記憶ノ誰ソ彼
鴎外×芽衣


朧ノ刻を迎えたばかりの商店街は
買い物客ばかりでなく、仕事や学校帰りの人の姿も目立っていて。
彼らの長く伸びた影が忙しなく移り変わるのを見ていると
夕日色に染まった町が一層、悲しげなものに見えてくる。

買い忘れたものがあると言って店内へ戻っていった鴎外を外で待っていた芽衣は
訳もなく不安げな面持ちで流れる景色を見ていたのだが
ふと、橙と黒の中を駆ける女の子の姿に目を奪われた。
その子のことを知っているわけでもなければ
どうしてこんなに気になってしまうのかも分からない。
ただ、肩まである黒髪を揺らし、琥珀色の瞳をきらきらと輝かせ、
友達とはしゃぐ姿を懐かしいと思ったのだ。


「っ、危ない!」


溢れる想いに心をざわつかせながら
目の前を横切っていく子供たちを見送ろうとしたところで
女の子の足元から青白い手が伸びて、細い足首に絡みついたのが見えた。
それが物の怪のものであると気付いた芽衣が叫ぶと同時に
女の子は転んでしまい、周囲の視線がその子に集まる。

刹那、傍らにいた子供たちが女の子に駆け寄ったため
芽衣は自分の出番はないと思い留まるも
子供たちから視線を逸らすことはできないまま。


「妙ちゃん。転んだの?大丈夫?」
「今、手に引っ張られて…」
「手?誰の手?」
「あ…うんん。何でもない」
「変なの〜」


バカにしてというわけではなく、ただ可笑しそうに笑う子供たちに
転んだその子は一瞬、悲しげな表情を浮かべたが
すぐに青白い手のことも、自分が転んだことも
全てをなかったことにして笑顔を浮かべた。

その後、何とない子供たちの笑い声の中で
「ねぇ、早く帰ろう」と言い出したのは誰だったのだろう。
その答えは駆けて行く子供たちとともに、夕日の中へ溶けて消えてしまった。


『芽衣ちゃんって、変』
『何もいないのに…嘘つき』
『化け物が見えるなんて気持ち悪い』


夕日色の世界にざわざわとノイズが混ざり、
乱れる視界の向こうに見える世界はいつの間にか色を変えていた。
そこから聞こえてくる声は先程の子供たちのもののようでいて、どこか違う。
冷たく鋭いそれは心をぐさぐさと刺して、溢れる黒に全身が染まっていく。



「芽衣!」


肩を強く掴まれ、名前を呼ばれた瞬間、
ノイズも声も痛みも波のように引いて行った。
代わりに見えてくる歪んだ景色に戸惑い、瞬きをすると
ぽろりと何かが零れる音がして視界が鮮明になる。
そこで漸く捉えることができた愛する人の姿に
芽衣は「鴎外、さん」と譫言のように呟いた。


「芽衣。何があったんだい?」


労わるような優しい声を受けてもう一度瞬きしたなら
心配を浮かべた顔が瞳に大きく映る。
互いの息が掛かるほど近い距離の中、
鴎外は温かな手で頬に伝う涙を拭ってくれるから
そこで漸く自分が泣いていたことに気付いた芽衣は
慌てて顔を伏せようとしたのだが、鴎外がそれを許さず。

頬に触れていた両手に力が籠り、
正面に固定されてしまっては鴎外の問いに答えるしかない。
芽衣は渇いた喉をごくりと鳴らすと
伏せ目がちに「昔のことを思い出したんです」そう掠れた声で言った。


「それは、悲しいものだったのかい?
それとも…故郷が恋しくなって泣いていたのだろうか?」
「っ…悲しい、記憶だったんです」
「そうか。ならば、無理に話すことはないよ」


鴎外は美しい装飾がなされたベールに包んで
嫌なことは何も見えないように何も聞こえないようにしてくれるが
芽衣はふるふると頭を振って、伏せていた視線を上げる。
そうして見えた彼の顔には緊張の色が浮かんでおり
芽衣よりも気を張ったその様子がおかしくて。
思わずくすりと笑みを零せば鴎外は困ったように眉尻を下げる。


「私、子供の頃からずっと魂依の力を隠して生きてきたんです。
誰に話しても信じてもらえなくて、気味悪がられて…
人と違うことを引け目に感じていました」


できれば思い出したくはなかったし、
この事実に引っ張られるようにして悲しい記憶が蘇っては胸をざわつかせる。
同時に今がどれほど幸せであるかを実感できて
「ここに来て、鴎外さんに出会えて良かった」そう心から思えば
それが声になって届いたらしい。鴎外は優しく微笑んで頭を撫でてくれた。


「僕も、芽衣に出会えて良かったと心から思う。
お前が辛いと思う過去にも感謝してしまうほどにね」
「鴎外さん…」
「魂依であるお前が感じる世界を全て理解することは僕にはできない。
しかし、決して孤独に思うことはないのだよ。
聞いてほしいことがあるというのなら、理解できるまで話を聞こう。
魂依の力をなくしたいと望むなら、その方法を全力で探そうではないか」


頭を撫でていた手が髪を掬い、そこに唇が落とされる。
思慕の込められたキスに顔を赤くして
「あ、ありがとうございます」と必死に見つけた言葉を返した芽衣は
恥ずかしさでいっぱいになりながらも、やっぱり幸せだと思い知る。

魂依の力があってもなくても、
どんな自分でも受け入れて愛してくれる鴎外に出会えた今、
彼が言う通り、辛い過去も大切に思える。

だからもう大丈夫だと、過去の中にいる誰かに伝えた。






End




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