予定調和譚

  運命 2



青々とした苔の上に点々と置かれた飛び石を滑りそうになりながら進み、
不規則な形でありながら整った石畳の道を速度を上げて駆け抜ける。
慣れない着物に足を取られるツグミを気遣いながら
手を引いてくれているのは伝わってくるけれど
前を行く彼の背中しか見えないことに心細さを感じて。
思わず視線を落としたツグミはころころと変わる足元の景色に目が回りそうだった。

彼は強く手を握ってくれているけれど、ツグミから握り返すことはなく。
ぎこちなくも2人は料亭の外を目指すばかりで、まるで逃避行でもするかのよう。
とはいえ、憂鬱で仕方なかった顔合わせから連れ出してくれた彼は
ツグミにとってヒーローも同然。この先、どのような展開が待っていようとも
彼の手を取ったことは後悔しない自信があった。


「ここまで来れば追ってはこないだろう」
「あの…」
「あぁ、すみません。俺の父も貴女に会うのを楽しみにしていたので」
「…それじゃあ、やっぱり」


2人が立ち止まったそこはツグミが女学校時代によく来ていたウエノ公園だった。
それこそ、目の前には座り慣れたベンチがあって。
ツグミは男の思惑が掴めぬまま、答えを待つ。


「はい。俺の名は八代隼人。
貴女の縁談相手、というわけなのですが…がっかりされましたか?」


不安げに瞳を揺らしながらの問いに対し、ツグミは緩く頭を振る。
それは罪悪感を滲ませた彼に気を遣っているというわけではなく。
寧ろ、彼が婚約者であるという予感が当たって安堵する自分がいたからだ。
決して一目見て恋に落ちたというわけではないけれど
惹かれるものがあったことは否定できない。


「こんなところまで連れ出してしまって、申し訳ありませんでした。
だけど、どうしても誰にも邪魔されないところ…
正確にはこの場所で貴女に伝えたいことがあったんです」
「あの、話が読めないのですが…」


初対面であるはずの八代隼人が自分に伝えたいこと。
それがこの場所でなければならない理由を含め、
彼是考え巡らせてみるけれど思い当たる節はなく。

いっそ、親族に押され断れなくなる前に
今回の縁談話をなかったことにしたいのだろうかとさえ思えてくる。
そうなったら自分は喜ぶことができるのだろうか、と考えたところで
「久世ツグミさん」と心に直接呼び掛けるような真っ直ぐな声がし、
ツグミは思わず呼吸を止め、彼のほうを向いた。


「突然で驚かれるかもしれませんが…俺はこの場所で、貴女に一目惚れしたんです」


「え…」と零したきり声が出なくなった。
オーバーヒートしたみたいに全身が熱を持ち、脳内は機能停止する。
そんなツグミに構わず隼人は更に口を開こうとするから
何だか眩暈を起こしそうになる。


「このベンチで本を読んでいた貴女を見て良いな、と。
貴女の名前も通っている学校ものちに知り合いから教えてもらってはいたのですが
声を掛けることができぬまま。貴女がこの場所に来ることはなくなってしまった」
「…」
「それでも諦めきれない想いをどうしたものかと考えていたところ、
父から今回の縁談話が持ちかけられ、正直、運命だと思いました」


熱く語られるそれを半分も理解できずにいたツグミだったが
彼の想いは漸く心の中にすとんと落ちてきた気がする。
決して父親の金で手に入れるつもりなどなかったのだと必死になる隼人だが
そんなこと言われずとも彼がどういう思いで自分を連れ出してくれたのか
ツグミにはちゃんと伝わっていた。


「けれど、結果的に貴女を泣かせてしまった…
あの庭園で貴女を見た瞬間、浮かれていたのは俺だけだと思い知ったんです」
「っ、それは…」
「最初に言っておきましょう。
俺は貴女の心を無視して縁談話を進めるつもりはありません」


相手方はツグミが欲しいと望み、
こちらは選択の余地もないほど切迫した状況であるのだ。
予定通り、親族を交えた座敷で顔を合わせていたなら
当人たちが物言う前に縁談は纏まっていただろう。
それこそ、式の日取りまで決まっていたかもしれない。

自由恋愛が持て囃される今日ではあるが
悲しいかな、名のある家系では家と家との繋がりを第一とする慣習が捨てきれず。
相も変わらず親族が結婚に口を挟み、尚且つその意見は絶対だ。
更にいえば女には決定権すら与えられない。

自分の父もそうであると思っているわけではないが
少なくともツグミは何の担保もなしに融資を受け入れるわけにはいかないという
父の想いを汲み取りたいと思う。


「私は何よりも家族が大切です。長年仕えてくれているじいやも使用人たちも同じ。
皆を守ることができる、それが私の支えとなっています。
だから沢山泣いたけれど、涙に溺れることはないし
自分の足で立って前に進むつもりです」


だから貴方が望むのなら縁談話を進めて欲しい、そう伝えようとしたのだが
ふと隼人の指先がツグミの唇に触れ、それを遮ってしまう。
指はすぐに離れていったけれど
微かに残る熱で唇は縫い付けられたまま、言葉が出ず。
先程よりずっと近くにある彼を困惑の滲んだ瞳で見つめるばかり。


