まほやく | ナノ









 期末試験も数日後に迫った、ある昼休み。
 晶は隣のクラスの男子に呼び出され、人気の少ない図書館裏に出向いていた。

「わざわざ来てくれてありがとな」
「ううん。大丈夫」

 彼とは一年生のときに同じクラスだった。
 席が隣になったこともあるし、クラスマッチで応援係を一緒にやったこともある。
 二年生に進級してからも、廊下ですれ違えば挨拶をしたし、たびたびなんてことのない雑談メッセージが届く。

「まあ、こうなったら俺の用事なんてバレてるとは思うんだけど……」

 確かにこうもシチュエーションがそろえば分かる。
 先ほどからそわそわと落ち着かない彼の雰囲気につられ、晶も緊張してきた。

「真木、付き合ってるやついないよな?」
「いないね」
「好きなやつは?」
「えっと……」
「あー、違う。ごめん、こういう外堀り埋めるやつじゃなくて!」

 彼はがりがりと後頭部をかき、それからまっすぐに晶を見据え、

「俺と付き合ってくだ」「おい」

 一世一代の告白は、ドスの効いた声に両断されてしまった。

「わっ、オーエン!」

 晶は背後から後頭部を鷲掴みにされた。顔を見なくても正体は明らかである。

「スマホ見ろよ、晶」
「え……あっ、着信? ごめんなさい今ちょっと」
「僕の用事が先」
「ちょ、ちょっと……っ」

 オーエンの手は、後頭部から手首へ。晶をぐいぐい引っ張って、その場から立ち去ろうとする。

「待ってくださいオーエン、急ぎますか? 今大事な用事の最中で」
「大事な用事って何?」
「え、あう、その……」

 いざ真正面から問われると、ぱっと答えられなかった。
 大事な用事だ、嘘じゃない。
 だがそれを晶から言っていいものだろうか。

「答えられないようなものなら、大事じゃないだろ」
「勝手なこと言わないでください」
「僕に隠したいような、後ろめたいことでしょう?」
「……っ、別に!」

 小馬鹿にするような物言いに、ついカッとしてしまった。
 語調を強くする晶に、オーエンが僅かに目を瞠る。
 思ったより強い言い方になってしまったが、今更引っ込めることもできない。

「後ろめたくないですよ! 見れば分かるでしょう、告白されてるところですよ!」

 晶はオーエンを睨んだ。
 腹が立ったのだ。そんな言い方をしなくたっていいじゃないかと。

(勇気を出してくれたんだと思う。私だったら……きっとそうだから)

 これまで友達付き合いをしていた相手に、改めて想いを伝えるということ。どんな結果であれ、これまでの関係を変えようと一歩踏み出すこと。明日からも続く日常という水面に、石を投じて波を立てること。

(私だったら、すごく怖い)

 八つ当たりだと思う。背後で唖然としている、告白最中の彼に申し訳なくなった。
 彼のために心底怒っているのではない。彼に自分を重ね、自分を軽んじられたように感じて、悲しくなっているだけだから。

「…………」
「…………」

 晶は目を逸らさない。
 オーエンもまた、黙って晶を見つめている。
 隣のクラスの彼も、固唾を飲んで見守っているのが気配で分かった。

「……やっぱり、どうでもいい用事だ」
「は!?」
「告白。どうせ断るんだったら、どれだけ時間をかけても同じだろ」
「な、な……」

 衝撃でわななく晶から視線を外し、オーエンは背後の彼に呼びかける。

「おい、おまえ」
「なっ、何だよ?」
「これから確実にフラれるけど、それでも告白したい?」
「は…………」

 呆気にとられている同級生に向かって、オーエンは畳み掛ける。
「何、こいつと付き合えると思ったんだ? どのくらいの成功率を見込んでたのか聞かせてよ」
「ちょっと、オーエン! いい加減にしてください!」
っ、俺は、一年の時から真木を見ててっ」
「たかが一年ぽっちだろ。しかもどうせ歯抜けの時間だ、実際は一年にも満たないよね?」
「な……っ」
「24時間、365日、真木晶のことを考えてた? 知り合ってからずっと発情してたの? 他の女に目移りしたり、食ったり寝たりしてる時間もあったよな? 最近はどれだけまともな会話をした? それにさ、真木晶の方はどのくらいおまえのことを考えていたと思う?」

 彼の顔が青ざめていく。言い返そうと言葉を発しても、オーエンが完膚なきまでに叩き潰してしまう。正論ではなく暴論で。

「お、俺、俺は……」
「あはは、仮にも好きな女の前で、よくそんな情けない姿を晒せるね」

 たとえばピアノ線のような細い糸で、じりじりと喉元を締め上げられているような、不快で苦しい時間だった。言葉を向けられている彼にとってはもちろん、側で聞いている晶にとっても。

「オーエン、やめてください」

 縋り付くように、オーエンの袖を引く。

「何を? 事実を伝えるのを?」
「違う、違います」
「何が」

 オーエンは首だけで晶を振り返り、端正な顔を歪めた。

「何だよ、その顔」

 傷ついた顔ですよ。そう言おうとしたけれど言えない。声にできず、飲み込むだけで終わってしまう。
 オーエンに晶を傷つけるつもりなんてなかったはずだ。晶が勝手に、傷ついてしまっただけ。

(私に向けられた言葉じゃないのに……全部刺さって、痛いな……)

 7年間。24時間、365日を、7年。
 ずっとオーエンに会いたかった、つもりだった。たくさんの人に愛されている彼を、心のどこかで、自分が一番想っているのだと信じていた。
 そんな勘違いを、本人からの言葉で一刀両断されたのだ。

「……オーエンには、いないですか?」
「何が」
「いつもいつも考えてるわけじゃないけど、たまに思い出して、そっと嬉しくなって、明日から生きていく力になるような……そういう、ぽっと湧き上がるような相手とか」
「真木……」

 感慨深そうに名前を呼ばれたけれど、彼の方を見ることはできなかった。これはフォローでもなんでもない。晶がオーエンから彼を庇ったように思われているのも、自分だけいい子ぶっているようで居心地が悪かった。
 だがそれでも、晶は一縷の望みをかけて、オーエンを見上げた。
 美しい形容はできなかった。月や星のように、光らずとも常にそこにあって、周囲の条件次第で浮かび上がるものなんです。そんな風に、詩や物語のように紡いで渡せたら良かったのにと切に思って、

「いないよ」

 オーエンの冷たい声に、再び斬り落とされてしまう。

「僕にそんな、生優しい感情があると思う?」
「おい、お前! 折角真木が、気を遣って……」
「黙れよ」

 鋭い声に刺され、彼はぎゅっと唇を引き結んでしまった。それを確認し、オーエンは晶だけを睨みつける。

「僕はそんな、中途半端な気持ちじゃなかったよ」
「…………オーエン?」

 冷たい声。冷たい瞳。
 ただひとつ、そっと伸びてきた手のひらだけが、信じられないほど優しく晶の頬に触れた。

「7年間。24時間、365日。ずっと考えてた。今何をしてるのか、無事でいるのか、辛い思い出に苦しめられていないか、もっとちゃんと守ってやれなかったのか」

 存在を確かめるように、オーエンの指先が輪郭をなぞる。

「どうやったらもう一度、おまえと出会い直せるのかずっと考えてた。だからこいつが今、おまえにどんな告白をしようと、僕の用事の方が大事なんだよ。分かった?」

 やはり暴論だ。納得できるわけがない。どんな暴君の理屈だ。およそ承諾できるものではない。
 だから晶は首を振る。むすっとしたオーエンの言葉を、両の手のひらで抑え込む。
 オーエンにどんな用事があろうと、一旦はここから追い出して、中断されてしまった告白を最後まで聞く。

 そして誠心誠意、お礼を伝える。そして謝るのだ。


 ごめんなさい。好きになってくれてありがとう。でも付き合えない。私は好きな人がいるから。






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