It is impossible to love and be wise.
鷹斗→撫子
寅之助BADEND「ひとつめのとりかご」


長い髪を靡かせてくれるから、風を好きになれた。
加減によって違った色を見せてくれるから、光を好きになれた。
今までなんとも思っていなかったものが彼女の影響を受けて心に溜まる。

全ての中心は彼女。気安く触れて良いものではない。
況して、傷つけて良いはずがないと
デスクの上の髪束とそれが撫子のものであるという検査結果に
鷹斗の中でまた一つ、怒りが芽生える。

撫子がこれ以上傷付いてしまう前に何としても取り戻さなければいけない。
怒りが滲んだ決意は冷酷な色をしていた。


『あーあー、キング。聞こえてますかー?』


ふと意識の中へ入り込んできたノイズ交じりのその声に
薄ら現実に引き戻されたような気になりつつ、
白黒世界の中から通信機を見つけ、手に取ったなら
『ちょっと、面白いことになりましたよー』なんて
あまり良い報告とは思えないそれが届く。

彼が喜ぶ事態にろくなことはないという認識で
「何か緊急事態でも?」と感情薄に投げ掛けたところ
通信機は含み笑いを零したのち、答えた。
『今、研究所に識別コードを持たない少女が連れてこられたんですけどねー』と。

勘のいい鷹斗はそれが誰なのかすぐに気付いたが
待ち望んでいたとはいえ、あまりの急展開に僅かながら疑いを持ってしまう。
一方で、渦巻く怒りも目の前の暗闇も光に照らされ白く塗りつぶされて。
世界がひらけてゆくのを感じたなら、鷹斗は何の躊躇いもなく駆け出していた。


『とりあえず、キング。こっちに来てもらえますー?
彼女、ひどく混乱しているみたいで…何より、いえ。とにかく早く来てください』


通信が切れるが先か、鷹斗が部屋を出て行くが先か。
テーブルの上の通信機はその言葉を最後にプツリと切れた。

機械音が耳に触れる廊下はいつも通りであるはずなのに
彼女へと続いていると思うだけで鮮やかに、そして特別に思える。
痛いくらい脈打つ鼓動も苦しいくらい弾む息も、
忘れかけていた“生きている”という感覚を思い起こさせる。
同時に彼女と会うのが嬉しいような怖いような、
幾つもの感情を抱えて重たくなった身体は、研究所の扉の前で立ち竦んだ。


「全く…そんなところで悩んでいないで、早く入ったらどうですか?」


背後から聞こえてきた声に振り返れば、ビショップの姿。
いつからそこにいたのか、彼はじれったそうに
「彼女に会いに来たんでしょう?」と言う。
その顔には何を今更躊躇っているのかと呆れの色が窺えて
「うん…まぁ、そうなんだけどね」そう歯切れ悪く返してしまう。

それでも、彼から逸らした視線は扉の向こうを見据えるしかなくて。
鷹斗は大きく深呼吸したのち、一歩前に踏み出した。


「あ、漸く来ましたかー」
「どうせまた、扉の外でウジウジしてたんだろ?」
「まぁまぁ、カエル君。キングにも心の準備があったんでしょう」
「ったく…もうちっと早く来てたら話くらいできたかもしれねぇのによ」
「それはどうでしょーねぇー。彼女、かなり取り乱していましたし」


研究所に入るとレインとカエルの賑やかな会話が出迎えてくれた。
彼らは好き勝手言うものだから、いまいち要領を得なかったがそれに構わず。
鷹斗は幾つもの機械が所狭しに置かれ落ち着かない室内を見渡し、
最愛の人の姿を探す。

そして、ある一点に視線が触れた瞬間、
今までの躊躇いなんて忘れて、駆け寄っていた。


「撫子…!」


彼女は寝心地悪そうな診察台の上に寝かされていた。
固く閉ざされた瞼に一瞬、ひやりと嫌な予感が掠めたが
レインから眠っているだけだと教えられ、安堵する。


「彼女は、いつ目を覚ますかな?」
「さぁ、どうでしょう。あまりに暴れるので強めの薬品を嗅がせたんですよ。
目覚めても暫くは会話も真面にできないかもしれませんねー」
「そっか…うん、でも。良いんだ。永遠みたいに永い時間、
目覚めるかも分からない彼女を待ち続けていた日々に比べたら…ずっと良い」


独り言のように呟いた鷹斗は改めて彼女がここにいてくれる幸せを感じながら
ふと疲れ切った寝顔に指先を這わす。
まるでガラス細工に触れるみたいに恐々と。

寝不足だったのか目元には薄らと隈が浮かんでいるし
白いワンピースは少し草臥れているようだ。
何よりも綺麗だった黒髪が不揃いに切られていることに憤りを感じる。


「キング。こんな時になんですが…
今回の有心会の件、どうなさるおつもりですか?」


鷹斗の瞳に籠もる有心会への怒りに気付いてか
円が遠慮がちに声を掛けてきたけれど、
鷹斗はその答えをすぐに返すことができなかった。

愛する彼女を傷つけられた怒りはある。
だけど、不思議なことに復讐したいという感情は湧いてこない。
撫子はそんなことを望まないと、心のどこかで気付いているからかもしれない。

とはいえ、撫子が再び狙われるかもしれない可能性を考えて
このまま放置し、調子付かせてはいけないと思う。


「円に任せるよ…」
「はぁ…それは構いませんが。良いんですか?」
「うん。撫子を取り戻した俺は、残酷になんてなれないから」
「それじゃまるで、僕が血も涙もない悪魔みたいじゃないですか」
「そうじゃないよ」


ただ円なら、何の感情にも囚われず、相応の制裁を下してくれると思ったのだ。
そう言ったところで円は腑に落ちない様子であるし
傍らのレインも少々つまらなそうだ。

それでも、鷹斗は答えを変えなかった。
今何よりも優先すべきことは彼女の身の安全と、
この場所に留めておく方法を見つけること。
もう二度と、彼女を失いたくないから。


まずは綺麗なワンピースを用意しよう。
それから、不揃いな髪を整えて。
甘いお菓子と紅茶、花束の準備もしたい。

そうしているうちに、きっと撫子は目を覚ますはずだから。
期待と不安と、幾つもの感情に促され、止まっていた刻が間もなく動き出す。





End



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