殺風景な茶番劇
イッキ主
覚悟、決めたよEND


キーボードを叩く音が心地よく耳に届く。
たまに手元の資料をはらりと捲る動作が入るだけで殆ど変らないその姿に
声を掛けることもできず、ただ邪魔にならないよう息を殺す。

最新型のパソコン、手にすることも躊躇われる専門書、窓の外に広がる景色。
西池大学の研究室にはイッキに連れられ何度か訪れたことがあるが
門を潜ってからここまで、心の中にチラついている疎外感は
これまでもこれからも慣れることはないと思う。

何より、今回はイッキに黙って来たため余計に居心地の悪さを感じる。
今日ここに来たのはイッキと喧嘩をして携帯も財布も持たず家を飛び出し、
行く当てなく困っていたところをケントに声を掛けてもらったからなのだが
話を聞いてくれるわけでもなく、研究室に着くなり自分はやることがあるからと
パソコンに向かってしまったところを見ると
狼狽し、助けを求めてくるイッキが見たいだけなのだろう。

面白いように利用されたことを癪に思いながらも今更帰るなんてできず
勧められたミネラルウォーターを乾ききった喉に流した。
ケントが背にした窓の外はすっかり夕日色に染まっている。
流石に心配しているだろうか。それとも、まだ怒っているかもしれない。
どちらにしても、ケントの思惑通り
イッキが平静を崩し、この場所まで来るとは思わなくて。


「そろそろだな」


早く帰って誤れば良かったという想いから深く吐いた溜息。
それに被せるようにして呟かれたケントの言葉には悪戯心が窺えた。
キーボードを弾いていた指をぴたりと止め、
静寂の向こうへ耳を澄ませるケントを真似てみると
間を置かずして、こちらに向かってくる足音が聞こえてくる。

足音の持ち主が誰なのか見当はついているはずなのに
期待を裏切られるのが怖くて、まさか彼なわけがないと信じられず。
頼りなげな眼差しをケントへ向ければ
彼は唇に人差し指を当て、静かにしているように示してきた。


「ケン!どうしよう!彼女がいないんだ!」


足音がこの部屋の前で止まった瞬間、思わず目を閉じてしまったが
荒くドアが開けられ、慌てた声が飛び込んできたものだから驚いて見開く。
大きな瞳に映るのは息を切らし、切羽詰まった様子のイッキ。
「僕のせいだ。ほんと、どうしよう」という声を含め、
彼の存在が空っぽだった心に溶け込んでいく。

ケントの言った通りだと思ったのは一瞬で
心配をかけてしまったことへの罪悪感が押し寄せてくる。
このままこっそり部屋を抜け出して隠れていたい気分になりながら
縋るようにケントへ視線を投げると彼は堪えていた笑いをぷっと吐き出した。


「彼女なら、そこにいるではないか」


突然、笑い出す親友に唖然としていたイッキだったが
笑みを含んだ声で伝えられた現状に驚いた勢いを持って、振り返る。
彼がこちらを向く前に逃げ出したい。でも、謝って仲直りがしたい。
一瞬のうちにあれこれ考えてしまったけれど
青い瞳に射抜かれると、途端に鼓動が騒がしくなって
心の声は完全に遮断されてしまったようだ。
何か言葉にしなければと口を開くも、呼吸が乱れていくばかり。

そんな状態を隠すように俯き加減でいたところ
白い床にぼんやりと影が落ちて、視界の隅に見慣れた靴が入り込んできた。
目の前に立つ気配に緊張しつつも「あの!」と勢い付けて顔を上げれば
続けようとした言葉もろとも、強く抱きしめられる。


「イッキ、さん?」
「ごめん。君を疑うようなこと言って…本当、ごめん」
「…え、と。私のほうこそ意地になって、すみませんでした」


今までの時間は何だったのだろうと思わせるほど
あっさりと口に出された言葉と、彼の背に腕を回してゼロになる距離。
胸元に頬を摺り寄せて伝わってくる冷たい冬の匂いと少し乱れた温かな呼吸に
この寒空の下を探し回ってくれていたことを知ると
苦しくなって、思わず彼を抱き締める腕に力を込めた。


「仲直りできたようで何よりだな。イッキュウ」
「楽しんでたくせに、よく言うよ」
「否定はしない。君の醜態を観察するのは私の趣味のようなものだからな」
「あ〜、ほんと格好わる…ケンに連絡して返事がない時点で気付くべきだった」


頭の上で交わされる会話に取り残されたような気になりつつ
おずおずと顔を上げれば、困り顔を浮かべたイッキと視線が絡み
「もう二度と会えないんじゃないかって、本気で焦ってたんだ」と
真剣に言われたため、イッキから離れるつもりはないという意味を込めて
「大袈裟です」という言葉と微笑みを返した。

それでもイッキは安心しきれないのか、表情を僅かに曇らせて
「大袈裟なんかじゃないよ…」と小さく溢すから
その弱った声音に絆されてしまいそうになる。


「君のことになると、余裕なんて全然持てないんだから。
今だって…内心、凄く妬いてるんだよ?この数時間、君はケンと一緒にいて
何をしてたんだろうって気になってたまらない」
「え、と。特に何もしてなかったです、けど」
「うん。分かってる…分かってるんだけど、面白くないじゃない」


肩にこてんと額を押し付けられ、少しだけ重く感じて
ケントに助けを求めれば「君たちの喧嘩の原因はこれか…」と
呆れたように言われてしまったため、つい肩を震わせてしまった。
勿論、原因が全てここにあるといわけではないが
イッキの大袈裟なまでの心配が元であることは確かだ。

しかし、イッキの想いを突っ撥ねてしまった自分も反省すべき点があるため
「君も大変だな」というケントの言葉に対しては、曖昧に笑うだけに留めた。

振り回されているのはきっとお互い様。
相手のことを好きになって、心の中で2人分の想いが回り始めたのだから
上手く噛み合わない時もあって当然だろう。
だからこそ、抱き合って2つの心でリズムを揃えるのだ。


「あの…イッキさん」
「うん。そろそろ帰ろうか。君を思い切り独占したい」


ひと時も離れたくないとばかりに手を強く握ってきたかと思えば
ケントへの挨拶もそこそこに、足早に歩き出すイッキを慌てて追いかける。
振り返って、ケントにお礼を言う暇も与えられぬまま
最後まで振り回されるようにして、研究室を後にするのだった。







End



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -