベットへと腰掛けたのだった。

再び静まりかえる部屋。ぺらり、ぺらりと、読み途中だった雑誌に目を向けるが、先ほど徹が言った言葉が少しだけ夏野の心に引っかかり、やはり雑誌の内容が頭の中に入らなかった。…だが、今回は先程までの重苦しい負の感情の所為ではない。

"楽しみにしていなんだけどなぁー夏野の手作りチョコ"

例え、今さっき徹が言ったことが冗談だったとしても、その言葉は夏野が欲しかった言葉に近いものがあったからだった。

…もし、俺がチョコを渡したら、徹ちゃんは喜んでくれるのだろうか。

そう思ったら、゙いつも世話になってるから、ほらこれ゙…と、ぶっきらぼうに言って渡したとしても、喜んでくれるであろう徹の姿が容易に浮かぶ。

"おぉー!ありがとなー夏野っ!ホワイトデーは期待しておけよっ!"

満面の笑顔の徹の姿を想像したら、心が暖かくなった気がすれば、それと同時に、今日に限らず過去にも手紙やら、チョコレートの入った箱達をゴミ箱へと捨てていた事に対して罪悪感が少しばかり芽生えた気がしたのだった。

…今までは、こんな事なかったのに。

…徹ちゃんに渡した人は、きっと今日一日いい日だったに違いない。

想いが伝わろうとも伝わらなくとも、受け取ってもらえたのだから、今の自分の様に嫉妬心だけで満たされる事は無かった筈だと夏野は思った。そして、人を好きになると言うのは、こんなにも苦しく、今までどおりの自分でいられなくなっていくとは思っておらず、胸の痛みがぶり返してきた事に気が付いた。こんな事ならば、いっその事、冗談のつもりでも何でもいいから渡してもよかったんじゃないかと思ったが、やはり自分の性格上それは無理だなと夏野は思った。



――――ならば、この日と言う日が今後一生訪れる事がないと分かっていたら、夏野は徹に告白とまではいかなくとも、チョコを渡すことが出来たのだろうか。

いや、きっと夏野の性格の事だから、渡せたかどうかは怪しいが、もう少し世界が変わっていたかもしれない。…だが、残念な事に、自分の未来の行く末を知る事など無理に等しく、夏野のズボンの中にしまわれた小さなチロルチョコは日の目を見る事無く、溶けていった。

END.
10.08.03-10.08.21.
溶けるとける

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