「言ったはずです。俺は貴女の心を無視したくない、と」
「え、え…だから私の心は決まっているとお答えしたのですが」
「あぁ、いや。そうじゃなくて…!」
「っ…!」


ここまで穏やかだった隼人が不意にみせた歯痒そうな様子。
少し口が悪いと感じさせるそれこそ気取っていない本当の彼である気がした。
一瞬、呆気にとられてしまったツグミではあるが特別悪い印象を抱くことはなく。
寧ろ、素を見せてしまったことに気付き
バツが悪そうにする彼に思わず笑みが零れる。


「え、と…そこで笑われると弁解すべきか、喜ぶべきか悩んでしまうのですが。
まぁ、俺はそんなにお行儀の良い人間じゃなくて。よく言えば正直。
悪く言えば遠慮がない。それに空気が読めず周囲を振り回すことも屡々あります」
「はぁ…」
「ツグミさんにはそんな俺の良い面も悪い面も知って、
全部を好きになってもらいたいんです」


当然、彼のいう好きとは家族や友人に向けるものではない。
恋愛というものをしたことのないツグミには皆目見当のつかない感情であった。
一目惚れをしたわけでも、昔から知っている相手でもない彼を
どうやって好きになれというのだろう。
長い時間を共に過ごせば良いのか、
小説のような大事件を切っ掛けに距離を縮めたら良いのか。

幾つもの可能性を秘めたそれに足を取られ、泥沼に嵌るツグミに対し
隼人はなぜか楽しそうに笑みを浮かべると
彼女の眉間に寄ったシワをとかすように小突いた。


「貴女が悩む必要なんてないですよ。
俺が貴女に好きになってもらえるよう努力するだけのことですから」
「それでも私の想いがついてこなかったら…?」
「俺がそれ以上に努力します。例え時間がかかっても、絶対に諦めない」
「だけど、それでは…」
「これは貴女の心が欲しいという俺の我儘。政孝氏も納得してくださるでしょう。
融資の件について貴女が心配する必要はないです」


隼人はツグミ自身のことだけでなく久世家のことまで考えてくれている。
それが何よりも嬉しくて。心がじんわり温かくなると同時に
噂に聞いていた男は女を軽視しているという像を溶かしてゆく。

結婚が決まったために女学校を辞めさせられる友人を何度も見てきたツグミは
すぐに八代家に入って花嫁修業をしなくても良いのか、と
当然のように思うわけだが、きっと隼人はそんなこと考えてもいないのだろう。

自分たちのペースで距離を縮めていこうと穏やかに笑う彼は
「まずは手始めに、俺とデヱトして頂けませんか?」そんな誘いをしてくるから
ツグミは少しの勇気をもってそれを承諾した。

完全に気を許したわけではないではないし
彼の突飛な言動に惑わされてばかりだけれど
「やった!」そう言って喜ぶ隼人を見て
ここまで張り詰めていた気持ちが緩んだのも確か。


「今からでも、と言いたいところですが
迎えが来たようなので、一先ずお開きといたしましょう」


隼人が視線を投げた先には公園の入り口があり、
その向こうの道路に久世の自家用車が停車しているのが見える。
そこに父が乗っている気配はなく。
勝手に姿を消した自分のことをを怒っているだろうな、と
不安に表情を曇らせるツグミに対し、隼人は予想通りといった様子で
「親父たち、昼間っから飲んでるんだろうな…」とひとりごちる。


「あの…?」
「あぁ、気にしないで。貴女はもう行ってください」
「だけど、八代さんは?」
「俺は一度、料亭に戻ります。
食事を楽しんでいるであろう2人にきちんと話を付けないといけませんから」


話を付けるとは縁談について今話したことだろう。
他人事ではないそれにツグミは自分も付いていくと申し出るも
隼人は気づかわしげな表情を浮かべ頭を振った。


「2人を説得するのは俺の役目です。
それに、ここまで色々あって疲れたでしょう。ゆっくり休んでください」


2人の問題というのは大袈裟かもしれないが、
こんな大事なことを任せきりというのは釈然としない。
けれど、それ以上何を言うこともできなかったのは彼との距離が掴めずにいるから。
知った仲であれば相応の言葉も出てきたであろうし
強引に付いていくことだってできただろう。

彼のことが分からないことをもどかしく思っていると
躊躇いを察したように隼人はとんと背中を押して帰るよう促してくるから
ツグミは勢い付けられたまま、歩きだすことしかできず。
結果、逃げるように足早に車へと向かった。

公園を出た先で待っていたのは顔馴染みの運転手。
ツグミの姿を捉えるなり、当然のように車のドアを開けてくれるけれど
ツグミは乗り込むより先に来た道を振り返ると
遠くから見送ってくれているらしい彼に深くお辞儀をした。


「屋敷に戻ります」


傍らでツグミと隼人を交互に見遣って不思議そうにした運転手へ
意味もなく強く言い切ったツグミはふと掠めた寂しさには気付かぬふりをして
車に乗り込んだ。

衣擦れの音を立てながら座席に座り、姿勢を整えると同時にドアを閉められる。
孤立した空間に安堵する一方で、まるで籠に閉じ込められたような窮屈さを感じたが
恋愛小説を思わせるふわふわとした時間から日常に戻るだけだと言い聞かせ、
ツグミは窓の外の景色を見送った。








End


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