まほやく | ナノ







『賢者の単独行動を禁ず』

 そんな不自由なお触れが出たのは半月前のことだ。
 近ごろ賢者やその魔法使いたちを狙った不穏分子が中央の街々をうろついているらしく、晶たちは散歩中にゴミを投げつけられたり髪を切られそうになったりという被害を受けていた。
 現状、それ以上の被害は出ていない。
 それでもとりわけ心配されたのが、魔法も使えず、腕っぷしにも不安がある真木晶である。
 中央の一部関係者らは賢者に護衛をつけ、武装も許可しようとしたが、この辺りの力関係は複雑だ。あれやこれやと揉めに揉め、ようやく落ち着いたのは以下の通り。

『賢者の単独行動を禁ず』
『外出時は必ず一名以上、賢者の魔法使いが同行すること』



▽ side 晶

「何その格好」
「……似合わないですかね?」

 顔をしかめるオーエンの前で、晶はくるりと一周回って見せる。
 花が波打つようなフレアワンピースの裾が軽やかに舞う。春めいた柄と柔らかなシルエットは、普段の晶のパンツルックとは毛色が違う。オーエンが訝しむのも無理はないのかもしれない。

「クロエが仕立ててくれたんです」
「へえ。暇なヤツ」

 本日の同行者はオーエン。なんと彼自ら名乗り上げた。
 街中のカフェで提供される、期間限定のドルチェバイキングに行きたいが、男性のみの入店ができない店なのだという。
 晶とオーエンは「私と二人だとカップルみたいになっちゃいますけど」「光栄に思えよ。君は座っていればいいんだから」「私もドルチェ食べたいです。あ、そうだ。オーエンが魔法で女性に変身して女の子同士に見せればいいのでは?」「絶対に嫌」というやり取りを済ませ、現在に至る。
 
「で、賢者様はその格好で箒に乗るつもり? 見えるよ」
「え、乗せてくれるんですか? 私てっきり、オーエンは箒で私は徒歩って言われるのかと……」
「は? 徒歩なんて許さない、おまえは走れよ」
「おろしたばかりのワンピースで……!? せっかくおめかしをしたのに……」

 そう、晶はいつもより早く起きてめかしこんだのだ。髪も編み込み、丁寧に化粧をして、香水も一振りした。
 今日は休日。たとえ不穏分子に狙われていたとしても、お休みはお休みだ。
 オーエンと街に行く。それだけで晶は嬉しい。たとえ彼の目当ては山盛りのドルチェであり、晶は入店アイテムに過ぎなかったとしても。

「……賢者様は驢馬より足が遅いから」
「面目ないです」

 結局オーエンは箒に乗せてくれた。
 座り方に気をつければ、フレアスカートでも防御万全であると力説した晶に「スカートじゃなく我が身を守れるようになれよ」と吐き捨てた。

「よろしくお願いします」

 オーエンの後ろに乗り、腰にぎゅっと回す。多少の羞恥心はあるが、安全の方が大事。以前は抱きつきが弱く振り落とされ、頭から真っ逆さまで地上に落ちかけた。あのときはパンツルックだったからいいけれど、今日はあのポーズになったら乙女の終焉である。
 ふわり。箒が浮かび上がり、晴れた空を進んでいく。

「……甘い匂いがする」
「あ、私かもしれません」

 ふいにオーエンが晶の方を向いた。晶の耳元に顔を近づけ、鼻をすんと鳴らす。
 前触れのない接近に、晶は箒から落ちそうなほど動揺してしまった。

「お菓子でべとべとの子どもみたいな匂いだね」
(それって褒めて……は、いないか。オーエンってお菓子が好きなだけで、匂いだけが好きなわけではないだろうし)

 オーエンの一挙手一投足に、とにかく冷静に思考しようと努めるクセがついている。
 言動の裏を想像すること忘れたくないけれど、一喜一憂するとキリがないし、想像もつかないところに落とし穴がありそうでほんのり怖かった。



▽side オーエン

 単独行動の禁止令が出て以来、晶はあまり外出をしないように心がけているらしかった。
 以前は気ままに街歩きを楽しんでいたようだが、私用に魔法使いたちを同行させることを申し訳なく思っているのだろう。

 そのため今回の外出は、最近の彼女にしてはかなり珍しいものだった。

 ――どうしても必要なものがあって……私が自分で買いに行く必要が、ありまして……。

 彼女がそんなしおらしく頭を下げれば、我こそはと名乗り上げるヤツは山ほどいた。
 オーエンはドルチェバイキングを盾にして、そんな連中を押しのけて同行権を獲得したのだ。そんな経緯は無論、彼女の知るところではないのだけれど。


「人が多いですねえ……!」

 久しぶりの街歩きに、彼女は目を輝かせていた。
 スカートの裾や髪の束が、歩くたびにぴょこぴょこと揺れている。彼女の浮足立った心を表しているようでおかしく、ついちらちらと目をやってしまう。
 露天を眺め、ショーウィンドウに近づき、ふとしたことで「オーエン」と声をかけてはニコリとする。
 人混みではパンの焼ける匂いや果物の皮の匂いや、真新しい紙とインク、動物の皮など、無数の匂いが混在しているのに、彼女がほんの一振りした甘ったるい香水の匂いが、オーエンの鼻腔から消えなかった。


「オーエンは店の前で待っていてください」

 そうして目的の店の寸前。
 曲がり角でぴたりと足を止め、晶は突然そんなことを言った。

「は、何だよそれ」
「すぐ済ませますから!」
「へえ。賢者様は僕が一緒だと恥ずかしいんだ?」

 言い慣れた意地悪のつもりだった。彼女が続ける言葉は「恥ずかしいわけじゃないです」で、そこにオーエンは「じゃあいいだろ」と返し、何かしらの事情があれど結局は一緒に店に入る想定だった。

「…………っ、はい!」
「……は?」

 しかし彼女は、オーエンを見つめてきっぱりと言い放った。

「オーエンが一緒だと、恥ずかしいです……!」

 驚愕。愕然。
 オーエンは咄嗟の言葉を失い、しばし彼女を観察する。
 引き結んだ唇。ほの赤い頬。こちらを見上げる瞳は、所在なさげに揺らいでいた。
 面白くて、面白くない。

「行くよ」
「え、わっ」

 オーエンは晶の手を掴み、強引に引いた。まるで仲睦まじしいカップルのように指を絡め、決して逃げられないように腰も抱く。

「ちょっ、ちょっとオーエン! 本当にだめ、だめです……!」
「あはは、必死だね。僕をそこまでして近づけたくないお店ってどんなお店?」
「オーエンが行っても面白くないお店ですよ!」
「少なくとも今の僕はすごく面白いよ。焦って慌ててグダグダな賢者様をもっと見せて?」
「あっ、だから……っ」

 目的地は角を曲がってすぐだった。ちょうど買い物を終えた客を店員が見送ったところだったらしく、扉は開け放たれたまま。「いらっしゃいませ!」と明るい声が飛んでくる。

「どうぞ店内、ご自由にご覧ください」

 そこは女性の下着専門店だった。








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