まほやく | ナノ







 ――一晩眠れば解ける呪いだ。ただしそれなりの悪夢を見る。

 任務先でちょっとした呪いを受けてしまった。私の不用意な行動が招いた、自己責任なものだと思う。
 同行してくれた魔法使いたちの、苦しげな表情を見ていられなくて、その夜は努めて明るく振る舞った。いつも以上にもりもり食事を取り、バーでカードゲームに興じた。
 夜も更けるころ、部屋に戻る前にはちみつを垂らしたホットミルクを飲む。枕元にはリラックス効果があるハーブのサシェを吊るした。

(一晩だけだ。ぐっすり寝ちゃえば、案外夢を見もしないかもしれないし)

 自己暗示をかけながら、洗いたてのパジャマに着替えてベッドに潜り込む。目を閉じる。……少し怖かった。足先が冷たい。緊張しているのかもしれない。

「賢者様」

 初め、我が耳を疑った。オーエンの声だった。ドアの方からノック音がしたのに。

「……オーエン?」
「さあ? 誰かがオーエンの姿に化けてるのかも」
「いえそんなはずは。私、オーエンのこと見抜けるんです」
「……ああそう」

 廊下に立っていたのは、パジャマ姿のオーエンだった。小脇に枕まで抱えている。

「何」
「すみません、ちょっとビックリしちゃって。オーエンがノックしたのって、初めてじゃありませんか?」

 夜中にいきなり押しかけて来たことは何度かあったけれど、大抵は魔法でいつの間にか室内にいた。窓辺に降り立ったこともあったけど、まさかこんな、正攻法で尋ねて来るなんて。

「こうすれば、僕が賢者様の部屋に来たって分かるでしょう。牽制だよ」
「だ、誰に?」
「いいから。寝るよ」
「えっ、わあ」

 オーエンは室内にずかずか入り込み、私の腕を引いてベッドにダイブする。

(もしかして心配してくれたのかな?)

 温かな期待を持って、オーエンを見やる。至近距離で目が合って、否応無しに心臓がどきりとする。

「悪夢にうなされる賢者様の顔を、一番近くで見てやろうと思って」

 これでもかというくらい、意地悪く微笑まれた。お見事なお点前。そりゃそうでしょう。
 オーエンは、今回の任務には同行していなかった。呪い屋のファウストや、医者のフィガロを持ってしても、見守る以外の解決策がない魔法に、興味を抱いている可能性もある。

「……うなされてうるさかったらすみません」
「そのときは止めてあげてもいいよ」
「息の根を?」
「あはは」

 寝姿を観察するのが目的なので、オーエンは私の方を向いたままだ。どうにも居心地が悪く、視線をそわそわさまよわせてしまう。

「ほら、賢者様。早く寝なよ」

 オーエンの冷たい手のひらが、視界を覆った。そっと瞼を降ろされる。ベッドがわずかに軋む。
 ほのかに甘い香り。静かだ。どうやったって緊張するばかりのシチュエーションのはずが、全身がゆったりとまどろんでいく。子守唄を聞いているような気分。

「おやすみ」

 意識が遠ざかっていく。




 悪夢は見た。やはり避けられないことだった。
 説明するのもおぞましい。うまく記憶しておけない。邪悪で陰鬱な物語に、無理やり自分や大切な人を引きずり込み、どこまでも追い詰められ侵されていく。悲鳴を上げようにも、喉を潰されてしまった。誰に。分からない。誰にも届かない。
 それでも反射的に叫んでしまう。助けて。
 助けて。

「晶」
「……オーエン」

 夢の延長かと思ったが、違った。
 頬を撫でるひんやりとした手。優しい冷たさ。

「オーエン……」

 感触を確かめたくて、気づいたら頬を擦り寄せていた。

(やっぱり夢かも)

 現実のオーエンは、すがりついたら突き飛ばす。
 そもそも、こんな心配そうな表情で、私を覗き込んだりしない。慈しむように前髪を分け、額にキスをしたりしない。するはずがない。

「口開けて」
「ん」
「ゆっくり舐めて。甘いでしょう」

 小粒のシュガーが、舌の上でほろろと溶ける。全身に甘みが行き渡る。強張っていた全身の筋肉が、ほっと緩んだのが分かった。

「落ち着いた?」
「はい……」

 長く息を吐く。半分嘘だ。心臓はばくばく高鳴っているし、全身冷や汗をかいている。恐怖が脳にこびりついている。
 こんな嘘は、全部見抜かれているだろう。なにせこんな近くにいるのだから。

「嫌な夢でした……」
「どんな夢?」

 オーエンが小首を傾げる。シーツが擦れる音がする。

「ほら、賢者様の世界では、悪夢は他人に話すといいんでしょ」
「オーエンが聞いてくれるんですか?」
「特別だから」
「………………忘れてしまいました」
「………………ああ、そう」

 呆れたオーエンが、私の頬を軽く引っ張る。

「眠気があるなら、今のうちに眠ったらいい。その呪いは、一晩ちゃんと眠らないと解けないらしいから」

 詳しいですね、と、口にしようとして塞がれた。一瞬のことだった。冷たく柔らかい感触の正体を、探ろうとするより早く、胸板に顔を押し付けられる。

「大丈夫。ひどくうなされていたら、また起こしてあげる」

 ああそうか。オーエンが起こしてくれたんだ。私の悲鳴は、誰にも届かないと思っていたけれど。

「たかが悪夢だ。なんてことない。明日から僕が、もっと悪夢めいた現実を見せてあげる」
「それはなんとも……怖いですねぇ……」
「でしょう。だから安心すればいいよ」

 背中をぽんぽん叩かれる。小さな子どもをあやすみたいな、愛情深いような仕草。とてもとても大事にされていると、勘違いしたくなるような手付き。

「オーエン」
「うん?」

 掠れた声が、穏やかに応えてくれる。布団の中で、足と足が絡み合った。素肌の体温が心地良くて、いつまでも触れていたくなる。

「私の世界では……こういうのを、怪我の功名と……呼ぶんです……」
「へえ。どういう意味?」
「言ったら……怒られると思うので……内緒です……」
「は? おい、晶。寝るなよ」


 私はきっとこれから、呪われた悪夢を見る。恐怖は軽くなっていた。辛く苦しい夢路の果てに、大好きな彼の影を探せばいいのだ。






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