交錯ト狂乱ノ終焉
鴎外→芽衣+チャーリー
明治残留ED 悲恋注意


ふとした思い付きだった。
前々からクローゼットの整理をしなければと気にしてはいたが
鴎外との婚約が決まってから此方、何かと忙しく。

そうでなくとも、鴎外がことある事に
新しい装束を揃えてくれるため手に付かずにいたわけだが、
夜会で着たドレスを仕舞おうとクローゼットを開けた瞬間、
雪崩のように迫ってくる衣装の数々に愈々責付かれて今に至る。


「これ…高校の制服。懐かしいな」


ハイウエストの赤いプリーツスカートと上品な光沢のリボンタイ。
金色のラインと花の刺繍、広がった袖口が愛らしいショート丈のブレザー。
白いシャツにはすっかり皺が付いてしまっているが
ずっと仕舞い込んでいた現代への想いが、
皺の一つだって価値のあるものにしてしまう。


「あれ、ポケットに何か…」


例えもう着ることはなくとも捨てるなんてできないからと
埃を払ってクローゼットの奥に仕舞おうとしたところ、
ブレザーのポケットに何かが入っていることに気付く。
ほんの少しだけ嫌な予感が掠めたけれど、構わずに取り出したなら
自分の傍らにあって当然とばかりに、手の中に収まる携帯電話。

現代の空気を纏ったそれにこれ以上触れてはいけない気がする。
だけど、この中に眠っているものが知りたくて。
携帯に付いた狐の根付に合わせて心が揺れる。

どうしたいのかは最初から決まっていた。
ただ、ほんの少しの恐怖が躊躇わせているだけ。
とはいえ、このまま悩み続けるのは、らしくない。
そうやって自分を納得させた芽衣は好奇心が身を滅ぼすとも知らず、
二つ折りにされた携帯に指を掛けた。

もう電池が切れていてもおかしくはなかったそれだが
小さな画面は眩しいくらいに現代を映す。
意識だけが現代に戻ったみたいに見えてくるのは、失った記憶。
家族や友達のことは勿論。自分がどういう人間で、
本来いるべき場所がどこなのか、まざまざと示される。

薄れていた存在が形を取り戻して、重いとさえ感じる身体を動かせば
昼とも夜ともつかぬ、黄昏色の部屋に佇んでいることを思い知る。
記憶を取り戻しただけで揺らいでしまうほど
曖昧で危うい空間にいたのだと我に返ったなら
今の自分こそが、答えを出さなければいけないような気がした。
そして、どうにか彼に会わなければいけないと思った。



「芽衣。こんな時間から、どこへ行くつもりだい?」


外に出て見上げた空はその境界がはっきりと見えるほどに
黄昏の殆どを夜が飲み込んでいた。
そして、境界線を越えることを止めるように立ち塞がるは
丁度、帰宅して俥から降りたばかりの鴎外だった。

彼は勘が働くし、何よりも芽衣の異変を見逃すわけがない。
いつも穏やかな鴎外が鋭い眼差しで威圧するように問うてくるから
全てを見透かされた気がして。芽衣は身体を震わせる。


「僕に言えないようなところへ行くつもりだったのかい?」
「っ、そうじゃなくて…私、全ての記憶を取り戻したんです」
「ほう。それで、故郷へ帰りたくなったと?」
「…ただ、今からでも帰ることができるのか確かめたくて」
「確かめて帰ることが可能だったとして、お前はどうするつもりなのかい?」


確実に現代へ帰ることができた満月の夜から
目まぐるしく時が流れる中で、鴎外への想いは一層強くなった。
しかし、記憶を取り戻してみると
一つの想いに囚われていた自分に気付くと同時に
天秤に掛けられるだけの現代への想いが揃ってしまった。

いつか記憶が戻ったとしても自分の決断を受け入れようと誓ったが
本当はそんな覚悟なんて全然できていなかった。
言い訳がましくなってしまうが、あの時の自分は
綾月芽衣のことを何も分かっていなかったのだと思う。
曖昧なままに答えを出すことを平気で行えたほどに何も見えていなかったのだ。


「…帰りたい」


鴎外の顔を見られなくて、逸らした先に見えるは幾望の月。
今の自分に希望があるというなら、今すぐに帰りたいと思う。
本音とともに鴎外への罪悪感で涙が零れた。
彼を愛しているけれど、その想いだけのために全てを捨てることはできない。

