まほやく | ナノ







 オーエンを初めて見つけたのは、百年くらい前だと思う。
 彼は頭や体のあちこちから血を流して、私の屋敷の前に倒れていた。

「……魔法使いの、死体?」

 初めは死んでいるのだと思った。
 だけど肉体がいつまでも残っていて、一向にマナ石になる気配がない。
 だけど胸元に耳を押し付けても、心臓の鼓動は聞こえなくて。

「…………一応、連れて帰ろうかな」

 ここは寒さ厳しい北の国だ。この日も朝から吹雪いていて、彼の死体(仮)も見つけたときには半分凍っていた。青白い肌、銀灰色の髪、白基調の衣服のいずれもが、雪の中で輪郭を曖昧にしている。
 瞼は固く閉じられ、長い睫毛は赤黒い血で固まっている。腕利きの職人が掘り上げた雪像のように美しい容姿をしているようだけれど、全身の負傷のせいでそれなりに無惨だった。

(手当の魔法、下手くそでごめんなさい)

 心の中で謝罪しながら、一際目立つ腹の穴だけは塞いだ。だが彼は引き続きピクリともしない。

「屋敷までお願い」

 呪文を唱え、魔道具を掲げる。植物を操って蔓を伸ばした。植物だから口は利けないけれど、私が種から魔法をかけて育てた子たちなのでこうして従ってくれる。
 太く長い蔓がしゅるしゅると、彼の死体(仮)に巻き付いて持ち上げた。そのまま私の体も乗せて運んでくれる。



 私の家は植物屋敷だ。
 一年を通し、壁面を葉や蔓や茎や花や羊歯や、あらゆる植物が覆っている。
 雪と氷に閉ざされた北の国では異様な光景なので、客人の目印にちょうど良い。

 暖炉に薪をくべ足し、彼の体はリビングのソファに寝かせる。羊毛の毛布をかけてあげようとしたところで、さすがに血くらいは拭おうと思い立ち、横たわる彼の隣にしゃがみ込んだ。

「あ」

 私の胸ポケットから、ぽろりと一粒の種が落ちた。特殊な魔法植物の種で、育てるのが難しい。まずは土壌を整えなければと持ち歩いていたところだった。
 その種が、彼の胸元に落ちる。正しくは、服にこびり付いた血の上に。

「……っ、待って! だめ!」

 慌てて手を伸ばしたけれど遅かった。種はカッと発光し、またたく間に発芽して、爆発的なスピードで成長していく。
 特殊な魔法植物。この種は生き物の血を吸って成長し、その血の質によって異なる花を咲かすのだ。

(あの魔法使いの血を吸って……!)

 あっという間に部屋じゅうを緑が覆い隠した。ばりん、がちゃん、ごろごろとあちこちで破壊音が鳴る。育った植物が窓ガラスを突き破り、家具を落としたり割ったりしたのだろう。
 私の体もまた、勢いよく伸びてきた茎に吹き飛ばされる。全身を襲う衝撃に、思わず意識が遠のきそうになって――

「おい」
「ぐっ」

 喉元が締め上げられる苦しさで、はっと意識が戻ってきた。

「どういうことだよ、これ」
「え…………あ!」

 私は気づけば空中にいた。息が苦しいのは、首根っこを掴まれているからだ。
 あの魔法使いが、いつの間にか息を吹き返していた。緑の屋敷から距離を置くために、箒を取り出して飛んでいる。
 数メートル下には、私の屋敷がある。窓や煙突からうねうねと飛び出す、件の魔法植物。
 その蔓がしゅるしゅると伸びてきて、私の目の前で花が開いた。

「…………きれい」

 この世に存在するどんなものよりも、美しい花だった。息が凍る空気の中に、凛と咲き誇る力強さと麗しさがあった。
 恍惚とした息が溢れる。涙で視界が白んだ。

「おい。説明してよ」

 降り注ぐ不機嫌そうな声。ぐいっと引き上げられ、一層締め付けられる喉元。
 だけど私の心から湧き上がるのは、ただただ彼への感謝の念ばかりだった。

「ありがとうございます」
「はあ?」
「本当に……あなたのおかげです……っく、う、うう」
「は、は……? おまえ何、泣いてるの?」

 箒が地上に向かい、私は雪原に放り出される。
 このとき私は、ようやく生きている彼と対面することになった。

「あなたの血のお陰で、こんなに綺麗な花が咲きました!」

 私は号泣しながら、満面の笑みでその花を見せつける。
 彼は端正な顔を歪め、「何それ」と吐き捨てたけれど。

「私は晶。この屋敷に住む、しがない北の魔女です。あなたは?」
「……オーエン」
「オーエン! お願いがあります!」

 身を乗り出し、オーエンの両手を握る。相変わらず、死体のように冷たい手だった。

「私の花に、血を分けてくださいませんか?」







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