都会に行けば、きっと疎遠となるのが眼にみえていた。
連絡手段は、電話と手紙。のみ。

手紙に書くなどとそんな清水みたいな事を夏野が出来る筈も無く、自分が大学へ行く前に社会人となった徹に、電話を掛けるのも気が引けていたのもあるが、もし例え、徹の家に電話をしたとしても、出るのは保や、葵、徹の母親と、夜遅くまで仕事している徹に繋がる事は無いのが目に見えていた。
徹の家族に伝言を頼む手段もあったが、それも何故か気が引けていた。

会いたい。

けれど、あの村に戻る気はなかった。

それでも、会いたかった。

いつか、この思いをもっと簡単に伝えられる魔法の様な機械が発明されるまで、溜まっていく手紙に視線をやる。
送る事はしないけれど、せめて形にしたくて、 罫線のついた紙に文字を走らせる。

徹ちゃん、元気か?

徹ちゃん、最近また暑くなってきたけど調子はどうだ?

徹ちゃん、仕事の方はうまくいっているか?ゲームのし過ぎで、寝坊していないか?

徹ちゃん。徹ちゃん。徹ちゃん。徹ちゃん…。

"……会いたい。"

送る事はないのが分かっていても、それだけは、書けなかった。

会いたい。けれど、会えない。
伝えたい。けれど、伝えられない。
声が聞きたい。でも、聞けない。

村から出た人間と、村に居続ける事を決めた人間を繋ぐ物は、不便な物でしかなかった。

少し前までは、この同じ空の下で、彼もまた生きている。それだけで、いいと思っていた。大学にいけた後も勉学に勤しみながら、窓の向こうに浮かぶ月に視線を向け、彼もまたこの空を見ているのだろうかと、夏野は想いを奔らせた続けた。

最初はそれでよかった。
けれど、日増しに寂しさが募り、徹への想いがより一層強くなっていった。

…一言でもいいから、徹ちゃんの声が、聞きたい。

けれど、夏野の部屋にある黒い電話はジリリリ…と鳴る事はなく、ポストに広告以外の物が入っている事もなく、夏野は、ただただ、思いを走らせた。
もっと簡単に、この気持ちを伝えられる物があればいいのにと。

…今頃、徹ちゃんは、ゲームでもしているんだろうな。

ふいに、つい最近大型の新作が発売されて徹夜で並ぶ大人や子供たちがニュースで取り上げられていたのを夏野は思い出した。

あの部屋で変わらずに、ゲームをする徹の後姿がもう見れないのは何とも言えない虚無感に覆われ、不安な心が渦を巻いた。この不安定な気持ちを早く拭い去って欲しいと、あんなに嫌がっていた自分の名を呼ぶ徹を求めた。

"なっつのー!"

…会う事は無理だとしても、せめて声だけでも。

家にいる事があまりなくとも、一歩外に出れば、嫌でも公衆電話が目に付いた。暇を見て、徹が家にいるであろう時間帯に公衆電話を使って連絡をとればいいのだが、それでも、電話をする気にはなれなかった。

何故なら、コードを指先で絡めながら、愛の言葉を欲しがる女性。電話越しに、顔を真っ赤にして、怒鳴っている中年の男。耳が遠いらしく、何度も聞き返している初老の男性。世間話に花を咲かせている中年女性。長電話のしすぎで、親から家を追い出され、明日学校で会えるにも関わらず、座り込みながら友達と他愛もない話をし続ける少女。デート先についたのはいいが、一向に相手が現れず、相手の家に電話を掛けている男性。…そんな事情もちの人々が、公衆電話にこぞって昼夜問わず公衆電話に集っていたのだった。

