まほやく | ナノ







▽▼十六歳・お祭りごっこ

 赤点なし、補習なし。理想の形で、高校二年生の夏休みを迎える。

「は? 彼氏も作らないで、何が理想の夏休みよ」

 しかめっ面の友人が、夏休みの課題について書かれたプリントをぐしゃぐしゃに丸めながら、晶をじとりと睨みつける。

「氷の王子様はどうなったわけ?」
「ねえオーエンのこと王子様って呼ぶのやめない?」
「はぐらかさないで。今日という今日は絶対に聞き出すから」

 そのままずるずるとファーストフード店に連行され、人気の少ない席に着席。ポテトとナゲットとシェイクを前に、尋問が始まった。

「告白現場から、王子が晶を連れ去ったって噂になってるから」
「うそ、なんで……?」
「晶に告ったあいつの友達が、校舎の影から見守ってたんだって。友達がフラれた話だから、大々的に言いふらしたりはしなかったらしいけど」
「ううー……そっかぁ……」

 晶はしかめっ面で、シェイクのストローを啜る。ひんやりと甘いミルク味が広がるが、心は浮かない。

「連れ去られてないよ。オーエンが告白現場に居合わせちゃったから、邪魔しないでって追い出したの」
「でもフッたんでしょ? それって好きな人がいるからだよね? 晶、あいつと仲良かったもんね?」
「……好きな人がいなくても断ったよ。仲良かったけど、恋愛で考えたことなかった」

 二つはセットのようで、まるで別の話なのだ。別軸の自覚が決定的になったのは、確かに先日の告白だけれども。

「好きな人はいるんだよね?」

 友人は珍しく食い下がった。これまで有耶無耶に煙に巻いていたが、そろそろ潮時なのかもしれない。

「んー……内緒ね。いるよ」
「相手は王子なんだよね?」
「それも内緒」
「……付き合ったら教えてくれる?」

 驚いて彼女を見やる。少し拗ねたように口を尖らせているけれど、その視線は優しかった。察しが良く、思いやりがある女性なのだ。ミーハーだが、大切な秘密はしっかり守ってくれるだろう。

「うん。ちゃんと告白したら、どんな結果でも絶対教えるね」
「フラれることはないでしょ」
「いくらでもあり得る。私、恋愛の超初心者だし」
「だったら夏休みを逃したらだめだよ」

 友人はカリカリに揚がったポテトの先で、晶をビシリと指した。

「夏休みはイベントの宝庫! 初心者にもバフがかかりまくって、勢いでなんとでも押し切れる大チャンスだから!」
「わ、わかった。海水浴とか行けばいい……!?(これは一応予定あるし)」
「いきなり海!? 二人きりで!? ハードル高っ、何すんの!? 波に揉まれて髪もメイクもぐじゃって披露困憊でバッドエンドだわ!」
(終わった……)
「海ならせめて、波打ち際の散歩とか。東京湾をナイトクルージングとか」
「ええ……水着は……?」
「グループ海水浴かプール。あ、カップルじゃないならナイトプールはだめだよ」
「難しいよ……サマーランドならいい?」
「正直どうやって遊ぶかによる。波のあるプールでぷかぷかとか、流れるプールでぷかぷかとかならいいと思うけど」
「ウォータースライダーは禁止ってこと?」
「頭から水被る可能性を排除した方がいいのよ。あ、でも二人乗りのスライダーならいいんじゃない、密着チャンスだし」
「どっちが蹴っ飛ばしたとかでケンカになったりしないかな?」
「そんな器の小さい男いる? じゃあほら、水着で入れる温泉エリアに行くとか。あそこなら混浴だし」
「えっ、え……それはちょっと……」
「ん。わかるよ、水着なのにお湯があったかくなるだけでちょっとエッチなの、ウケるよね。そこを狙うんだよ」

 そう言われてノリノリになれるわけでもないが、まんざら無縁だと笑い飛ばすのも難しい。
 高校二年生の夏。中二の子どもっぽさも、大二の大人っぽさも持っていない、青くまばゆくどうしようもない一握りの季節。
 出来ることなら、心ときめく時間を過ごしたい。が、急いては事を仕損ずるとも、思う。
 どんな失敗をしても時を巻き戻せないのは、高二だろうがなんだろうが人類すべての常識である。

「あと逃しちゃいけないイベントって言ったら、花火大会じゃない?」
「……あ。あるね」
「浴衣! お祭り! 肌を出さずに色気アピールもできるよ。晶は髪長いし、ヘアアレンジやり放題じゃん!」

 俄然乗り気の友人を前に、晶も「確かに」と首肯する。

(オーエンの浴衣姿、見たいな。日本の夏の風物詩だから新鮮だろうし、お祭りグルメも好きなもの多そう)

 心が逸るのを感じながら、晶は再びシェイクを手に取る。プラスチックのカップの表面は、水滴でびちゃびちゃになっていた。



『僕以外の客が一人も来ない夏祭りなら行ってもいいよ』

 電話口のオーエンは、王子様だって振りかざさないようなワガママを述べられた。
 晶は数時間前の自分を嘲笑う。雨天や猛暑を理由に学校をサボるオーエンが、どうして人いきれでむせ返る夏祭り会場に足を運ぶと思ったのか。
 夏休みだからって浮かれ過ぎないように。終業式で教師から言い渡されたことを、その日のうちに忘却しきった結果である。

(そこそこ勇気を出して誘ったんだけどな……)

 晶は電話の向こうに聞こえないくらい微かにため息をつく。

 あの告白の一件からも、オーエンと晶の関係に変化はない。

 ――どうやったらもう一度、おまえと出会い直せるのかずっと考えてた。

 オーエンの言葉を反芻し、どう追求したらいいのか、そもそも追求したいのか悩んでいるうちに、試験期間に突入。家で一緒に勉強したり、お茶をしたりはなくなった。
 だが気まずくてぎくしゃくとした態度を取っていたのは、(少なくとも表面上は)晶だけで。オーエンは学校で会えばこれまでと変わらずに接してきた。何もなかったみたいに。
 そうして晶は、そのテンションに乗っかっている状態である。少なくとも今は、一時的に。

(私は今も、オーエンのこと好きだったんだ……)

 初恋だった。もう一度会いたいと思っていたけれど、それはあの頃の淡い恋心を成就させたいわけではなかったと思う。
 今は今。自分の心と向き合う覚悟、そしてオーエンの望む関係を見極める覚悟をしなくてはならない。
 そして二人の今後について、舵を切る覚悟だ。それが晶が自分自身に課した、夏休みの宿題である。
 ……有り体に言えば、「脈がありそうならアタックする」。「迷惑をかけそうなら、そっと引く」。我ながら及び腰だとは思うが、現状はここが限界だ。

「じゃあせめて、かき氷パーティをしませんか?」
『……何それ?』
「私の家にかき氷機があるんです。家で氷を削って、好きなシロップを好きなだけかけて、涼しい部屋でかき氷を食べましょう」

 オーエンは電話口でしばし考え込み、それから『僕の家まで持って来て』と許可をくれた。






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