壊劫

  微睡む世界 2



彼女のことばかり考えて1日を過ごした。
なんて、イッキにとってはいつものことなのだけれど
今日は特に占める割合が大きかったように思う。
彼女と一緒に住むことになって、少しは安心できると思っていたが
1人きりで大丈夫だろうか、家へ帰った時に彼女がいなくなっているのではないか
そんな不安から全てを放り出して帰ってしまおうかと何度思っただろう。

その度に、どれも彼女のためなのだと自分に言い聞かせ、
長い1日を終えたイッキは、街を染める夕日と長く伸びる影を
今にも飲み込もうとする夜から逃げるように、帰路を急ぐ。


「っ!ちょっと、君。こんなところで何してるの!」


早く彼女に会って、今日1日の不安が全て無駄であったと笑い飛ばしたかった。
だけど、どんなに早く彼女に会えたところで
それがこの場所では、嬉しくなんてない。
安心なんてできるわけがなかった。

イッキが驚きをあげて、マンション前の石段で蹲った彼女に駆け寄ったなら
彼女は膝に埋めていた顔をのそのそと上げて
「イッキさん…おかえりなさい」とぎこちなく口を開く。

イッキの帰宅を喜んでいるわけでも、外に出たことを悪びれるでもなく
ただ疲れた様子の彼女に対し、イッキはその真意が読めず顔を顰める。


「あれほど言ったのに何で外に出たりなんかしたの?
まさか、僕の帰りを待ってたわけじゃないよね?」
「…部屋に独りでいたくなかったから。その、すみません」
「だからって、こんなところで何してたの?
誰かに話しかけられたり、何か思い出したりしなかった?
ていうか、そんな無防備な格好で何かあったらどうするの?」


彼女を責めるつもりはなかった。
ただ、自分の考えの甘さと配慮の足りなさに腹が立って
彼女の腕を掴んで引っ張る力が強くなる。

繋がったそこから伝わる彼女の戸惑いと僅かな怯えに構わず
「とにかく、中に入ろう」と声を掛けて
エントランスへ歩き出したなら、彼女は腕を引かれるままに付いてくる。
足音が揃わぬまま、エレベーターホールで立ち止まったなら
彼女の呼吸が、心臓が、止まっているのではないかと思えるほど
辺りは静まり返り、イッキも漸く冷静を取り戻す。

同時にまた別の不安に襲われたイッキが
少し後ろに立つ彼女の顔色をおずおずうと窺ったところ、
中々に不機嫌そうな表情が見えたため
予想外でありながら、彼女らしい反応に思わず笑ってしまう。


「どうして、いきなり笑うんですか?」
「っ、だってねぇ。君があまりに素直だから、可笑しくて」
「…イッキさんが強引に引っ張るからじゃないですか」
「いや、そうじゃなくて。僕への不満が丸分かりって意味」
「…」
「僕に世話になってるからって気を遣ってるんでしょ?
良いよ。言いたいこと言っても」


未だ引っ込められぬ笑みを交えて言ったイッキは彼女の手を離し、
一足先に到着したばかりのエレベーターに乗り込む。
漸く自分の意思で動けるようになった彼女はというと
視線を落とし何やら考え込んでいる。

ここでイッキから離れていくこともできたはずだが
何かを決意したように顔を上げた彼女は自らの意思で一歩前に踏み出した。

エレベーター内に彼女が入ってすぐに重たい扉は閉まる。
モーターの音がカゴを揺らし、
扉の上に浮かぶ階数表示がカウントを始めたのを合図に彼女は口を開く。


「私にはイッキさんの考えていることが分かりません。
だからといって、私が突っ込んだ質問をしたらイッキさんは困りますよね?」
「…まぁ、内容によってはね」
「私は何も教えてもらえず、1人踊らされている気分です」
「気持ちは分かるよ。でも、全て君のためだって分かってほしい」


無遠慮に不満を口にした彼女に返すのは、やっぱり曖昧な言葉。
そうやってすぐに誤魔化すことを責めたげな眼差しを背中に感じながら
階数表記に注意を向けたところ、そのカウントがいつもより遅いような気がした。
まるで彼女の不信がエレベーターを重くしているようで
居心地を悪くしたイッキは、諦めついでに息を吐く。

そして、相変わらず不機嫌な彼女に向かって
知りたいことを1つだけ答えてあげると声を掛けた。
理由はどうあれ、彼女の機嫌を損ねた罰だとして
何を聞かれても受け入れようと思う。


「イッキさんは私に甘すぎませんか?」
「それって質問?」
「ち、違います」
「そう。それは残念」


少しでも空気を軽くしようとおどけてみせたなら
彼女は肩を竦めたのち、比較的、柔らかな面持ちで知りたいことを考え始める。

記憶のこと、自分自身のこと、周りの状況など
聞きたいことは山ほどあったに違いない。
しかし、彼女は山積みにされたそれらを一瞥しただけで
口にしたのは、まるでこの瞬間に思いついたような質問だった。


「え?」
「ですから、イッキさんは何を持っているんですか?」
「それって質問?」
「はい」


彼女の視線の先にあるのは先程からイッキが大事に持っていた荷物。
旅行カバンほどの大きさの物に白い布を被せたそれは
確かに見た瞬間に疑問を抱くであろう違和感だが
なぜそれを今聞くのだろうと暫し呆気に取られてしまった。
しかし、その理由が彼女の優しさであり、意地なのだと理解したなら
イッキの表情に安堵が浮かぶと同時に罪悪感が込み上げてくる。

彼女が抱いている疑問はイッキが考えているよりずっと深刻で
順位付けをすることも難しい。

況して、機嫌を直す条件として聞き出すようなことではないのだろう。


「あ〜、でも…その質問の答えは少し待ってくれないかな」
「…答えられないってことですか?」
「いや、そうじゃなくて。部屋に戻ってから見せようと思ってね」


イッキが手元に視線を落として言ったなら
彼女は暫しの沈黙ののち「分かりました」と頷いた。

そして、この瞬間を待っていたかのように
長い長い宙づり状態は解除され、扉が開いたなら
滞っていた重たい空気は外に溢れ出した。






To be continued…


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