壊劫

02.ぼやけた世界



白と黒を基調とした落ち着きのあるイッキの部屋は
物があまり置かれていないせいか生活感を感じられなかった。
唯一、空気に溶け込んだ珈琲の香りが緊張を溶かしてくれるが
部屋をぐるりと見回して、生活空間がここだけだと知ったなら、
落ち着いてばかりもいられず。「ワンルーム…」そう声を溢してしまった。

自分の中にある記憶を新しい順に探っても
軽い気持ちで女性と付き合いながら
他の女性とも親しくしていたイッキしか出てこない。
彼自身はこの数カ月で変わったと言うが、
どこまで信用して良いのか未だ判断できずにいる。

しかし、どちらにしても女性の気持ちを
蔑にするような人ではないことは知っている。
ワンルームに男と住むことを重要視して、
事前に話してくれるくらいの気遣いはできるはずだ。

少し遅れて部屋に入ってきたイッキを問い詰めようと振り返れば
こちらの戸惑いに気付いているのか苦笑いを浮かべるから
「わざと言わなかったんですね」と確信をもって声を掛けた。


「わざわざ言わなかった、のが正しいかな。
聞かれたらちゃんと言うつもりだったし」
「…わざわざ言わなかったのは、私が同居を渋ると思ったからですか?」
「僕は君のことに関して自信がないって、言ったでしょ?
僕の一言で全てを失うかもしれない。そう思うと、
とにかく君をここに連れてきて安心したかったんだ」


怒った?呆れた?嫌になった?そう立て続けにぶつけられる問いに
頷きたい気持ちもあったけれど、不安に揺れるイッキを見ていると
「もう、いいです」そう答えることしかできなかった。

元々、ワンルームが嫌というよりはこちらが動揺するのを分かっていながら
話してくれなかったイッキにムッとしただけだった。
一緒に暮らす準備はできていると言われ、
部屋を用意されていると決め込んで確認を怠った自分も悪かったと思うし
お世話になるのだから文句を言える立場にないことも分かっている。

何より、ここに住めないと言ったなら
今のイッキは広いところに引っ越すと言い出しかねない。
あの彼がどうして自分なんかに固着しているのかは分からないが
不安にさせたり、悩ませたり、焦らせたりと
彼の感情を乱すようなことは避けるべきだと思う。


「それよりも、私の荷物なんですけど…」
「あぁ。それなら、あの段ボールの中。
あ、一応言っておくけど、荷造りしたのはサワちゃんだから」
「サワ?イッキさん、サワと面識があったんですか?」


そう問いかけると、イッキは少しだけ寂しそうな表情を浮かべたのち
8月にサワが冥土の羊に来て、自分を入れた3人で話をしたことを教えてくれた。
それから、入院している間もサワは何度か見舞いに来てくれたのだとか。

自分の知らないところで時間が流れていることが少し怖くなる。
そして、早いうちサワに連絡をしなければとも思う。
退院できたことを報告して、空白の期間を埋めるために色々話を聞きたい。


「あ…そういえば、携帯は」
「あぁ。君の携帯、事故の時に壊れてそのままだね。
今度、僕が買い換えてくるから、それまで待ってて」


イッキが当然のように言うから、
そのまま流されてしまいそうになったけれど
携帯くらい自分で買い替えに行ける。

そのことを伝えると、イッキは透かさず「ダメだよ」と声をあげた。
焦りからか、今にも掴み掛ってきそうな勢いのイッキに驚いて
びくりと肩を震わせたなら、彼は我に返ったのか
「君は退院したばかりなんだから、無理しないで」といつもの調子で言った。

確かに1か月近くベッドの上で過ごしていたのだから
体力の低下以外にも、気になる症状はあって。
知らぬうちにぼんやりしていたり、
いくら寝ても寝足りないと感じてしまうのに対し
食欲というものが奪われたみたいに感じなくなっていた。

今日は久々に外に出て、空の明るさに眩暈がしたし
病院からここまで、タクシーを使ったというのに
身体はそろそろ限界だと訴えている。


「大学、あとバイトにも早く復帰しないといけないのに…」


独り言を呟けば、目の前にいたイッキの表情が僅かに歪んだ気がした。
すべきことが沢山ある中で先ずは荷物の整理をしたいけれど、
少し休んだほうが良いかもしれない。
視界が白く霧がかったように見え始めた。

意識し始めると、愈々辛くなって。不味いと思った瞬間には足元が沈んでいた。
崩れ落ちそうになった身体はイッキによって支えられる。
「ねぇ、しっかりして!」という声も
ぼやけていく彼の顔も、焦りに満ちていて。
最近のイッキは焦ってばかりだなと、薄れゆく意識の中で笑った。







End


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