月面上ノ円舞曲
鴎外×芽衣←春草
恋月夜の花嫁 第三章


展覧会や渡航の準備に追われているとはいえ、
屋敷に帰りついても全く心が休まらない理由は彼女にある、と
サンルームのドアの向こうから聞こえてくる声を耳にして思う。


「ワンツースリー…ワンツースリー」


ドアを開けた先に広がる夕日色のサンルームと
その中心で踊る芽衣の姿に疲れがどっと押し寄せて諦観の域に達す。
異国の言葉を慣れ親しんだふうに口遊み、
ぎこちなくステップを踏む彼女は春草の帰宅に気付いていないらしい。

ドアを後ろ手に閉めて、帽子を脱いで、溜息ひとつ。
いつになったら気付くのか興味があり、声を掛けることはしなかった。

滑らかに踊れていれば、満足げに笑みを咲かせるし
一たび間違えれば顔を顰めたのち、がっくりと肩を落とす。
本当に最初のうちは興味本位だったはずなのだが
分かりやすく表情を変える芽衣に、知らぬうちに目を奪われていた。


「っ、春草さん!いつからそこに!」


じっと見定めるような眼差しに痛みでも感じたのか
何の前触れもなくこちらを向いた芽衣は
驚きから恥じらいに移り変わる慌ただしさをそのままに歩み寄ってくる。


「帰って来ていたなら、声を掛けてくれれば良かったじゃないですか!」
「いや。必死に雨乞いしているところを邪魔してはいけないなと思って」
「あ、雨乞い…っ、違います!これは今度の夜会で踊るワルツの練習です!」


冗談のつもりで言ったことに対し、芽衣は向きになって言い返してくるから
からかいがいがあるとか愛らしいとか、幾つもの感情が駆け抜けていく。
芽衣とのこうしたやり取りが楽しいと感じていることを認めるのは癪だが
彼女といると本心を誤魔化すことが下手になる。


「ところで、春草さん!春草さんはワルツを踊ったことがありますか?」
「踊れないよ。練習相手なら他をあたってくれる?」
「っ。いや、でも、私に合わせて回ってくれるだけで良いんです。
少しだけ付き合っていただけませんか?1人だと、感覚が掴めなくて…」
「だったら、鴎外さんが帰ってくるまで待ってなよ」


良いことを思いついたとばかりに
食い下がってくる芽衣をどうにか諦めさせようと
「元々、君のパートナーは鴎外さんなんだし…」と付け足した言葉。
自分で言っておきながら、ちくりと胸が痛んだ。


「どうしても、ダメですか?」
「何?君、そんなに俺と踊りたいの?」
「はい!踊りたいです!」


冗談のつもりだった。
顔を寄せて、じっと見つめて、意地悪げに言ったなら
彼女はたじろいで身を引くと思ったのだ。
それなのに芽衣は後退するどころか、前のめりになって頷くから
虚を衝かれた春草は観念するしかなくなる。


「本当に何度か見たことがあるだけで、リードなんてできないから」


鴎外の口車に乗せられ、夜会に出席した際に見た社交ダンス。
くるくる回るだけで何が楽しいのだろうと冷めた目で見ていたが
練習とはいえ、自身が躍ることになるとは。
しかも、手を取り、腰を引き寄せた距離の近さに
鼓動を高鳴らせているなんて我ながら滑稽だ。

対して芽衣は動揺ひとつ見せず、真剣な眼差しで
「ワンツースリー」と呪文のようなその言葉を唱え始めるから、面白くない。


「ねぇ。君は何でそんなに真剣なの?」
「え…?」
「こんなの、ただ西洋の真似事をしているだけで。
夜会の出席者だって真面に踊れる人間のほうが少ない」
「でも、鴎外さんに恥をかかせるわけにはいきませんし…
何より、美味しいローストビーフを食べるためですから!」


前者はともかく、そんな理由のために自分は練習に付き合わされているのかと
憂いだのは一瞬で。彼女らしい言葉にひどく安堵した。
思えば、こうしてダンスを踊っているのだって、役得だと言えなくもない。

普段、鴎外に芽衣との仲を散々邪魔されているのだ。
たまには思い切り独り占めするのも悪くないと口元に笑みを浮かべて考える。


「何だか上手く踊れているような気がします」
「そう、それは良かったね…まぁ、本番で通用するかは分からないけど。
精々、慣れない服と靴に踊らされないよう気を付けなよ」
「…そうでした」


何も知らずに踊らされている少女が不憫に思える。
それ以上に、鴎外のために一生懸命な芽衣を見て傷付いている春草自身が
痛々しいことを自覚していた。

ドレスやヒールよりも、鴎外と踊ると鼓動が落ち着かず
上手く踊れるか心配だと真剣に悩み始める芽衣を見ていると
更に胸の痛みが増すからたちが悪い。


「へぇ。鴎外さんと踊ると緊張するんだ」
「そうなんです。鴎外さんは私よりずっと前を歩いているから
付いて行くために張り切りすぎてしまうんです」


「春草さんとなら、気軽に楽しく踊れるのになぁ」と付け足された言葉に
熱く高鳴っていた心が急速に冷めて、ヒビが入る。
そこから溢れ出す想いを抑える努力もせず。
気が付けば、芽衣の身体をぎゅっと抱きしめていた。


「え、あ、あの…しゅ、春草さん!」
「どう?これで少しは意識する?」
「っ、します。するに決まってます!」


伝わってくる鼓動の速さに、春草の口元に満足げな笑みが浮かぶ。
もっともっと意識して、鈍感で単純な彼女が恋だと勘違いすれば良い。
叶わぬ願いを胸に、ふわふわと飛んでいってしまいそうな身体を強く抱いた。





End




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