親同士が籍を入れていなく、俺には苗字が二つあった。正確に言えば、母方の小出の姓なのだが、自分の名前が見た目と相成っていない事にわだかまりを覚えていた為に、せめて苗字だけでもと、結城の方を好んだ。

そして、下の名前で呼ばれる事を嫌った。
一人称は、物心ついた時から、「俺」だった。

制服以外、普段着は、シャツ、ズボンが当たり前で、布地の短いスカートや、いかにもな服を買ってくる母親を無視しては、Tシャツとズボンを貫き通した。
父も、もっと年頃の子みたくしなさいと言っていたが、それさえも無視した。

それは、自分達の考えを子供の俺にまで押し付けてくる二人への小さな反抗心から来るものだった。
姓が違うだけで、あらぬ噂をたれられ、色々と嫌な思いをした分、親たちが求めるものになるつもりは毛頭も無かった。
反抗期と一括りにされてしまえばそれまでだが、それ以前に見るからに目つきの悪い目、眉間に皺をよせている方が多い、この仏頂面な顔。
本当なら、この年位になれば、丸み帯びてくるであろう体でさえ、今も中間をうろつき、普通の奴よりもいくらか身長がある分、最初にあった人は全員、俺を男だと判断していた。

何より、身長や体格、眉間の皺だけじゃなく、この声、この態度、この格好。もうどれもが自分の体に強く染み付いてしまっていて、今更、一人称を変えた所で、気持ち悪いだけ。
しまいには、自分の性別に対して、吐き気がする位にまでなってしまっていた。

…明日からまた、あの忌まわしい服を着なければ行けないのかと思うだけでも、気が重くのし掛かる。
一刻も早く高校を卒業して、都会の大学に行きたい。早くこの村を出たい。
そうすれば、あんなビラビラした物を強制的に履く事もない。この村からも出れる。
人に干渉されるのが嫌いな俺にとってここは監獄の様だ。この村の人々の監視下に常に置かれ、そこで数年間も生活をしていかなくていけないのかと思うとぞっとした。

「あれ、あの子は工房の子じゃないか」

「職人さんのご夫婦だっけかね、引っ越してきたのは知っていたが、これまた細っこい男の子だこと」

何より、この村の人たちはまだ俺を男だと思っている。
こう言った事は、昔からだから慣れてはいるが、制服を着た所を見られた時の反応は未だに慣れない。自分でも分かっている。似合わない事位。そんなの、分かっている。

好きでしている訳じゃない。規則がなければあんな制服…。


「…?ここは…どこだ」


…しまった。考え事をしていたら道に、迷った。
この村にも、一応図書館があると聞いて気分を紛らわせる為に行って見れば、思ったよりも居心地がよく、閉館間際まで居たのが悪かった。
夏といっても都会と比べて街頭が少ない所為か、思ったよりも暗い。
昼間はあんなに人が出歩いたり、立ち話しをしていたと言うのに、この時間ともなると、出歩いている人も見かけないばかりか、昼間の雰囲気と相成って、どこもかしこも似た様な建物や畑ばかりで路頭に迷う。…これだから田舎は嫌なんだ。

公衆電話も見当たらない以上、さて、どうするべきか…。
俺は頭を悩ませた。


「なぁ、お前、引っ越してきた、工房ん所の子だろ?」

工房の子、その言葉に俺に対して言っているのがわかった。
俺に向けられたその声は、今まで耳に入ってきていた老人達の声より大分若く、この村で始めて自分の年に近い声の持ち主らしき人物へと視線を向けてみれば、街灯の下に一人佇んでいる、見た事のない男の姿があった。

「こんな時間までどうした、道迷ったのか?」

思った以上に、その男は今まで見てきた村人達よりも若く、俺より幾らか年上みたいだが、年齢差は2,3歳といった所だった。

この村に来て初めて見る同年代の人間。
その風貌は俺とは真逆な垂れ目調のおっとりとしたその目、印象を和らげるふわふわした色素の薄い髪。

人の事は言えないが、あちらこちらと飛び跳ねた寝癖なのか天然なのか分かりにくいその髪型や間の伸びた口調から、人に対して警戒心を与えない人物に見えた。
風に揺られてふわりと揺らぐその髪は、触ったらどんな感じなんだろうか。やっぱり柔らかいのだろうか。

顔、その口調、その髪、その全体の雰囲気全てが俺には無い物だった。
その風貌に見合った人懐っこい笑顔に、何だか、よく分からないが、犬みたいだと思った。

一目見て、俺とはまったく正反対の人間だと悟る。人にあまり好かれる事がない俺に比べてこいつは人に好かれる側の人間。人に安らぎを与えるのに特化した、俺とはまったく違う、一生関わる事が無いであろう、人種だ。

