愛色塗装した空は
イッキ→主→トーマ
あの野郎…!END


彼女はいつも空を見上げている。
穏やかに雲が流れるだけの、何の変哲もない青空。
手を伸ばしても届かないそれを通して何を思っているのだろう。
そんなこと、聞かなくても分かりきっていて。
イッキはやっぱりダメなのかなと溜息を溢す。

今にも空へ飛んで行きそうな危うい後ろ姿に歩み寄れば
その気配に彼女はびくりと肩を震わせ、勢いだけでこちらを向いた。
嫌がらせされていた時の恐怖が抜けないのだろうと理解する一方で
もしかしてトーマだと思って期待したのではないかなんて
ひねくれた自分が意地悪げに囁く。


「遅くなってごめんね。寒かったんじゃない?
中で待っててくれても良かったのに」


待ち合わせの相手として何とない挨拶を投げかけただけなのに
彼女の表情に安堵だけでなく、落胆の色が見えたような気がした。
それは仕方ないと思うべきなのかもしれないが
あんなことがあってもまだ彼のことを想っているの?なんて
酷いことを問いたくなる。

それを思い留まっていられるのは、今回の元凶がイッキ自身だからだ。
本来、自分が彼女の前から消えなければならなかったはずなのに
彼女は『イッキさんは悪くありません』
『傍にいて、私が失くした記憶を教えてくれませんか?』と言ってくれたから
これから先、代わりでも何でも良いから、彼女の傍にいようと思った。
もう二度とないとは思うが、再び彼女が嫌がらせにあうようなことがあっても
絶対に守ってみせる。そう決意して彼女の手を握った。


「あの、イッキさん…この手」
「嫌だった?」
「いえ…そういうわけじゃ」
「そう。じゃあ、行こう。バイトに遅れるよ」


今日までの間に殆どの記憶を取り戻したという彼女だが
トーマへの想いだけは抜け落ちたままのようで
過去に好きだったと頭では分かっているが心がついてこない。
そんな状態なのだろう。

だからといって、自分を好きになってくれることはないと
イッキはちゃんと分かっていた。
彼女がトーマへの気持ちを思い出すか、思い出さないかは分からないし
もし思い出した時、彼のしたことを踏まえてどう決断するかも分からない。
けれど、彼女が彼以外を愛すことはないということだけはハッキリしている。


「また…」
「え?」
「…また空を見上げてるんだね」


彼女を真似て空を見上げれば、隣で困ったような笑みが零れる。
そして「私、そんなに空を見てますか?」と尋ねてくるから
「見てるよ」そう答える序でに
電線や看板に遮られず高いビルに切り取られることもない
どこまでも続く空をよく見ているのだと教えた。

すると彼女は驚いたように瞬きを繰り返し、
「イッキさんは私のことをよく見てますね」なんて
冗談めかしに言うから、曖昧な笑みを返すことしかできなくなる。

彼女はいつだってトーマしか見えていなかったから
視線が絡まなかっただけで、本当はずっと見つめていた。
今、漸く気付いてもらえて嬉しいはずなのに
目が合っても恋に落ちてくれないという現実に落胆する。

彼へと続くこの空を彼女から奪ってしまえば、僕しか見えなくなるのか。
それとも彼女が壊れてしまうのだろうか。
そんな物騒な考えを慌てて振り払えば
彼女の好きなものをビルのように高く積んで、
空を切り取ることくらいならできるのではないかという可能性が残る。


「ねぇ。今度2人でどこか行こうか。
9月からずっと頑張ってた君にご褒美。何でも付き合うよ」


何とない誘いだったのだが困らせてしまったらしい。
視線を上に投げて考え込む彼女に対し、断られるのが怖くて
オープンしたばかりのショッピングモールや
評判の良いレストラン、流行の映画なんかを提案してみる。

しかし、無駄に知っている女の子が喜ぶ場所を
つらつらと並べていったところで彼女は大きく表情を変えなかった。
以前、トーマとただ出掛けるのではなくデートがしたいと話ながら
目を輝かせていた彼女は存在しなくて。
あの時の望みを叶えるのは自分でありたいと思うのに、上手くはいかないらしい。

更に彼女は見えていないはずの想いに縛られたまま
困惑に揺れる瞳に空を映して言う。
「空や街並みがきれいに見える場所にあれば行ってみたいです」と。


「そんなに、好きなの?」
「え…」
「もっと周りに目を向けて、何でも望めば良いのに」
「あの…私はただ落ち着ける場所が良いかなと思っただけですよ?」
「…本当にそれだけ?」
「え、と…イッキさんは人混みが苦手ですよね?
だったら2人でゆっくりできる場所に、とは思いましたけど。
余計なお世話でしたか?」


本当に彼女は何も見えていなかったのだろうか。
いつだってトーマのことばかり想っている彼女を見ていたくなくて
先に目を逸らしたのは自分ではないかと現実を突き付けられたような気になる。

そのことに気付いて漸く本当の意味で目が合ったけれど
やっぱり彼女は恋に落ちてくれないし
見上げればそこにある空は彼女にとって大きな存在で、この先も敵わない。
だけど、変わらない関係性の中で、彼女がふと現実に目を向けたとき
そこに自分がいられたなら、それだけで良いのかもしれない。

苦しくなるほど早鐘をうっていた心が
どくんと大きく跳ねたのを機に穏やかにリズムを刻み始める。
それはきっと、恋が愛に変わった合図。






End




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