Masquerade

02.ソクテイ



早足で歩いても緩やかに歩いても2人の距離は変わらない。
つまり彼女は意図して数歩後ろを歩いているのだろう。
何の気なしに視線を後ろに投げれば、
彼女が足元を真剣に見つめ、こちらの足音に重ねるようにして
ひょこひょこ付いてきているのが分かる。

山荘を案内しているのだから、辺りを見回して
こちらの説明に耳を傾けてほしいのだが
他人も同然な男と2人で歩いているという状況では
落ち着かない気持ちも分からなくはないため、暫く黙っていようと思う。

危なっかしい足取りで追い掛けてきたかと思えば
隣にくっ付いて、何を話しても何を話さなくても楽しげに笑う。
昔から変わらず慕ってくれていた彼女はもういない。
いつまでも近しい距離でいられると思っていたわけではないけれど
距離が広がっていくのと、距離を測る対象が消えるのとでは意味が違う。
寂しいとは違う感情でもやもやする。



「って、おい。どこ行った…?」


昔を思い出していたせいで現実を見失っていた。
我に返った時には、後ろを付いてきていたはずの彼女の姿が消えていて。
溢れる不安は全て自分への怒りに変わる。
彼女の名前を呼んでも返事はなく。
廊下に響く自身の声が消え切らぬうちにトーマは駆け出した。

大袈裟すぎる心配だと分かっていても
彼女のことで必死になるのは昔ながらの性分で。
人を想う気持ちの入った瓶が種類別にあって
自由に配合、分配ができると表現するならば
喜びも悲しみも怒りも不安も。全て彼女に注ぎたいと思うほどだ。

きっと、今の彼女はこちらが心配していることも分かっていないだろうし
説明したところで、この人は何を言っているのだろう程度で
全てを理解してもらえるとも思えない。

現に彼女は自分が探されていることも露知らず
廊下の窓から庭園を見ていたわけで。
「っ、こんなところにいた!」と荒息交じりで駆け寄っても
不思議そうに首を傾げるだけ。


「黙っていなくなったら、心配するだろ!」


当然のように声を荒げてしまったが
びくりと肩を震わせ、怯えたように瞳を揺らす彼女に我に返ると
失敗した、そう思わずにいられなくなって。後悔に顔を顰める。
この数日、ずっと一緒にいたといっても
彼女にはこちらの気持ちを汲んでくれるほどの信頼はないだろうから
訳も分からず一方的に責められたように受け取ったかもしれない。
何より、出会って間もない人間に心を配られたところで
彼女にとっては重荷にしかならないだろう。

「悪い…責めるつもりはなかったんだ」と反省を溢せば
彼女は顔を上げて、ぶんぶん勢いよく首を横に振る。
謝る必要はないと言ってくれているようだが
その表情はやっぱり落ち込んで見える。

人格が抜け落ちて人形のように表情が乏しくなっていた彼女だが
ここ数日で喜びか悲しみかくらいの判断は付くようになった。
こちらが見抜けるようになったのか、彼女が自分を取り戻し始めたのか。
そんな疑問を抱いた矢先、彼女が意思を持って
くいくいっと袖口を引いてくるから、一層、戸惑ってしまう。


「トーマ…」
「ん?どした?」
「…外に行ってみたい」


彼女の視線を辿るようにして窓の外を見れば
雲一つない青空の元に咲き誇るバラがやけに眩しく感じられた。
同時に彼女が立ち止って夢中で見ていた理由として、妙に納得してしまう。

綺麗な景色を素直に綺麗だと思える心があると知れたこともそうだが
記憶があった頃、彼女はバラが好きだったから
その感覚が残っているらしいことが嬉しくて
単純にも心が軽くなったトーマは「そんじゃ、行くか」と
庭園に出られるガラス扉へ視線を投げた。

すると彼女はこくりと頷いて、掴んだ袖口をそのままに駆け出すから
トーマも引っ張られるようにして彼女の後に続く。
一緒に見ようと誘われているようで嬉しく思いながら
ガラス扉を開け放てば上品なバラの香りに包まれ、
肌寒いくらいの風に吹かれる大振りで深い色の秋バラに釘付けになる。

慰安旅行で来たときに見たものとはかなり違った装いだが
沢山のバラを瞳に映した彼女は、あの時と重なるものがあった。
記憶を失くし、一番変わってしまったというのに不思議なものだ。


「前に来たとき、お前が一番初めにこの場所を見つけて
俺とシンにも見せるんだって、大慌てで呼びに来たんだよな。
それから暫くここにいて、夕方は特別きれいだってお前は燥いでたんだ」


何の気なしに口にした思い出を彼女は思いのほか真剣な眼差しで聞いてくれた。
しかし、話を聞いても当時のことを思い出せなかったのか
がっくりと肩を落としてしまうから、こちらが申し訳なくなってくる。
一方で、何も思い出してもらえなくても前向きな姿勢が見られたことが嬉しくて
広がった距離を忘れ、ごく自然に彼女の頭を撫でた。

後になって、急に触れたため困らせてしまっただろうかと気にしたが
彼女は特に感じるものはないといった様子。
それはそれで寂しくなってしまうし
相変わらず彼女が何を考えているのか読めずもどかしいけれど
とりあえずはこうして、彼女との距離を測っていきたいと思う。







End


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