まほやく | ナノ







【晶】 

▼1月末

 花も恥じらうというのは、美しい花までも恥ずかしがるほど、若く美しいさまを表す言葉らしい。
 基本的には女性に使われる言い回しだが、晶は常々「オーエンにぴったりの表現だな」と思っている。

(だって本当に、オーエンは綺麗だから)

 容姿淡麗であるのは言うまでもなく、その生き様も美しいのだ。
 性格はひねくれていて意地悪だが、揺るぎない芯を持っている。他人に振り回されたり、怖気づいたりしない。
 
 この季節、彼はいよいよお花じみてくる。鳥や虫を大量に惹きつける花々のような――バレンタインである。
 浮足立つ乙女たちを、引き寄せられる虫のようだと思ってしまったことに、晶はいくらかの罪悪感を覚える。なんて醜い心なのだろうと自己嫌悪し、それから「まあ私も虫だろうな」とため息をつく。

 初めてオーエンに手作りのチョコレートを渡したのは、小学生のときだ。
 溶かして固めてアラザンを振っただけの、今思うとどうしたらいいのか分からないチョコの塊だが、オーエンは食べてくれた。

 ――固い。馬鹿みたい。
 ――噛みにくい。歯が折れそう。
 ――舐めてるうちに夜が明けた。

 などと文句を言いながら、「次はドライフルーツを入れろ」「クッキーが食べたい」「マフィンが食べたい」「ホットチョコレートが飲みたい」と年がら年中リクエストするようになる。オーエンにかかれば、前後半年がバレンタインだ。
 ある意味では、とても楽な相手なのだった。

「オーエン、今年のバレンタインは何がいいですか?」

 極めて平生を装って、手作りレシピの本を広げてみた。
 帰り道のベンチ。砂糖を4つ入れたカフェオレを飲みながら、オーエンはぐっと距離を詰めて、晶の手元を覗き込んだ。

「これ、調理実習で焼いてたやつ。乾燥剤みたいな食感だった」
「ブラウニーですね。あのときナッツをたくさん入れましたからね」
「あと蝋燭みたいな形で、中がもちもちの」
「カヌレ? 前に一緒にいったカフェでも食べましたね。小ぶりなやつも焼いてみたいなあ」
「練習するの?」
「ああ、はい。初めてですし」

 これまでのバレンタインも、中学生になったくらいからは、オーエンに贈るものは試行錯誤の末に生み出されたものである。そう言えば本人に伝えたことはなかった。

「じゃあ練習台になってあげるよ」
「えー……」
「なんだよ、その顔」
「ひひゃいひひゃいれす」

 頬を引っ張られた晶が抵抗すると、オーエンが「変な顔」と笑う。内心「そりゃそうだ」と思っても、晶は何も言い返さなかった。

「オーエンに成功したのをあげたいのに、オーエンで練習する意味って何ですかね……?」

 素直に伝えれば、今度はオーエンが"変な顔"をする番だった。口に入れたものをなかなか飲み下せないような、奇妙な表情で硬直している。

「……オーエン?」
「おまえ、今さら僕に取り繕ってどうするの?」
「ええ、今さらも何も、良いところ見せたいなんて普通じゃないですか。過去失敗してる分、むしろ名誉挽回というか」
「失敗? ……ああまあ、おまえが微妙な食べ物を錬成するのはよくあることだけど」
「でしょう? ……ん? でしょう?」

 深く考えると良くないような気もして、晶はかぶりを振り仕切り直す。

「ん! ブラウニーとカヌレにします!」
「……なんか気合入れてる?」
「来年は受験生ですし、こんなにバレンタインで騒げるのも最後な気がするので」

 オーエンはまたしばらくポカンとしていた。どうせ受験のことなんて忘れていたのだろうと思う。


▼2月14日

 他人を寄せ付けない性格をしているため、オーエンをよく知る女子生徒たちは、直接チョコレートを渡したりなどしない。
 そのためこの日、彼のロッカーや靴箱は、華やかな包みでいっぱいになる。手作りは食べない主義であることは知れ渡っているため、すべてが既製品である。
 ただしこれは、あくまで校内に限る。

(今どきバレンタインチョコで告白をする女子なんかいないと、よく耳にするけど……実際のところ、好きな人とお近づきになれるイベントではあるんだよね)

 オーエンはあの容姿なので、気合を入れた老若男女が、行く先々で彼を待ち構えているのだ。

(……というのをまあ、目にするのがしんどい年頃になってきたな)

 近所の公園でブランコを漕ぎながら、年頃の問題なのかと、晶は自分で自分を諌めてみる。

(まあ手作りを食べてもらえるだけ、私は特別枠だから……)

 この特権があるのに、どこかそわそわと落ち着きない気持ちになってしまう。
 だって既に、晶がどんなチョコレートを作るのか、どんな味になるのか、大体のところは見当をつけられているのだ。何度も味見係を頼んでいるので当たり前である。

(オーエンは甘党だから、お菓子が調達できるバレンタインはいつもご機嫌。ご機嫌なオーエンを見るのは、私も嬉しくて……)

 嬉しくて、何?

「おい」
「……あ」

 足元に影が指す。何故か息を切らしたオーエンが、晶を見下ろしていた。

「おかえりなさい」
「……何してるの」
「ぶ、ブランコです」
「スマホ見ろよ」
「あ」

 着信とメッセージの山。「何か急用でしたか?」と慌てて頭を下げれば、オーエンは盛大に舌を打った。

「バレンタインだろ」
「わざわざ来てくれたんですね。ありがとうございます」
「一緒に帰れば話が早いのに」
「毎年バレンタインは別々じゃないですか。オーエンにチョコを渡す子がたくさんいるから……あれ?」

 そう言えば、見るからに学校帰りの割に、オーエンは手ぶらである。

「チョコは置いてきたんですか?」
「……もらってない」
「は?」
「今年は一個ももらってない」

 唖然として、つい手に力が入ってしまった。ブランコのチェーンが軋む。誰もいない小さな公園に、キイ、と小さな音が響く。
 オーエンはその場に突っ立ったまま、晶を真っすぐに見下ろしていた。

「その方がいいだろ」
「い、いい……? だって、チョコ、好きでしょうオーエン」
「好きだよ。だから貰いにきた」

 キイ。またブランコが鳴る。今度はオーエンが、そのチェーンを握ったからだ。
 二人の距離が、一歩分縮まる。

(今どき、バレンタインチョコで、告白をする女子なんていないと……)

 友達に聞いた話、ネットで見たフレーズ、過去のあらゆるバレンタインの記憶。
 そういうものがぐるぐると渦を巻き、晶の脳内を巡っていく。







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