「全部似た様な家ばっかだから、都会と違って道迷いやすいだろ」

「そんなんじゃない」

近づいてくるな。話しかけてくるな。
どんなに親しく話しかけてこようとも仲良くするつもりはない。
そもそも、この村で俺と同じ位の年の奴を見かけてたとしても仲良くなるつもりは毛頭もない。このまま体よく話を切り上げてその場から立ち去る事に決めた。
道が分からないのは確かだったが、それ以上にこの人物とあまり深く関わってはいけない気がした。あの笑顔は危険だ。

そう、ふいに俺の心が感じた。

「でもそっち、お前ん家の方じゃないよな」

「…」

「素直になれよ。この村じゃ、助け合うのが常だからな。送ってってやるよ。ついでにそっちの自販にしか売ってないのが飲みたいし」

シャツ、膝丈位の半ズボンにサンダル、そして片手に小銭。どうやら、俺の近くにある自動販売機に用があって家から出てきたのがわかった。

「お前ん家はこっち、ほらいくぞー」

気づけば、遙か遠くに両手を上げた男の姿。

「あ、おいっ!」

…い、いつの間に…。

「…くそ」

男のペースに巻き込まれるのは、不服だったが、このまま家に帰れない事の方を考えれば、仕方が無くそいつと一緒に行動する方がいいかと考えに至った。

それに一緒にいると言っても、ほんの少しだ。家まで行けば、家付近に行けば…。



「ここに売っているジュースがさ、またうまいのよ、けどここにしか無くてな〜」

……後悔した。やはり、あのまま断って一人で行けばよかった…。
むしろ行き方を聞いて一人でいけばよかったと今になって後悔した。

「俺ん所のは、もう全部制覇しちゃってさー、さすがに飽きてきた所だったんだ」

「…」

馴れ馴れしい奴だと思った。俺が一切反応を返さずにいても、話を止める事なく続けるし、聞いてもいないのに、この村の事とか色々言ってくる。
あまりに引っ切り無しに喋りかけてくるものだから、いい加減にしろとばかりに睨み付けてみれば、反対に笑顔で返される。

何なんだ。一体…。


後少しだけ我慢だ。そう自分に言い聞かせて横にいる男の会話を聞き流しながら、歩き続けていれば、ようやく見覚えのある通りに出た。

「あ…」

確かに、ここだ。見覚えのある看板、建物。さすがにここからなら後はどう行けばいいのか分かる。案外ぐるぐると回っていたのが分かれば、何て自分は間抜けだったんだろうと思った。

「ここでいい、こっからは分かる」

「そか、まぁ、こっからだったら近いしな。じゃぁな、おまえ今度遊びに来いよ!ここらへん同年代の奴少ないんだ」

「あ…」

せめて礼くらいはと、その言葉を口に出そうとすれば、すでにそいつは背を向け、歩いて行ってしまっていた。

…結局、礼を告げる事が出来なかった。って、あの男、今、どこへ向かって行った…?
さっき来た道、戻って行ったよな…?

そう言えば、ここらへんで自販機を見た覚えは無い。
田舎にしてはある方かもしれないが、自動販売機は都会に比べ、そこまであまり置かれていない。
自分の家からだと喉が渇いてジュースを買いに行くには、なかなかの距離を歩かなくてはいけなかったのを思い出した。

…もしかして…俺の為に嘘を?

…馬鹿馬鹿しい。
俺には関係ない。
あっちが勝手についてきただけで、これ以上関わるつもりはない。
この狭い村だ、どうせ嫌でもまた会うだろうし、その時に礼を言えばいい。
それ以上は、関わるつもりは無い。
すぐに出て行く村だ。未練やしがらみは少ないにこした事は無い。

……無い…。

「おかえり、夏野、遅かったな」

「ただいま、父さん。少し寄り道してた」

そうだ、都会の大学に行く為に、もっともっと勉強をしなければ。
もっともっともっと。少しの時間も惜しい。







――――筈、なのに、何で、教材とノートを机の上に広げておきながら、ペンを持った指が動かないんだ…。



あぁ、くそ、面倒くさい。何で俺が走らなきゃいけないんだ。
何で家まで飛び出して、あいつの所に向かってんだ。

「……お?どした、お前も何か飲みたくて来たのかー?そんなに息切らしてさ」

「……買いたがってたジュースって何て言うやつ」

「ん?ああ、これだよ、お前も飲んでみるか?きっと病み付きになるぞぉ」

…これか。

親指で指された方に視線を向けてみれば、そこには青い色の蛍光ラベルに黒ででっかくEと書かれている缶だった。
E…缶…?何味だ…これ。こんなの見たことがないぞ…。

「ゲームにある奴でさ、ライフを全回復してくれんのよ」

「はあ…?」

今いち何を言っているのかよく分からないが、その男がポケットから小銭を出す前に、ズボンのポケットに入っていた財布から小銭を取り出して、それを投入口に入れ、先ほどのEと書かれた缶ジュースのボタンを軽く押した。

