壊劫

03.筋書き通りの世界



部屋の隅に置かれていた段ボール箱には使い慣れた日用雑貨が詰まっていた。
目を覚ましてからここまで、自分の中にある普通が歪みっぱなしであったため
不器用なサワが時間を掛けて詰めてくれたと思われるそれに
知らぬうちに心が凪いでゆく。


「クローゼットは十分に空けてあるけど、入り切らないようなら言ってね」


何か手伝おうかという気遣いをやんわり断って
作業に取り掛かろうとしたところで、再びイッキの声。
そこまで荷物が多いわけではないため、大丈夫だろうとすれば
イッキは「そう?」と不思議そうな顔をした。

何だか腑に落ちないようだったため、
できるだけ早く別に住める場所を探して出ていくつもりだから
荷物は必要最低限のものしか開けないことを伝える。
途端、彼の表情が曇ったような気がしたが気付かぬふりだ。

父親の元へ行くのは絶対に嫌という想いが何よりも強かったため
前々から住めるように準備してくれていたイッキの想いに応えはした。
だけど、恋人でもなんでもない自分がいつまでも甘えているわけにはいかない。
できるだけ早く出ていくと、事前に伝えてあったはずだが
彼は相変わらず、不満そうにするばかり。


「僕は君にずっとここにいてほしいんだけどね」
「イッキさんを絶対に好きになるというなら
長い目で見ても良いとは思いますけど…
言い切ることができないのにお世話になり続けるなんて、
イッキさんに失礼ですし、自分自身が許せなくなると思うんです」


新しく住む場所を見つけるまでの間、イッキを知ることができれば良いと思う。
そのことを伝えたところで彼は力なく笑うだけ。納得する素振りは見せない。

このままでは口巧者な彼に良い様に丸め込まれてしまいそうな気がしたため、
ついつい身構えて、次の彼の言葉を待っていると
イッキは何か良い案を思いついたとばかりの表情で
「ねぇ。約束事を決めようか」なんてことを言い出した。


「え…あ、家事のことでしたら私が」
「そうじゃなくて。僕にどうしても守ってほしいことを
う〜ん…ありすぎても窮屈になるから、とりあえず3つ決めて?
その代わり、僕も3つ。君にお願いさせてほしいだ」
「え、と…あまり無理なことは」
「うん。無茶は言わない」


唐突な提案に怪しんでしまったが
希望を聞いて受け入れられないなら、それでも良いと言われては拒む理由もなく、
おずおずと頷けばイッキは久しぶりに安堵を見せた。

こちらの希望はすぐに思い浮かんだ。
ちらりとイッキを窺い見れば、彼の方も既に決まっているようで
視線が絡んだ瞬間、少しだけ緊張する。


「君から言って?僕に何をしてほしい?」
「っ、あの。一緒に住むときにイッキさんが言ってくださった通りの…」
「あぁ。君の嫌がることをしないってやつ?」
「はい。それと、私がイッキさんの恋人ではないことを理解してください」
「うん…分かってるよ。それから?あと1つは?」
「以上、です」
「え…いいの?我儘を言えるチャンスだよ?
といっても、君の我儘はいつでも聞いてあげるけど」


こんな時でも口説き文句を忘れないイッキに不覚にもドキリとしてしまったが
平静を装って「これだけで十分です」と答えたなら
彼はこれまた自然に「承りました。お姫様」なんて言葉を返してくる。
あと1つの希望で、甘い言葉を囁くことを禁止すれば良かっただろうか。

こちらがそんなことを考えているなんて知りもしないイッキは
次は自分の番として希望を纏めているようだ。


「僕が君に頼みたいのはね。君1人で外出しないでってこと。
僕の知らないところで君が危険な目に遭うのは、もう絶対に嫌なんだ」


事故のことを言っているようだったため、詳しく話を聞こうとしたのだけれど
それを察したイッキの「それとね」なんて言葉に続く、
失った過去を詮索しないでという頼み事で遮られてしまう。

イッキが頑張った、楽しかったと懐かしそうに語っていた日々。
それを思い出さなくても良いと言うほどに、
事故を思い出されることを恐れているのだろうか。


「分かりました。失った過去のことは気にしないようにします。
でも、予期せずに思い出した場合は仕方ないと思ってくださいね」
「あ〜…うん。そうだね」
「それと、外出しないっていうのは…困ります」
「だけど、大学には休学届けを出しているし
バイトだって復帰できるほど体調良くなってないでしょ?
必要な物は僕が用意するし…今のところ、出掛ける必要ないんじゃない?」


まるで台本を用意していたかのように
すらすらと口に出されるそれに丸め込まれそうになる。
だけど、うっかり頷くにはまだ彼への信頼が足りなくて。
魔法が溶けたみたいに我に返ったなら
「たまには散歩に出掛けたくもなります」なんて冗談半分な返しをしてしまう。

ここで笑って、なかったことにしてくれたなら良かったけれど
イッキは真剣に「散歩くらい、僕が付き合うよ」と答えるから
譲ってくれそうにない彼に、溜息が零れる。


「私は1人でも平気です」
「そうかな。まだ、体力も戻ってないし
前みたいに眩暈を起こして倒れたらどうするの?」
「それじゃあ、体調が戻ったら良いってことですか?」
「…そうだね。その時は、また考えようか」


白でも黒でもない。濁すような返答に不安が募る。
一生放してくれないのではないかと思わせるそれは
これから一緒に過ごしていくうちに、どのような形に変わるのだろう。

イッキをここまで追い込んだ罪悪感があるせいか
彼の中にある不安が消えて、平穏な日々が戻ってくることを願う。


「分かりました。とりあえず、体調が良くなるまで我慢します。
それと、3つ目の希望…まだ聞いていません」
「あぁ、それね。実は僕も思い浮かばなくて」
「え、と…?」
「恋人だったら、おはようとおやすみ
それから、行ってきます、ただいまのキスをしてって頼めるんだけどね」
「…恋人じゃないです」
「うん。だから冗談」


警戒して後ずさったなら、イッキは苦笑いで両手を上げてみせる。
彼がどこまで本気なのか分からないから困る。
先程から振り回されてばかりだけど、気が付けば緊張は解けていて。
希望を3つとしたことも、その3つ目を冗談にしたことも
計算していたのではないかと思えてならない。

イッキの中でどこまでの筋書きができているのだろう。
そして、それは一体誰のために描かれているのだろう。






End


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