まほやく | ナノ







 お酒臭い。貴賓室の扉を開けて、まずそう思った。

「オーエン……またですか……」

 私に「今すぐタピオカ買ってきて」などと命令したくせに、いざ大急ぎで駆け付けてみればこの有り様だ。オーエンはアジトの床に敵対組織の男たちを転がして、ぶちまけたウィスキーを舐めさせている。

「え、それを舐めさせてるんですか……!?」

 彼が握る瓶を見てぎょっとした。少し珍しい陶器製で、細やかな立体意匠が美しい。

「挑まれたから飲み比べをしてやったんだ。全員早々に潰れたけど」
「それ、この前押収しためちゃくちゃ高いウィスキーでは……!?」
「そうだっけ? これを飲むくらいなら水を飲んだ方がマシだと思ったけど」
「うわあ……知りませんからね……」

 最近はウィスキーの関税率は恐ろしく上がっており、組織の経営するバーでも頭を抱えているはずだ。幹部クラスかつ傍若無人なオーエンにとっては、そんな事情は些末なことなのだろうけれど。

「いいから晶、こっちおいで」

 ぶるりと背筋を震わせる私の一方で、オーエンは上機嫌だ。大して酔ってもいないのに。

「少し休んでいけば」
「いえすぐ帰ります」

 オーエンは私の言っていることに耳も貸さず、近くで死んだように寝転がっている男の横っ腹を蹴り上げた。

「おい。使い捨ての雑巾みたいに寝転がってないで、椅子になるくらいできるよな」

 男は小さく呻きながら、それでものそのそと身を起こし、手と膝をついて人間椅子の姿勢を取る。オーエンは手のひらをすうっと動かし、恭しいエスコートのような仕草で、敵マフィア製の椅子を指さした。

「ほら、座りなよ」
「嫌です」
「へえ、奇遇だね。僕も晶の体が、このアルコール漬けのがらくたに直接乗るのは許せないなと思ってたところ」

 オーエンは片目を眇めながら、自分で人間椅子にどかっと腰を下ろした。椅子はまた低く呻くが、「椅子が喋るなよ、気色悪い」と吐き捨てられどうにか堪えている。見るに耐えない。

「では私はこれで……わっ」
「はい、これでいい」

 踵を返そうとしたところで、手首をぐっと引かれ、オーエンの膝の上に倒れ込んだ。膝裏に手を回され、座ったまま姫抱きにされてしまい、身動きが取れなくなる。

「オーエン! 放してください……!」
「どうして? 僕の膝に乗るのは慣れてるでしょう?」

 ぐっと顔を近づけられると、心臓が痛いほど高鳴ってしまった。仄暗い電灯の下、花のかんばせは匂い立つように艶やかなのだ。

「……人間椅子の耐荷重が不安です!」
「そう? おまえだいぶ軽いし……ああ、でも」
「え……っ、ひゃああっ」
「ここがちょっと成長したかもね」

 ふに、と。オーエンの指先が、私の胸部に埋められた。

「い、いいきなり触らないでください!」
「仕方がないな……じゃ、今から揉むから」
「あっ……っっそうじゃないです! だめ!」
「むぐ」

 オーエンの手を無理やり胸から引き剥がし、口にタピオカのストローを突っ込む。

「…………」

 じとーっととした不機嫌な視線は向けられたけれど、一応手は引っ込められた。私はようやく安堵する。
 大容量のカップから、オーエンがタピオカミルクティーを啜る。もぐもぐ咀嚼する口元が、少し子どもっぽくて可愛い。

「美味しいでしょう? オーエンってタピオカは|珍珠《小粒》より|波霸《大粒》が好きでしたよね?」
「ん。メダカの卵より、カエルの卵がいい」
「チアシードのスムージーにもそんなこと言ってましたね……」

 オーエンのお使いは慣れた。シロップたっぷりの亀ゼリー、エッグタルト、さんざしのプリン、|鶏蛋仔《ガイダンジャイ》、|芝麻糊《チーマーウー》。彼御用達の街の甘味はどれも美味しくて、私もご相伴にあずかることがある。

「……で、そろそろ下ろしてください。私も自分のタピオカを飲むので」
「このまま飲めばいいだろ」
「いや、人間椅子だと気が散るんですよ……」
「……はいはい」

 意見が一致したらしい。オーエンはすっくと立ち上がり、私を(皮と綿製の)ソファまで運ぶ。
 それから壁にかかった絵画をずらし、ぽっかりと空いた壁の穴に、椅子役を含めたすべての敵をひょいひょいと放り入れた。これはあらゆる方面で使えるダストシュートなので、彼らはアジト内の心地悪い滑り台を進み、地下に待機する構成員たちの手によって追い出されるだろう。

「ようやく邪魔者が片付いた」
「お疲れ様です」

 二人きりだ。オーエンは私の隣に落ち着いて、再びタピオカミルクティーのストローに口をつける。
 室内にはウィスキーの煤けた匂いが漂ったまま。壁やら床やらあちこち汚れたり壊れたりしているから、どのみち清掃員は手配をしなくてはならない。なんでこんな荒っぽいやり取りを、貴賓室のような場所でやらかすのか。

(……とりあえず、タピオカ飲んでから考えようっと)

 私も自分の分のタピオカにストローを指し、静かに啜った。甘酸っぱくて美味しい。

「ねえ、そっちも一口ちょうだい」
「いいですけど、これ|紅心芭樂《グァバ》ですよ。オーエンのミルクティーの後だとすっぱいか、も……っ、んぅ」

 オーエンの方を向いた瞬間だった。

「そうでもないよ」

 唇が重なった。ごく短い時間だったけれど、離れ際にぺろりと舐め取られもした。
 咄嗟のことで、拒むことも受け入れることも出来ず。だがソファが小さく軋み、氷でひんやりと冷えたオーエンの手がシャツの裾から入り込もうとしたところで、

「……それっぽっちで味なんか分からないんじゃないですか?」

 悔し紛れにそう言ったら、オーエンは薄ら笑いをすっと引っ込めた。

「生意気を言うようになったね」
「オーエンに鍛えられたんだと思いますよ」
「いい度胸してる。手加減してやらないからな」

 先ほどよりも深いキスが始まり、絡んだ舌にじんわりと甘さが広がっていく。

「……っ、ん」

 文字通りの甘いキスなのに、容赦がないため早々に息苦しくなってオーエンの袖を握ったら、呆気なく解かれた。そしてすぐ指を絡めて繋ぎ直され、そのままソファに縫うように押し付けられる。
 こうなればもう翻弄されるしかない。白旗を振ろう。飴底のような蕩けたものに沈んでいく。



第12回ワンドロライ用




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