裏ヲ返セバ愛憎劇
鴎外×芽衣
明治残留ED


出掛けに降り出した雨に濡れたのを筆頭に
読みかけの書物に茶を溢したり、叔母からお節介な便りが届いたり
乗った俥の車輪が泥濘に嵌り立ち往生を食らったりと、
散々な一日を終え、自宅に帰り着いたのはいつもより遅い時間。


「おや、春草。珍しく落ち着かないようだが、どうかしたのかい?
それと僕の子リスが見当たらないようだが…?」


いつもなら、玄関戸を開けるとバタバタ慌ただしく迎えてくれる芽衣が
今日は出迎えがないばかりかサンルームにも見当たらない。
春草が迎えの言葉も忘れ、窓の外を気にしているのも不自然だと
不安に思った鴎外が問うたなら、芽衣が帰って来ていないことを告げられ、
堅苦しい軍服を脱いで落ち着こうとしていたその手が止まる。


「子リスちゃんはどこまで行ったんだい?」
「夕刻、俺が帰って来たときには既にいなかったので、分かりません」
「また寄り道でもしているのだろうか…」
「それにしては遅すぎると思いますが」


流石の春草も分かりやすく心配している。
夜闇を、物の怪を、恐れていないこともあり、
あまり時間というものを気にしていないらしい芽衣が
遅くまで出歩いて2人を心配させることは今まで何度となくあった。

自身が魂依であると自覚してからは気を付けてくれているようで
朧ノ刻に1人で出歩くことはしなくなったが
今夜は鳴りを潜めていた悪い癖が出たのだろうか。

今までそうであったように、きっと何事もなく帰ってくるだろう。
冷静になるため、そんなふうに考えてみたけれど
今日一日を振り返ってみると事態が良い方に傾くとは思えず。


「心当たりを探してみるとしよう」
「それなら俺も…」
「いや。芽衣が帰って来たときのために、お前は留守を頼むよ」


春草に早口で告げた鴎外は慌ただしく夜闇へと飛び出した。
この時間にどこかの店にいるとも考えられず。
彼女が自ら向かう先があるとすれば、日比谷公園だ。

決して理由を話してはくれないけれど
芽衣にとってその場所は思い入れがあるらしい。
今までも人探しに月見にと幾つかの理由で
夜遅くまでそこにいたことを知っている。

芽衣が心を寄せる場所があるというだけで
彼女を奪われることを恐れ、壊してしまいたくなるけれど
今この時だけは、そこにいてくれたなら良いと彼女の無事を願う。


しかし、いざ日比谷公園に来てみると
辺りは静寂に包まれ、まるで時が止まっているかのようであった。
ガス灯がぽつんぽつんとあるだけで先も見えず。
本当にこんなところに芽衣はいるのだろうかと
闇とは対照的な彼女の笑顔を思い浮かべてみる。

白と黒、裏と表。正反対とはいえ、近い距離にあるそれらが
いつ混ざり合ってもおかしくないように、
彼女も闇に飲まれ失いかねない、危うい存在。

そんなことを考えて目の前に続く闇を睨みつけたなら
ふと、遠くに人影が見えたような気がした。
それが芽衣である確証もないまま駆け出すと
まるで止まっていた時間が動き出すように
風が吹き、分厚い雲は流れ、忌々しいくらい丸い月が顔を出す。


「芽衣!」


目の前に浮かぶ満月に照らされた彼女は
まるで月に向かって歩いているかのようだった。
名前を呼べば、びくりと肩を震わせながらも振り返ってくれる。
声が届いたことに、立ち止まってくれたことに酷く安堵した。

月に奪われる前にと手の届く距離まで駆け寄れば
芽衣の驚き、戸惑った表情がよく見える。
ぱちりぱちりと瞬きが繰り返される大きな瞳に映るは
何とも余裕のない鴎外の顔で、きまりが悪くなるも
芽衣が溢した「鴎外さん。私を心配して…?」という疑問には
「当然であろう」と言い切ってみせる。


「その、すみません。実はこの子と一緒に桜の木を探していて」
「…この子とは、誰のことを言っているのだろう?」
「え。誰って、この男の子…」


芽衣は鴎外こそ何を言っているのだという顏で
誰かと手を繋ぐようにして伸びた自分の手に視線を落とす。
鴎外もそれに倣ってみるも、彼女のいう男の子の姿はどこにもない。

もしかすると、芽衣が見ているのは物の怪ではないのかという予感に
顔を上げたなら、なぜか彼女のほうも戸惑った表情を浮かべており
訝しく思って名前を呼ぶと、芽衣ははっと我に返ったように
自分の手を目の前まで持っていき、開いて閉じてを繰り返す。


「ずっと手を繋いでいたのに…鴎外さんと話している間もずっと」


そんな独り言を呟いたかと思えば、
本当に見ていないのかと確認の眼差しを向けてくる芽衣に
鴎外は静かにかぶりを振る。

怯えと悲しみを含んだ瞳を揺らしているところをみると
彼女も一緒にいたのが物の怪であると気付いたのだろう。
そして、その物の怪はもうここにはいないようだ。


「その子はお前に何と言ったんだい?」


もし、芽衣をどこか遠くへ連れて行こうとしていたなら
いくら子供とはいえ、いくら自分には見えない物の怪とはいえ、
絶対に許すことはできない。

そんな鴎外の憎しみなんて露知らず、芽衣が語るは夕暮れに出会った迷子の話。
男の子は、大きな桜の木の下にいる母親の元へ行きたいが
その木が見つからずに泣いていたのだという。
優しい芽衣が泣いている子を放っておけなかったのは分かるが
上手く丸め込まれたにしても、あまりに不自然な話。
鴎外からしてみれば、本当に放っておけない危うい存在は芽衣のほうだ。

全ての物の怪が害悪をもたらすなどとは思っていないが
もしかすると、男の子に連れられるがまま
桜の木の下で眠ることになっていたかもしれないというのに
芽衣は「鴎外さん、大きな桜の木を知りませんか?」
「探すと約束したので、私1人でも見つけたいんです」なんて
無邪気に問うてくるから、愛しさを裏返しそうになる。


「全く、この子は…心配ばかりかけて。
僕を置いて遠くへ行こうというのなら、本当にお前を閉じ込めてしまうよ?」


ずっと隠していた狂愛が影を見せた。
芽衣はいつもと様子の違う鴎外に戸惑うばかりで
その言葉を上手く理解できていないようだ。

しかし、今はまだそれで良いのかもしれない。
鴎外は自分の顔を隠すように芽衣を抱き締めると
「お前は綺麗な面だけを見ていれば良いのだよ」と暗示を掛けた。






End




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