空白満タス貯古齢糖
鏡花×芽衣
明治残留ED


この時代ではまだ珍しいとされているはずのチョコレート。
芽衣にとっては定番でお手軽と感じる薄い長方形のそれを
ふらりと立ち寄った菓子屋で見つけることができるとは思ってもみなくて
『貯古齢糖』と書かれた包みを堅苦しく感じつつも
中身の甘さを思い出してぺろりと舌なめずりをした。


「ちょっと、あんた!こんなところで何してるのさ!」
「あ…鏡花さん」
「黙っていなくなるなって、いつも言ってるのに、ほんと学習しないよね」
「すみません…このお店が気になって、つい」


ひらりと揺れる暖簾に手招きされ、吸い込まれるように足を踏み入れたその店は
時の流れを感じさせない懐かしくも新鮮な空気が漂っている。
白い髭が印象的な老店主はどこか異国の雰囲気を纏っており、
海を渡った経験があるのかもしれない。

貯古齢糖の他にも見慣れぬものが多く並んだ店内を見回しながら
つらつらと考えを巡らせているうちに、またしても意識が遠くに飛んで
全く反省の色が見られない芽衣に対し
鏡花が責めるような眼差しを浮かべていることに気付いたなら、
今度こそ頭が上がらなくなってしまう。

それでも、芽衣が慌てて謝れば鏡花は諦めたような溜息を溢したのち
「どうせ、食べ物につられたんでしょ」そう言って
親しみを込めた笑みを浮かべてくれるから、幾分救われたような気になる。


「これ、食べたいわけ?」
「え…?」
「貯古齢糖だっけ?
僕はそんな得体の知れないものを食べたいとは思わないけど」
「得体の知れないって…チョコレートは甘くてすごく美味しいんですよ?」
「へぇ。あんた、食べたことあるんだ?」
「はい。現代では定番のお菓子ですから」


コンビニで気軽に買えて、その種類も豊富だ。
ホワイトチョコにミルクやビター。
イチゴや抹茶なんかも美味しかったことを覚えている。
他にも、棒状のビスケットをコーティングしていたり
さくさくのパイ生地の中に詰まっていたりと
美味しかった物を挙げていけばキリがない。

瞳の奥に見える現代が懐かしくて、長々と話していたからだろう。
気が付けば、鏡花の表情は憂鬱に影を落としていた。
現代の話をすると彼はこの世界に一人ぼっちでいるみたいに
心細げな顔をするから、気を付けてはいたのだけれど
甘い空気に酔って、つい彼を取り残してしまったと反省する。

失態ばかりの自分に対し、分かりやすく肩を落とした芽衣は
「こんな話、退屈でしたよね…」そう言って謝ろうとしたのだが
不意に、鏡花が何かを決心したように顔を上げるから
続く言葉が喉元で閊えて、息が詰まってしまった。

一方、鏡花は咽そうになっている芽衣に構わず。
棚の貯古齢糖を指差して、店先にいた店主に声を掛ける。
「これ、全部ください」と。


「え、あの…鏡花さん?
チョコレートってこの時代では高価なものですよね?」
「そうだけど?それが何?」
「いや、だって。鏡花さん、食べたくないって」
「だけど、芽衣は好きなんでしょ?」


彼のしたり顔から察するに、この突拍子もない行動によって
芽衣が慌てることも想定済みだったのだろう。
まるで、ここまでの仕返しとばかりに何の説明もなく、
店主と必要最低限のやり取りを交わした鏡花は
「ほら。あんたに全部あげる」そんな言葉とともに
買ったばかりの貯古齢糖を全て押し付けてきた。

貯古齢糖の重みが実感できても尚、呆気に取られたままの芽衣を残し
鏡花は早々に店を出ようと歩き出すから
相変わらず、機嫌の悪い後ろ姿に責付かれるようにして彼の後を追い掛ける。


「鏡花さん!」
「そんな大声で呼ばなくても聞こえるよ。で、何さ?」
「このチョコレートです!こんなに沢山買って、どうするんですか?」
「だっ、だから、あんたが食べればいいだろ!
飽きるほど食べて…もう一生食べたくないって思えばいいんだ」


投げやりな言葉の後ろに隠れて、零れたのはきっと本音。
強がることを忘れた弱々しい声を不安に思い、
彼の真意を探るように首を傾げたなら
ずっと逸らされていた白緑色の瞳がこちらを向いて、視線が絡む。


「貯古齢糖くらい、いくらでも買ってあげるから…
だから、元の時代に戻りたいとか思わないでよね」
「え…私を引き留めるために、これを?」
「っ、そうだけど。何か文句あるわけ?」
「いえ…でも。私、チョコレートが食べたくなったからって
現代に帰りたいとは思いませんよ?」
「ふんっ。そんなの信用できないね。あんたの食い意地は人一倍だし」


食い意地が張っている点については否定できないが
食欲を理由に現代に帰るかもしれないと思われているのは心外だ。
現代に残してきたもの全てを捨て、この時代に残ることを決意したというのに
その想いがまるで伝わっていないことが悲しくて、
半分以上は自分の責任であることを承知で、鏡花をじろりと睨んだ。

途端、鏡花は「な、何だよ!」そう言ってたじろぐから、
対照的に冷静を取り戻した芽衣は言葉にしなければ伝わらないのだと反省する。


「私は鏡花さんが隣にいてくれたら、他に何もいらないって思ったから
全てを捨てて、この時代で生きていくことを決めたんです。
今、こうして一緒にいられるだけで幸せだから、後悔もしていません」
「なっ!っあ、あんたが幸せだってことくらい知ってるよ。
なんたって、この僕がついているんだからね!」
「はい」
「でも…これから先、後悔して帰りたいって思うかどうかは別の話じゃないか。
人の心情ほど変わりやすくて、信用できないものはないんだ…」


鏡花は霧に包まれた未来を見ようと必死だった。
そんな彼の不安が無用なものだと分かってほしいけれど
どんな言葉を以てしても、見えない未来を証明することは難しい。
現在においても、形として見せることができない心情が答えなら尚更だ。

芽衣は、自分の気持ちは変わらないと言い切ることはできたが
その理由を説明することができず、口籠る。
今、未来について何を言ったところで憶測にしかならない。
それではひとつ、約束をしてみるのはどうだろう。


「鏡花さん。現代にはバレンタインデーという行事があるんです」
「はぁ?あんた、この流れで現代の話なんかするわけ?」
「いいから、聞いてください。2月14日のバレンタインデーでは
女性が好きな男性にチョコレートを贈るんです」
「貯古齢糖を贈るなんて、贅沢な話…」
「重要なのは、その日があることで
恋人たちが愛を確かめ合うことができるってところです」


薄らとした認識のまま、つまり何が言いたいのかと首を傾げる鏡花に対し
自分の考えを伝えることについて今更ながら緊張してしまった芽衣は
胸に抱えた貯古齢糖を一層強く抱き締める。
そうして、甘く心を和らげてくれるそれに勇気をもらった芽衣は
毎年2月14日に鏡花へ貯古齢糖を贈ることを誓った。


「そんな約束して…あんた、ほんとに守れるわけ?」
「当然です」
「…」
「信じられないって言うなら、それでも良いです。
これから2月14日を迎えるたびに約束が守られていることを実感して。
一緒にいることが当たり前だって思えるようになれば、不安も消えますよね」
「…あんたって、大物だよね。僕は今日、明日のことで悩んでるっていうのに
あんたはずっと遠くを見据えてるんだ。
しかも、当然のように僕を巻き込んでさ…ほんと、自分勝手」


最後の一言が余計だと、気忙しくもムッとしてしまったが
その隙をついて「でもまぁ…巻き込まれるのも悪くないかもね」と
赤い顔で言われた瞬間、簡単に絆されてしまう。

芽衣がふにゃりと頬を緩ませば、鏡花はすっかり照れてしまったらしい。
「もう良いだろ!」そう声を荒げて
あんたに付き合っていたら日が暮れる。早く行くよ。などと
取り繕うように言葉を並べながら、1人歩き出す。

その口調は不満げであったが、後ろ姿は先程までと違って見えた。
霧が晴れた目の前の道を弾むように歩く鏡花を
芽衣は当たり前に追い掛けて、隣に並んだ。

そうして、2人で歩いた道を約束の日に振り返ったなら
その長さに驚き、戸惑うかもしれないが
一方で、また新たに歩き出すための追い風を感じることができるだろう。







End




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