大学構内に配置された公衆電話もそれ然り。
そんな人間の横で徹に電話するのが気が引けたのだった。

夏野は、どうする事も出来なかった。
自分のちっぽけなプライドの所為で、徹の声すら聞くこともままならず、やるせない気持ちをこっちに来てから段々と抱え続けていた。

…と言っても、どう足掻いたとしても、今日一日で何かが変わるわけでもない。

念願の都会の大学に進学できたというのに、満たされない気持ちに、ため息を一つ零せば、寝支度を整え始めた。

…明日もある、今日の勉強はもうこの位にして、もう寝よう。と、夏野は電気を消した。


――――その時だった。


ブー。

自チャイムの音が暗く静まり返った部屋に響いた。
それは、紛れもなく、自分の部屋に訪問者が来た事をしらせる合図に、こんな時間に来る人間に不信感を感じながら、そのまま寝床につくわけにもいかず、こっそりと、扉に備え付けられている訪問客を確かめる為のぞき穴から見てみて見れば、誰の姿も映っていなかった。

気味が悪い。夏野は思った。けれど、次に聞こえてきた声で、夏野は、チェーンを急いではずした。

それは、待ち望んでいた声。言葉。想い過ぎてしまいには幻聴でも聞こえてきたのではないかと一瞬思ったが、確かに、それは扉の向こう側から聞こえてきたのだった。

"…夏野、俺だ"

高鳴る心臓を胸に、扉を開けば、思い描いていた人物が、目の前にいた。

「と、徹ちゃ…」

予想だにしていなかった訪問者に、思わず、声が上擦れば、そのまま腕の中に包まれたのだった。

懐かしい、匂い。
懐かしい、その腕の感触。それは、夢や幻ではなく、確かに自分の一番会いたがっていた人物だと言うのがひしひしと伝わってくる。
徹は、最後にあった時よりも少しばかり痩せこけ、若干、年相応な落ち着いた雰囲気を出していたが、夏野に笑いかける顔は、変わらない優しい優しい笑みのままだった。

「…ようやく、休みらしい休みがもらえたんだ」

「だからっていきなり来るなよ、徹ちゃん…。電話くらいしろって。…俺が寝てたらどうするつもりだったんだよ…」

丁度、今寝ようとしていた分、今まで起きていてよかったと心底夏野は思った。
夏野の事だから、チャイム音が鳴れば、たとえ寝に入っていたとしても起きる事は出来たと思うが、それでも、やはり、1秒でも早く会いたかったのもあった。

「電話したよ。けど、お前との時間が合わなくて、掛けても夏野がでなかった」

「…知らなかった」

「まぁ、大学行ってる時間だろうから、出ないだろうなーって思ってたし」

「…そっか」

徹の休みと夏野の休みは合わなかった。
前からこの時間は大丈夫とか分かっていても、相手が電話に出ることがなければ、それを伝える事も出来ない。
例え、手紙に、臨時休校等の休みの事を記して送ったとしても、すぐに相手の所へ行くわけでもなく、ようやく相手の所へと届いた時には休みが終わってしまう…。そんな不便な距離に互いがいた。

「あと、夏野よ、お前俺に住所教えていかなかっただろ」

「あ…」

そういえばと思った。
色々慌しかったせいもあり、きちんと自分の都会での住所を徹に教えることも出来ないままこっちに来てしまった事を思い出した。
何より、夏野が大学進学時には、徹は当に就職しており、会う機会も今ほどではないが、徹が高校在学時の時の様にとはいかなかったからだった。
こっちへ来る日も、徹はどうしても抜けられない仕事のせいで、見送りもままならず、そのまま何ヶ月も会えないでいたのだった。

「お前ん所の親に聞いて、ようやく住所が分かったんだぞ」

「ご、めん」

夏野は、無性に自分が恥ずかしく思えた。
自分の住所や電話番号を教えていなければ、手紙も電話も来るわけがないじゃないかと。

「夏野」

「何…徹ちゃん」

未だに抱き合ったまま、夏野は視線を徹のほうへと向けた。
初めて会った時の徹の年齢をすでに追い越しはしたが、身長は結局追い越す事所か少しでも埋める事ができなかったその身長差を感じながら、夏野は、自身を見下ろしてくる徹の瞳を見つめてみれば、思わず綺麗な琥珀色に吸い込まれそうになる。