何より、自分はこの時代に在るべき人間ではないと分かってしまった。
温かくて幸せな日々だったけれど、鴎外がいなければ成り立たない危ういもの。
いつまでも夢を見ていられる保証なんてないのだから
本来、進むべき道を自分の足で歩いていかなければならないと思う。


「それはもう無理だ。お前は僕のものになったのだからね」
「それでも、ここにはいられない…どうしても、帰らないといけないんです」
「芽衣。それを決めるのはお前ではなく、僕だ」
「…っ」
「さぁ、早く屋敷の中に戻りなさい」


こちらの意思を聞く気もないまま、強く命じられたことに驚いて顔を上げたなら
濡れた双眸が冷たく光るナイフを捉えた。
それでも、どうして鴎外がナイフを持っているのか。
混乱するばかりで、状況を飲み込むことができない。


「僕の言うことを聞けないと言うのなら
どこへも行けないよう、お前の翼を切り落としてしまおうか」


ナイフよりも冷たく鋭い口調に、
鴎外が本気であることを知り、ごくりと喉が鳴った。
どうにか落ち着いてもらおうと言葉を探すも見つからず。
絡め取られた視線から逃げようと間誤付いている間に腕を掴まれ、
ナイフの刃先が背中に触れたならもう逃げられないと悟るしかない。

恐怖に揺れる瞳に映った鴎外は一度も芽衣と向き合うことなく、
とにかく芽衣を屋敷の中へ連れ戻そうと躍起になっているようだった。
そんな彼が歪んで見えるほどに次から次へと溢れる涙は
腕を引かれる力が強くて痛むせいだと思えたら、どんなに楽だろう。

乱暴に開けられた玄関の扉が2人を飲み込んで、閉まっていく。
もう、あの頃には戻れないと振り返った先に見えたのは
現代ではなく、鴎外と過ごした明治での日々だった。


過去に興味を持って、思い出してしまったことがいけなかったのか。
取り戻した記憶を過去のものだと割り切って、
何事もなくを装いながら今を生きるべきだったのだろうか。
後悔したところで、外側から鍵を掛けられた扉が開くわけもなく。
芽衣は部屋に散らかったままの衣装に埋もれて
夜を越え、朝を迎え、昼を渡り、巡ってきた黄昏に微睡んだ。


「泣かないで、芽衣ちゃん」


ふと、窓の外から名前を呼ばれたような気がした。
とても人と会う気にはなれなかったし、
閉じ込められた部屋の中で、これから先、鴎外以外の人間と
顔を合わせることもないだろうと覚悟していたため、反応できずにいたが
再度、名前を呼ばれて、その声が聞き覚えのあるものだと分かったなら
涙を含んで重くなった瞼を擦って、窓際へと駆け寄った。

いつの間にか窓の外は夜色に染まっていたが
今夜は満月。明るい月の光に視界がひらける。
そして、見えてくるのは2階にあるこの窓より
高い位置に浮かんでいるチャーリーの姿。

どうして、宙に浮かんでいるのかなんてどうでも良い。
いつも飄々とした彼の、今にも泣き出しそうな表情が互いの限界を告げる。


「ごめんね。僕には君を幸せへ導く力が残っていないんだ」
「…そう」
「この世界は僕が思っていた以上に複雑で。
君を含めて、人の心は思い通りにいかないことばかりだった」


まるで別の世界を生きているような物言いに首を傾げたなら、
チャーリーは困ったように笑みを浮かべ、
「君もこっちの世界に来るかい?」なんてことを言い出す。

その誘いに対し、どう答えたところで彼は悲しむのだと思う。
チャーリーも鴎外も、傷付け狂わせてしまったのは
自分なのだと痛いほど分かっている。
きっとこの世界のどこにいたって芽衣は異物として認識され、混乱が付き纏う。

それならいっそと半ば勢いだけで窓枠に立ち、
窓から月へ、導くように敷かれた月光の絨毯に片足をかける。
勿論、そこに実体はなく。足元を風が吹き抜けていくけれど
不思議と恐怖は感じなかった。
固く閉ざされた部屋のドアを一瞥し、迷いを捨てると
窓枠に掛けていた手をチャーリーへ伸ばすようにして歩き出す。


次の瞬間、どぷんと沼に沈むような感覚を受けながら身体は堕ちて
強い衝撃とともに意識は途切れた。

次に目が覚めたときには、昼か夜か、幸か不幸か
生きているのか死んでいるのかも分からない、
曖昧な世界に辿り着いているだろう。







End



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