ガタン。

静まりかえった場所に、物が落ちる音が響き渡れば、それを取り出し口から素早く出し、そいつの前にぶしつけに突き出してみた。

「お?」

俺のこの行動が何を示しているのか分かっていないらしく、100円玉片手に間の抜けた声が返ってきた。…あまり、口に出したくはなかったが、しょうがない。

「…送ってもらったお礼」

さすがに、ジュースを買うついでだからと言って、道案内をしてくれただけだったとしても、初対面でこんな時間まで付き合わせてしまったのには気が引けた。
何より、俺の家の逆方向だったし、このまま知らぬ振りも出来たが、これで貸し借りは無しだ。そっちの方が後腐れなくていい。そう思い、顔を背けたまま、缶をもう一度そいつの前に突き出してみる。そうすれば、ようやく意味が分かったらしく、息を噴出す音が聞こえた。

「…ぷ、なはは、そかそか、ありがとな」

「…」

その笑いが、何だか気に入らなかった。まるで、これをする為だけに、俺が走ってきたのを気づいているかの様に思えて。
けれど、そいつは、その後は何も言わずにその缶ジュースを手に取れば、本当に嬉しそうに、封を切り、勢いよく口に含みだした。

ゴクゴクと、大きな音を鳴らしながら、俺には無いくっきりとした喉仏が上下に揺れている。

喉、渇いてたのか…。まぁ、自販にジュースを買いに来ていた位だったしな…。
そう思うと、喉渇いている中で、俺にずっと話しかけてきてくれていたのか…?

「うっまい!」

本当に、変な奴。都会の学校にいた時でさえ、俺の周りに居なかったタイプだ。
屈託の無い笑顔。裏表ない人間と言うのはこういう人物を指すのだろう。

「お前も一口飲むか?」

「いらない」

人の口が付いた物なんかごめんだ。
後、この缶の口に少しだけついてる青い液体は何だ…。

「そかー?うまいのになー」

折角ここまで来たんだ、自分もと思い、さっきのとは違うジュースのボタンに手をかけた。…それと、お礼をする為に息きらして走って来た事をごまかす為に。

「なぁ…」

久々に全速力で走った所為で、喉の渇きを感じ、そのまま缶のプルトックに手をやる。

「んー?」

「何で嘘ついたんだ。俺の家と全く逆じゃないか」

冷たく甘みのある液体が喉を潤していくのを感じながら、視線は缶の口からそのまま外す事なく、さりげなく聞いてみる。…いや、聞かなければよかったのだろうが、ここまで来てしまった以上、聞いてみてもいいと何故か思った。

「…あー」俺の言葉に対して、一瞬間があった気がして、ちらりと視線を向けてみれば、缶を口に含みながら、視線を上に向けている姿があった。
その様子は、予想外の質問が来て、返答に困っているように見える。

「んー…まぁ、そのだな、女の子が夜道歩いてるのって危ないだろ?俺も昔は違うとこに住んでたんだが、こっち来た当初は迷いに迷いまくってな」

…今、何て…?

「…今、何て言った…?」

「ん?俺も5歳の時引っ越してきたんだよ、こっちに」

「ちが…そうじゃなくて、女がどうのこうのって…」

「ほえ?お前女だろ?あれ、違ったか?」

「ちが、くはないけど…」

初めてだった。俺の性別を当てられた人物に会うのは。
制服を着ていた時でさえ、頻繁に間違われていたと言うのに、何で分かったんだ…?

その男は、俺が不思議そうにしていたのをどうやら気づいたらしく、空になったらしい缶を一振りすれば、話を切り出してきた。

「いやさ、俺、妹いんだ、一個下の。俺と弟に挟まれて育った所為か、昔はお前みたいな感じでさ、俺達よりも男まさりだったわけ」

「…妹?」

そんなので、分かるものなのか?今まで自分の性別をちゃんと当てた奴なんていなかったのに…。

「そういや、お前の名前聞いてなかったな、俺、武藤徹。お前の名前は?」

変な奴だ。本当に。調子が狂う。
だからだろうか、本当ならそのまま無視してその場から去ればよかったのに…。

俺は思わず、

「…結城夏野」

忌み嫌っていた自分の名まで、口に出してしまっていた。
10.07.27-10.08.04.
邂逅

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