そんな夏野に、徹は笑顔を再び向けた。それは第三者から見ても、本当に夏野に会えて嬉しく、夏野の事が本当に好きなのが分かる位の満面の笑みだった。

「会いたかった」

「…」

その言葉に、夏野はいても立ってもいられず、徹の胸元に顔を埋めた。
折角徹が会いに来てくれたと言うのにも関わらず、"俺も"と言わないまま、ただただ、徹の服に縋り付く指先の力を込めた。少しばかり、目頭が熱くなったのを感じた。

…こんなんじゃ、いけないのに。

今までの付き合いの中で、夏野の性格をしっている徹は、夏野が本当は嬉しいことも分かっていた。
きっと、素直になれない自分にやきもきしているのだろう。とも徹は分かっていた。
そして、この腕の中に愛しい恋人を抱けただけで、何時間も掛けて来た甲斐があったと徹は思った。

思いを伝える物や言葉がなくても、こうやって抱き合えば、そんな物など必要ではなかった。

徹は、優しく、夏野の肩に手をやり、俯いたままの夏野の顔を自分の方へと向けてみれば、少しばかり潤んだその瞳に口付けを落とし、何か言いたげなその唇に、自身の唇を重ねてみせた。
唇が合わさった瞬間、夏野の体が小さくではあったが、跳ね上がり、久方ぶりのキスに対して警戒しているのが分かった徹は、優しく優しく、夏野の頭部を撫で、段々と肩の力を解かしていく。

「徹ちゃ…」

懐かしい徹の手の動きに合わせて緊張が解れていくのが分かれば、自ら夏野自身も、徹の口の動きに合わせる様な仕草をし始め、離れない様に、徹の服を掴み、舌をチロリと出せば、徹の唇に這わせ、徹の舌を誘い出した。
そんないじらしい夏野を他の人間に見せるわけにも行かず、徹が夏野を抱えたまま扉と鍵を閉めれば、夜中とは言え、今まで扉を開いた状態でキスをしていた事を夏野もようやく気づき、少しばかり頬を赤らめた。

…誰かが通り過ぎるかもしれない場所で、なにしてんだ、俺…。

…そう思いながらも。、ようやく会えた目の前の人物に、もっと触れたいと思ってしまうのも事実で。
この機会を逃したら、次は何ヵ月後になるかも分からない。
この声も、この温もりも、自分だけに向けられる笑顔も、いつになるか分からない、遠く離れた人。
それだけに、今こうやって会えた事がとても嬉しく、この時間が永遠であればいいと夏野は思った。

「徹ちゃん…、その…」

それ以上は、言われなくても、徹も同じ思いだった。

軋むベッドの上で、久しぶりの恋人のつややかな肌の感触に、満遍なく手を滑らせ、細い首筋に顔を埋め、自分の印を付けていれば、震える細い指先が久しぶりの恋人のふわりとした柔らかな髪の感触を楽しんだ。

結婚するまでしてはいけないと言う貞操観念の強いこの世の中で、二人はしきりに会えなかった時間を埋めるかの様に互いを求めた。
男同士と言う恋愛が世間にほとんど知られていないこの世の中で、二人は何度も何度も愛し合う。

長男と、一人息子。本来ならば、家を継がなくてはいけない二人。
そんなしがらみも脱ぎ捨てて、欲望のまま互いの心と体を貪り合った。

やがて、月夜の光だけで、照らし出される互いの火照った顔や、熱を帯びた瞳を見つめながら、何度も何度も互いの想いを再確認すれば、"俺も、徹ちゃんに会いたかった…。"そんな切羽詰った夏野の声が微かに聞こえた気がしたのだった。

10.08.11-10.08.13.
逢瀬の手段

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