潜入予定のパーティの入場条件が『男女カップルであること』だった。 「どうしたものかの」 「全員でくじ引きをして、片方が魔女になれば公平なんじゃない?」 「ですが先方は、魔法使いに警戒していたはずでは?」 「だったら女性の賢者様と、魔力を隠すのが上手な人がいいですよね……」 黙って流れをうかがっていたネロが「あ、俺か」と零した。 ▽ 『大人向けのパーティらしいから、エレガント大増量にしておいたよ!』 クロエが用意してくれたカクテルドレスは、ミニ丈のタイトスカートだった。トップはデコルテが大胆に見えるデザインで、彼が選んでくれたネックレスがよく映える。 「どうにも落ち着かねえな……ここまでしなくてもいいんじゃねえ?」 かっちりとしたディナージャケットをまとったネロは、どこか居心地が悪そうだ。カフリンクスもブラックタイもクロエの見立てであり、ネロの体によく似合っているように見えるけれど。 「格好良いですよ、ネロ。会場じゅうの視線が釘付けだと思います」 「はは……あんま目立ったらまずいんじゃなかった?」 「あ、そうでしたね。うーん……美の手加減方法とは……?」 「や、真剣に悩まれると恥ずかしいからやめて」 気まずげにそっぽを向きつつ、ネロは私の側から離れなかった。ごく自然な動きで、周囲への警戒を怠らない。 (チラチラ視線を感じるな……偵察ってバレてたり……?) 会場内は薄暗く、華やかだがどこか怪しげな空気が漂っている。私も注意しなければ。 燕尾服のボーイたちが、足音ひとつ立てずに配り歩いているお酒の匂い。陶酔感を煽るお香の煙。無表情な弦楽器隊の演奏。シャンデリアの鈍い光は、毛足の長い絨毯に絡め取られるよう瞬いている。 「賢者さん、ちょっと」 「はい……えっ」 「もうちょい、こっち寄って」 突然ネロにぐっと肩を抱き寄せられた。いきなりのゼロ距離に、私はつい目を白黒させてしまう。 「自然に」 耳元で、彼が低く囁く。 「は、はい」 「……カップルっぽく。俺相手で悪いけど」 「滅相もない、です……」 ネロは周囲の訝しげな視線を誤魔化すため、咄嗟にそれらしく振る舞ってくれたらしい。アドリブに対応できなかった自分が恥ずかしく、顔が熱をはらんでいく。 (挽回しなくちゃ……!) 意気込んだ私はそのままネロにしなだれかかり、甘えるようにその顔を覗き込んだ。 「う、お……」 「ネロ! カップル、カップル……!」 「あ、ああ」 今度はネロが戸惑う番だった。答える声が上擦って、視線があちこちを彷徨っている。 (だめだ私たち、噛み合ってない……) 焦燥感が湧き上がり、私はネロの首に手を回す。立食パーティの片隅で何をやっているんだという姿勢なのだけれど、実際のところ会場のカップルたちは皆このような距離感のため、幸い浮いてはいない。 「けっ、賢者さん、そこまで……」 「晶! 晶です……!」 「……っ、晶、どうした?」 今度は私がネロの耳元に唇を寄せ、こそこそと囁きかける。水縹色の髪の隙間から覗いた耳がびくりと震えた。 「足りないです、カップル感……!」 「……ああ、まあ。同感」 「一旦打ち合わせを挟みましょう」 ▽ クラシックなデザインの革ソファに、並んで腰を下ろす。 周囲には似たようなカップルが何組もいるけれど、それぞれ相手のことしか見えていないらしく、体を密着させくすくすと甘く笑い合う声しか聞こえてこない。普段なら気まずくてたまらない環境だが、今はむしろありがたかった。 (仕方ないとはいえ……この距離は緊張するな……) 体の側面が、完全にネロにくっついた状態。どうかこの心臓の音がネロまでは届きませんように。 「足、痛くねえの?」 ネロがおもむろに、私の足元を指す。普段はなかなか履かないハイヒールのことだ。 「実はあんまり。コーンヒールって言う、歩きやすいタイプだそうです」 「へー。コーン?」 「形がアイスクリームのコーン由来らしいですよ。ふふ、美味しそうな名前だよねってクロエが」 ふいにネロが、眉尻をぴくつかせた。 「他の男のことさ、今は思い出さないでよ」 「……へっ」 腰に手が回り、ぐっと引き寄せられた。ただでさえ近かったのに、一層密着する羽目になる。布越しにネロの感触が伝わって、私は思わず肩がびくついた。 「……こういうことだろ?」 「あ、そ、そうですね……!」 こそこそとネロが零す声に、慌てて頷いた。そうだ、そう、こういうことだと、私もネロのジャケットを握る。よし、これはかなりカップルの距離感だ。だいぶ周囲に溶け込んでいる気がしてきた。 「…………」 「…………」 「……なんか話せる?」 「そう、そうですねー……」 無言で体を触り合うのも、それはそれでおかしい。ネロも同じ気持ちだったらしい。 「あ、髪! ネロ、今夜は髪型も格好良いです!」 「……あー、仕立て屋くんがやってくれてさ」 照れくさそうにそっぽを向くネロの髪に、そっと手を伸ばす。額を出して、サイドも編み込みが入っている。柔らかな毛先が自然に流れていて、私も「さすがクロエの仕事」と思ったけれど、 「あ、ネロも他の人のことを考えていましたね」 「ん? いや、それはさ」 「私が目の前にいるのに。私だけを見てくれないんですか?」 売り言葉に買い言葉。それらしく振る舞うための、演出的な応酬のつもりだった。 あとは、一匙の悪戯心があったかもしれない。その気になれば、こちらが酩酊しそうな口説き文句もさらりと言えてしまうし、すんなりと体に触れられる。そんな余裕綽々のネロの、鼻を明かしたいというか。 (おかしいな、さっきまで噛み合わなくて困ってたのに……) この会場の雰囲気に、私もようやく慣れてきたのかもしれない。心の中からふつふつと湧き上がる、この欲望の正体は何なのだろう。 「……しょうがねえだろ。そうやって気を紛らわしてんだから」 「え……ひゃっ」 ネロの節くれだった指先が、すす、と私の腰を撫でた。布越しに肌の感触を確かめるような手付きで、ゆっくりと下降していく。 「あ、ちょっ、ちょっとネロ……!」 「しー……」 もう片方の指先が、私の唇をむに、と押さえた。吐息がかかるほどの距離まで、顔が近づく。 「こんな綺麗な化粧して、短い服着たとこに、くっつけって言われたらさ」 「え、えあ」 「男なら余裕ぶるのに必死になるだろ」 羞恥心はとっくに限界値に達しており、私は今すぐその場から走り去りたい気分だった。だが出来ない。腰に回ったネロの腕は思いのほか強く私を拘束しているし、ハイヒールもタイトなミニスカートも全力走行には向かず、何よりネロの熱っぽい視線が、私をこの場に縫い止めている。 「なあ、賢者さん」 だから晶だって言ってるじゃないですか。ネロってば、素が出てますよ。 そう言おうとしても叶わなかった。薄暗がりでも分かる紅潮した顔や私の頬を撫でる指先の火照りが、彼の演技ではなく素なのだとしたら? 第11回ワンドロライ用 ×
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