愛シキ瞳映ヲ持ツ少女
鴎外→芽衣
第四章 偽リノ婚約者


夕日の光によって彩度を上げた煉瓦路に伸びる俥の影。
ガラガラと賑やかな音に合わせて身体が揺れるたび
肩と肩とが触れ合って、何だかくすぐったい。

日が沈む前に帰るつもりで俥に乗ってはいるものの
隣に芽衣がいて、その燥ぎ様を見ていると
このまま2人でどこか遠くへ行ってしまおうかという気になる。
芽衣は流れていく当たり前の景色を
普通と違った視点から見ては輝かせてしてしまうから
鴎外は芽衣の瞳に映る世界が好きだった。


「あ…」
「ん?どうかしたのかい、子リスちゃん…?」


突然、戸惑いの声をあげたかと思えば、
クスクス笑みを溢し始める芽衣が気になってその視線の先を辿るも
いつもと変わらぬ街並みが見えるばかり。
問いに対し、彼女は前方を指差して示してくれるけれど
どんなに角度を変えたところで見えるのは急ぎ足で煉瓦路を歩く書生くらいだ。

それもすぐに景色の一部として流れてしまったが
芽衣は相変わらず楽しげに笑っている。
すっかり困ってしまった鴎外が「彼に何かあったのかい?」と更に問うたなら
彼女は「実は」と身を乗り出すような勢いで
書生の後ろをちょこちょこと付いていく3匹の子狐の話をした。

ふわふわの尻尾を振りながら、男の影にじゃれる姿が可愛かったのだというが
鴎外にはそれが見えなかったし、周りも気に留めていないとなると
芽衣が見たのは物の怪だったのだろう。
こればかりは、彼女の瞳を通しても見ることはできないから難儀である。


「こうして見つめていても、
お前の見ている世界全てを知ることはできないのだね」
「鴎外さん?」
「僕はね、お前の瞳に映るものが好きだと思う反面、憎くもあるのだよ」


不安定な声音を不思議に思ったのか
琥珀色の瞳は労わりと凛々しさを含んで、鴎外を見つめる。
鴎外が鏡に向かって笑みを浮かべるように口元を緩めてみても
そこに映る自分はただ歪で。

一見、何を考えているのか分からないそれだが
芽衣は瞳の奥で男の全てを見抜いているようだった。
居心地悪いと感じる反面、このまま自分だけを映し続けてほしいとも思う。

複雑な心境に揺れる自身を誤魔化すように
琥珀に手を伸ばして目の縁を撫でたなら、彼女の瞳は一層大きく見開かれた。
その視線を絡み取ってしまえば、愈々鴎外しか見えなくなるだろう。


「これほど近くにいるというのに、お前とは在る世界が違うようだ。
お前とこうしている現在が、時間や空間を歪ませてしまうほどの力が働き
創り上げられているのではないかと疑ってしまうほどにね」
「…鴎外さんは本気でそう思っているんですか?」
「おや、子リスちゃんはこういう類の話が嫌いかい?」
「いえ。そうではなくて…どういうつもりで仰っているのかなと疑問で。
だって、鴎外さんの口ぶりだと奇跡が起きたみたいに聞こえますけど
人の出会いはみんな、何らかの力が働いていると思うんです」
「ほう。道理にかなったことを言うではないか。子リスちゃん」


しかし、芽衣との出会いは幾つも存在する奇跡とは違う。
彼女が目の前に現れたあの夜から、足元がぐらぐらと揺れ始め、
矛盾だらけの光が奇妙な形を成して降り注ぎ、
例えようがないほど沢山の色が見えるようになった。
まるで2つの世界が混ざり合ったように生まれた現在に
2人で微睡んでいるみたいだ。


「…一体、お前はどこから来たのだろうか」


ぽつりと呟かれた疑問に対し、芽衣は困ったように眉を寄せた。
記憶喪失ということもあって、彼女はあまり自分のことを話さないし
追及されることも敬遠しているため、当然の反応だ。
とはいえ、鴎外が本当に知りたいことはそれではないため
どことなく気まずそうにした芽衣を安心付けるように微笑む。


「どこから来たのか、思い出す必要はないのだよ。
お前は過去になぞ目を向けずに僕だけを見ていれば良い」


芽衣が記憶を取り戻すと同時に世界は均衡を取り戻す。
では、その先に見えるものは何だろう。
朧ノ刻に沈んでいるその答えを照らすのは満月で
見つけるのは、きっと芽衣の瞳。

そして、琥珀色の瞳に映る世界はいつでも憎らしいほど輝くのだ。







End



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