まほやく | ナノ







 潜入予定のパーティの入場条件が『男女カップルであること』だった。

「どうしたものかの」
「全員でくじ引きをして、片方が魔女になれば公平なんじゃない?」
「ですが先方は、魔法使いに警戒していたはずでは?」
「だったら女性の賢者様と、魔力を隠すのが上手な人がいいですよね……」
 黙って流れをうかがっていたネロが「あ、俺か」と零した。




『大人向けのパーティらしいから、エレガント大増量にしておいたよ!』

 クロエが用意してくれたカクテルドレスは、ミニ丈のタイトスカートだった。トップはデコルテが大胆に見えるデザインで、彼が選んでくれたネックレスがよく映える。

「どうにも落ち着かねえな……ここまでしなくてもいいんじゃねえ?」

 かっちりとしたディナージャケットをまとったネロは、どこか居心地が悪そうだ。カフリンクスもブラックタイもクロエの見立てであり、ネロの体によく似合っているように見えるけれど。

「格好良いですよ、ネロ。会場じゅうの視線が釘付けだと思います」
「はは……あんま目立ったらまずいんじゃなかった?」
「あ、そうでしたね。うーん……美の手加減方法とは……?」
「や、真剣に悩まれると恥ずかしいからやめて」

 気まずげにそっぽを向きつつ、ネロは私の側から離れなかった。ごく自然な動きで、周囲への警戒を怠らない。

(チラチラ視線を感じるな……偵察ってバレてたり……?)

 会場内は薄暗く、華やかだがどこか怪しげな空気が漂っている。私も注意しなければ。
 燕尾服のボーイたちが、足音ひとつ立てずに配り歩いているお酒の匂い。陶酔感を煽るお香の煙。無表情な弦楽器隊の演奏。シャンデリアの鈍い光は、毛足の長い絨毯に絡め取られるよう瞬いている。

「賢者さん、ちょっと」
「はい……えっ」
「もうちょい、こっち寄って」

 突然ネロにぐっと肩を抱き寄せられた。いきなりのゼロ距離に、私はつい目を白黒させてしまう。

「自然に」

 耳元で、彼が低く囁く。

「は、はい」
「……カップルっぽく。俺相手で悪いけど」
「滅相もない、です……」

 ネロは周囲の訝しげな視線を誤魔化すため、咄嗟にそれらしく振る舞ってくれたらしい。アドリブに対応できなかった自分が恥ずかしく、顔が熱をはらんでいく。

(挽回しなくちゃ……!)

 意気込んだ私はそのままネロにしなだれかかり、甘えるようにその顔を覗き込んだ。

「う、お……」
「ネロ! カップル、カップル……!」
「あ、ああ」

 今度はネロが戸惑う番だった。答える声が上擦って、視線があちこちを彷徨っている。

(だめだ私たち、噛み合ってない……)

 焦燥感が湧き上がり、私はネロの首に手を回す。立食パーティの片隅で何をやっているんだという姿勢なのだけれど、実際のところ会場のカップルたちは皆このような距離感のため、幸い浮いてはいない。

「けっ、賢者さん、そこまで……」
「晶! 晶です……!」
「……っ、晶、どうした?」

 今度は私がネロの耳元に唇を寄せ、こそこそと囁きかける。水縹色の髪の隙間から覗いた耳がびくりと震えた。

「足りないです、カップル感……!」
「……ああ、まあ。同感」
「一旦打ち合わせを挟みましょう」



 クラシックなデザインの革ソファに、並んで腰を下ろす。
 周囲には似たようなカップルが何組もいるけれど、それぞれ相手のことしか見えていないらしく、体を密着させくすくすと甘く笑い合う声しか聞こえてこない。普段なら気まずくてたまらない環境だが、今はむしろありがたかった。

(仕方ないとはいえ……この距離は緊張するな……)

 体の側面が、完全にネロにくっついた状態。どうかこの心臓の音がネロまでは届きませんように。

「足、痛くねえの?」

 ネロがおもむろに、私の足元を指す。普段はなかなか履かないハイヒールのことだ。

「実はあんまり。コーンヒールって言う、歩きやすいタイプだそうです」
「へー。コーン?」
「形がアイスクリームのコーン由来らしいですよ。ふふ、美味しそうな名前だよねってクロエが」

 ふいにネロが、眉尻をぴくつかせた。

「他の男のことさ、今は思い出さないでよ」
「……へっ」

 腰に手が回り、ぐっと引き寄せられた。ただでさえ近かったのに、一層密着する羽目になる。布越しにネロの感触が伝わって、私は思わず肩がびくついた。

「……こういうことだろ?」
「あ、そ、そうですね……!」

 こそこそとネロが零す声に、慌てて頷いた。そうだ、そう、こういうことだと、私もネロのジャケットを握る。よし、これはかなりカップルの距離感だ。だいぶ周囲に溶け込んでいる気がしてきた。

「…………」
「…………」
「……なんか話せる?」
「そう、そうですねー……」

 無言で体を触り合うのも、それはそれでおかしい。ネロも同じ気持ちだったらしい。

「あ、髪! ネロ、今夜は髪型も格好良いです!」
「……あー、仕立て屋くんがやってくれてさ」

 照れくさそうにそっぽを向くネロの髪に、そっと手を伸ばす。額を出して、サイドも編み込みが入っている。柔らかな毛先が自然に流れていて、私も「さすがクロエの仕事」と思ったけれど、

「あ、ネロも他の人のことを考えていましたね」
「ん? いや、それはさ」
「私が目の前にいるのに。私だけを見てくれないんですか?」

 売り言葉に買い言葉。それらしく振る舞うための、演出的な応酬のつもりだった。
 あとは、一匙の悪戯心があったかもしれない。その気になれば、こちらが酩酊しそうな口説き文句もさらりと言えてしまうし、すんなりと体に触れられる。そんな余裕綽々のネロの、鼻を明かしたいというか。

(おかしいな、さっきまで噛み合わなくて困ってたのに……)

 この会場の雰囲気に、私もようやく慣れてきたのかもしれない。心の中からふつふつと湧き上がる、この欲望の正体は何なのだろう。

「……しょうがねえだろ。そうやって気を紛らわしてんだから」
「え……ひゃっ」

 ネロの節くれだった指先が、すす、と私の腰を撫でた。布越しに肌の感触を確かめるような手付きで、ゆっくりと下降していく。

「あ、ちょっ、ちょっとネロ……!」
「しー……」

 もう片方の指先が、私の唇をむに、と押さえた。吐息がかかるほどの距離まで、顔が近づく。

「こんな綺麗な化粧して、短い服着たとこに、くっつけって言われたらさ」
「え、えあ」
「男なら余裕ぶるのに必死になるだろ」

 羞恥心はとっくに限界値に達しており、私は今すぐその場から走り去りたい気分だった。だが出来ない。腰に回ったネロの腕は思いのほか強く私を拘束しているし、ハイヒールもタイトなミニスカートも全力走行には向かず、何よりネロの熱っぽい視線が、私をこの場に縫い止めている。

「なあ、賢者さん」

 だから晶だって言ってるじゃないですか。ネロってば、素が出てますよ。
 そう言おうとしても叶わなかった。薄暗がりでも分かる紅潮した顔や私の頬を撫でる指先の火照りが、彼の演技ではなく素なのだとしたら?


第11回ワンドロライ用




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