朧世界ノ花
鴎外×芽衣
明治残留ED


庭園に咲き誇る桜の自慢が目的で毎年この時期になると催される夜会がある。
今宵も例年通りの参加者が揃えられた場に繰り返される桜への称賛。
燈籠に浮かび上がった桜は光の加減によって様々な色を見せ、
人々を魅了すると空に浮かぶ月をも暈す。
ひらひらと舞う花弁に世界は移ろい、一瞬たりとも目が離せないと思わせる。

つらつら並べたてられる感嘆の数々に同意しないわけではないが
愛する婚約者と二人で桜を見上げることができて
漸く心から綺麗だと感じることができるのだろうとした鴎外は
いつの間にか視界から消えてしまった芽衣の姿を
僅かな焦りをもった瞳で探していた。

ここに集まった婦人らには婚約者を蔑むことは鴎外を蔑むことであると
キツく言って聞かせたことがあるし、
鴎外より上の立場にある者とて彼の力量を知らないはずがないのだから
自らの一生を棒に振るような真似はしないだろう。

つまり、鴎外が婚約者を溺愛していることが周知されたこの夜会で
芽衣に手を出す者などいないといっても良いわけなのだが
それでも、何かと騒動に巻き込まれやすい彼女だから、安心はできなくて。
いつもは主催者の自慢にもお愛想程度に付き合う鴎外も
今宵は早々に切り上げ、芽衣の姿を探すことにした。


「貴女のお父上はどこの馬の骨とも分からぬお方だと嘆かれていらしてよ」
「お相手は農家の生まれなのでしょう?不釣り合いだわ」
「若気の至りだったと、早くお謝りなさいな」


芽衣はきっと人込みを避けて桜を見ているのだろうと踏んで
明かりの届かぬ外れにやって来たところ、
聞こえてきた幾つかの声は何とも不穏なもので。
一時期、芽衣に向けられていたそれと重なり、鴎外は眉を寄せる。

白眼視の対象が芽衣から彼女へ移っただけのこと。
ちょっとした切っ掛けで代わるそれは
いつ自身に向けられるかも分からぬ中で繰り返されるのだ。

煌びやかな灯の影に隠れて行われる遊戯を野暮に思った鴎外は
早く婚約者を連れて光も影も届かぬ場所へ行きたいと考えた。


「もう、やめてあげてください!」


耳に触れるやり取りが気にならないわけではないが
それよりも先ず優先すべきことがあるとして、
何事もなくを装い、歩き出そうとするも
暗いそこに飛び込んでいく声に気付いた瞬間、足が止まる。

それが聞き間違いであることを願いながら振り返るも
鴎外が愛する婚約者の声を間違えるわけもなく。
取り囲まれていた者を庇うように飛び出していった少女は
ぱしゃりと水滴を被っても尚、臆せず。
揺らがぬ意思を持った瞳は眩しくて、それこそ光のようだった。

対して、自身が持った空のグラスとその中身を被った芽衣の姿に
気位の高い令嬢らも流石に顔を真っ青にする。
更にここへ少女を溺愛する婚約者が現れては絶望の淵に追いやられたも同然。

謝罪の言葉を口々に去って行こうとする彼女らを
芽衣はどうするのだろうと見ていると
逃げ行く者らを特に気にする素振りもないまま。
くるりと向き直った先、同じく顔を真っ青にした一人の令嬢に
「大丈夫でしたか?」と優しく投げ掛ける。

今までの力強い眼差しを一変。柔らな笑顔は綺麗で。
その存在に気付かれていない鴎外は一人、呆れを滲ませつつ緊張を解く。

それからも鴎外に気付くことなく交わされる二人のやり取り。
最初こそ畏まった謝罪が繰り返されていたが
芽衣の屈託無さのおかげか、あっという間に打ち解けてしまったようだ。
「また会いましょう」なんて言葉を交わし別れる二人に
鴎外が「全く困った子だ…」と小さく呟いたきり、
ここまでの婚約者の言動を注意する気も削がれてしまう。


「あっ、鴎外さん!」


それからすぐ芽衣は鴎外の存在に気付いたらしい。
漸く視線が絡むと彼女は驚いたように目を見開いたが
刹那、危なっかしい足取りで駆け寄ってくる。

頭から被った果実酒だろうか。
彼女が目の前まで来ると甘い香りがして
今宵は酒を飲んでいないというに、くらりと酩酊してしまう。


「そんなに濡れて…困った子だね」
「あ…これは」


湿った髪を一束掬い、どう説明しようかと口籠る芽衣に
鴎外は何も言わなくても全て知っていると言わんばかりの困り顔で
胸元から手巾を取り出し、頬まで伝う雫を拭った。


「少し濡れただけなので、平気ですよ」
「少しかい?」
「はい。それに、そろそろ雨が降って気にならなくなりますよ」
「はて、そんな予報出ていただろうか」


まるで拾ってきた濡れ猫のように不満そうに頭を拭かれていた芽衣だったが
鴎外がその手を止めて疑問を零したなら、途端に得意げな笑みを浮かべ
「予報になくても、空を見れば分かりますよ」そんな言葉とともに
いつの間にか、空に敷かれていた薄暗いおぼろ雲を指差した。

それが雨の前兆であるとどこかで触れたことがあった鴎外は
手巾を頭に被ったまま空を見上げる芽衣をそっと盗み見る。


「だけど、桜が散ってしまうのは残念ですね」


掴みどころのない彼女が今目の前にいることを実感したい。
遠くを映す瞳を捕らえておきたいと願った瞬間、
緩く視線が絡み、投げ掛けられる言葉。

それに気付かされるは、雨の匂いを含む湿った風が早くも桜を散らし
一片の花弁が芽衣の髪に色を付ける様の美しさ。


「全く不思議だ。
お前のいる世界は、お前が触れるもの以外が全て暈けて見える」


おぼろ雲というには明るすぎて、春の雨というには強すぎる。
だからといって、陽の光とすれば随分と遠い存在のようで。
目の前で不思議そうな顔をした少女を何と例えようか
鴎外はすっかり行き詰ってしまう。

そんな曖昧に混ざり合った感情だが
早くも降り出した雨に芽衣が木陰に行こうと手を引いてくれたなら
手と手に触れる温もりから、一つの感情が鮮明に輪郭を象る。

そうして、光も影も、桜も
何もかもを暈してしまうそれこそが答えだと知った。




END




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -