再生の羽風
イッキ→←主
2人で住みたかったなEND


病室の前に立ち尽くし、ただ人の流れを見ていた。
忙しそうにワゴンを連れていく看護師や
旦那さんに車椅子を押してもらう老婦、
綺麗な花束を持って会話を弾ませる親子も
目が合えば、小さな幸せのお裾分けとばかりに微笑みをくれる。
こちらも、笑みを返してはいるがぎこちなさが拭えない。

どうしてもお見舞いに行きたいというミネの付き合いとはいえ
やはり来るべきではなかったと後悔している。
できることなら今すぐにでも此処から立ち去りたい。


「ねぇ。本当に会わなくて良いの?」


相変わらず、分離する気配もなく
側に居てくれるオリオンに問われてドキリと鼓動が跳ねた。
オリオンには全てお見通しだとは思うが
会わなくても良いと頷いて答える。

ほんの数時間前に別れて、彼女ではなくなった自分に
会う資格なんてあるはずがないし、イッキも望んでいないだろう。
何より、イッキが傷心旅行として向かった先の海で溺れたと聞いて
どんな顔で会えと言うのか。

病院に運び込まれ、詳しい診断が出てすぐに
ケントが誰よりも先に連絡をくれたこと自体、可笑しな話だ。


イッキの意識が戻らずにいると聞いて不安に思わなかったわけではない。
しかし、彼に対して何らかの感情を抱くことさえも
資格がないからと躊躇う自分がいて、今はどうにか平然を装っている。
それでも、彼が目を覚ますことを祈るくらいは許してほしい。


「先輩。ずっとそこにいたんですか?」
「君も入ってくれば良いものを…」


目の前のドアががらりと開けられ
病室にいたミネとケントが出てきた。
慌てて、浮かない表情を一変。壁に凭れていた身体を起こせば
2人は呆れたように息を吐き、歩み寄ってくる。


「私たち、これから買い出しに行ってきますから」
「買い出し?」
「イッキ先輩が目を覚ました時のために
色々揃えておいたほうが良いと思いまして…
ケントさんに道案内兼荷物持ちを頼んだので、2人で出てきますね」
「…」
「先輩は病室でイッキ先輩を看ていてください」


台本を読み上げるようにさらさらと早口で話すミネと
眼鏡を軽く上げて意味ありげな瞳をこちらに向けてくるケントに
「2人に仕組まれたね」とオリオンは呟く。
もちろん、こちらも簡単に揺らぐ決意ではないため
買い出しは自分が行くと申し出るが、
「ずっと病室にいたので身体を動かしたいんです」と即座に返される。

その先、何を言っても上手くかわされる気がして、仕方なく口を閉じれば
ミネは「じゃあ、イッキ先輩のこと任せましたよ」と念押しして
ケントと共にエレベーターホールへ歩いていく。


開けっ放しにされたドアから見える病室は
窓から差し込む日の光で溢れている。
何とも入り難い雰囲気だが「覚悟を決めるしかないね」という
オリオンの言葉に素直に頷いて、緊張の面持ちで足を踏み入れた。

ベッドを囲むクリーム色のカーテンは少し動くだけでふわりと揺れる。
そんなちょっとしたことで、
イッキが目を覚ますのではないかと身構えてしまうが
病室を漂う空気は廊下に比べて穏やかだ。
まるで時が止まってしまったかのような空間に
暫くすると心も平穏を取り戻した。


早く目を覚ましてほしいけれど、それが今だと困る。
複雑な心境のまま、躊躇いがちに彼に近付く。
別れを告げたあの時と変わらない苦痛を滲ませた表情だ。
全て自分のせいだと責めずにはいられない。
少しでも温もりをと、資格がないことを承知で彼の冷たい手を握った。


「ん…っ、ここは」


その行動がネジを巻いてしまったかのように、止まっていた時が動き出す。
すぐに逃げ出そうとしたが、薄らとした意識の中で
状況を把握したらしいイッキに強く手を掴まれて、止められる。

「とにかく人を呼んでこよう」というオリオンの言葉を受けて
「看護師さんを呼んできますから、離してください」そう声を掛けるも
彼は手を放そうとはせず、力強い瞳で何かを訴えてくる。
途端にこの状況か怖くなって「ごめんなさい」と目を伏せた。


「どうして、謝るの?」
「私になんて会いたくなかったですよね。全部、私のせいだから…
私がイッキさんを傷付けなければ、海で溺れることもなかったんです」
「どうしてそうなるの?君は約束通り、答えをくれただけでしょ。
3ヶ月の期限を付けたのも、人の気持ちを軽く見ていたのも、
君を振り向かせられなかったのも、全て僕の失態だよ」
「…」
「海で溺れたのは、入水しようなんて冗談言った罰が当たったのかな」


「入水!」とオリオンが慌てふためく中で
こちらは驚き過ぎて声も出なかった。
そんなことを考えさせるほどイッキを追い込んでしまっていたなんて
罪悪感に押しつぶされそうになる。
同時に、生きていてくれて良かったという安堵で涙が零れた。


「君は優しいね。好きでもない男のために泣いてくれるの?」


イッキはそう言って一粒一粒、慈しむように涙を拾ってくれる。
彼を失いたくない。苦しんでほしくない、笑顔でいてほしい。
心の底から溢れ出る、温かな気持ちが何を意味しているかはハッキリしない。

しかし、もう嘘を吐きたくないと思ったのは確かだ。
涙を涸らして少しだけスッキリした瞳で、傍にいてくれたオリオンを見る。
するとオリオンは何もかも分かった上で
大丈夫だと安心付けるように頷いてくれた。


「私、約束を破ってしまったことを謝りたいんです」
「え?」
「私が答えを告げるべきではなかった。
本当のことを話して違う形でお別れすべきでした」
「ごめん。何の話?」
「イッキさんに答えを出すと約束したのは3か月前の私。
でも、今の私にはその時の記憶がないから…」


もう少し柔らかな言い様があったかもしれないが、
見つけられる余裕なんてなかった。
今まで信じてもらえず、騙されていたのだと知った彼が絶望し、
好きだという気持ちが冷めてしまうことを考えると胸が苦しい。
でも、そうなったほうが彼のためなのかもしれないと思う自分もいた。


「…ごめん。なんか、何て言ったら良いんだろう。
え、と…記憶喪失ってことだよね?
8月から君の様子が変わったのってそのせい?」
「この1か月、必死に思い出そうとしてきました。
でも、イッキさんが好きだったって頭では分かるのに
肝心の想いが付いて来ないんです。心は何も思い出してくれなかった」


だから、今の自分の答えは好きじゃないとして、別れを受け入れた。
もう少し一緒にいて彼のことを知ったら
何かが変わるかもしれないという可能性に蓋をした。
これ以上、イッキを振り回したくなかったからこその決断だったのに
イッキを苦しめるような事態になるとは思わなかったから。


「分かった…じゃあ、この3ヶ月の賭けは無効ってわけだ」
「そうなります」
「そっか、そうなんだ…
う〜ん。それなら、再戦を申し込んでも良いのかな?」
「っ。何を言ってるんですか!」
「だって、僕が君を必死に口説いたことを忘れられてるなら
もう一度、口説いて惚れさせることができるかもしれないじゃない?
君は記憶がない自分に引け目を感じているんだろうけど…
一緒に前を向いて歩かない?今の君だってすぐに夢中にさせてみせるから」


無効だと頷いたのはこの3ヶ月をなかったことにして
イッキだけでも前に進んでほしかったからだ。
しかし、彼はこの手を離そうとしない。

すぐさま「ダメです」と小さく告げて、手を振り払おうとしたけれど
彼は変わらずに手を握り締めてくるから
自分が今考えていることも間違いなのだろうかという気になる。
そして、どうしたらイッキが幸せになるのだろうと悩む。


「諦めが悪い男だって思うよね。でもね…もう君じゃなきゃダメなんだ。
希望があるのに諦められるほどの想いじゃないんだ。
別れようって言うのがどんなに辛くて
離れていく君を見るのがどんなに怖かったか…
僕の進む未来に君がいないだけで、生きる意味を失ったんだ」


「こんな海の底で未だに生きているなんて、しぶといなと思うよ」と
海水でパサついた髪を指に絡め、薬品の匂いが漂う病室を見回しながら
冗談交じりに話すイッキだが、相変わらず、その表情に余裕は見られない。

それなのにどうして記憶喪失を黙っていたことを責めようとしないのか
記憶がない君とは関わりたくないと言って見捨てないのか。
戸惑いと僅かな期待に震える声で問い掛ければ
彼は逆に不思議そうな顔をして、答えを教えてくれる。


「確かに信じて頼ってほしかったけど…それは君らしくないよね。
中々、心を開いてくれなくて1人で何でも抱え込んでしまう
危なっかしい性格を含めて僕は君を好きになったんだ。
責める気になんてなれないし、僕は今目の前にいる君に恋しているから
記憶があってもなくても、僕が好きな君に変わりないよ」


記憶喪失でイッキのことを好きなのかも曖昧な自分は
彼に相応しくないと心のどこかで思っていた。

イッキには普通の恋愛を見つけてほしかったのだ。
ただ、心から愛する人に愛されて幸せになってほしい。
ぼんやりとした過去の自分も同じことを望んでいるような気がする。


「惚れさせるって話ですけど…イッキさんが望むのなら受けて立ちます。
その代わり、期限をなくして友人関係からスタートしてほしいです」
「え…そんなの、僕が有利じゃない。君はそれで良いの?」
「恋愛は元々そういうものです。明日には好きになっているかもしれませんし
何年も経ってから気付くかもしれません。期限があるほうが可笑しいです」
「…」
「でも、強いて言うならイッキさんか私に
他に好きな人ができたら、勝負は終わってしまいますね」


そう言って悪戯に笑えば意外にも彼は余裕ありげに言う。
「それじゃあ、安心だね」と。
続けて、僕は君以外を好きにならないし、
君に僕以上の男が現れるとも思えないなんて言われては
いきなり負けたような気分だ。

こんなことで本当に良いのだろうか。
イッキのためになっているのだろうかと多少の迷いが残る中、
今までの会話を聞いていたかのような調子で
「無事、生還したようだな。イッキュウ」という言葉が入ってきた。

それに続いて「良かった!先輩、目を覚ましたんですね」と
弾んだ声がカーテンを揺らして飛び込んでくるものだから
後ろ向きだった目線を現在へ、正されたような気になる。


「あーあ。2人きりになった途端、目を覚ますなんてドラマみたいなこと
現実にあるんですね。私たちが脇役扱いなんて納得できません」
「可笑しなことを言うな。イッキュウと彼女を2人きりにしたら
何かが変わるかもしれないと言ったのは君ではないか。
根拠のない自信にのってみればこの展開…正直驚いている」


とても気が合うとは思えない2人が
会話を弾ませていることを不思議に思うこともなく
イッキは「彼女を連れてきてくれてありがとう」と
何もかも分かった様子で会話に混ざっていく。

そこで何となく取り残されたような気になって視線を外せば
どこまでも続く街並みと曇りのない青空が瞳に映る。
先程まで窓の外からこちらを見ていた精霊の姿はいつの間にか消えていた。
窓から入ってくる羽風のような柔らかな風は
迷いを吹き飛ばすと同時に精霊の旅立ちを告げる。

精霊はどこかで2人の勝負の行方を見守ってくれているだろう。
このルートはまだ始まったばかりなのだから。






End




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