傷痕に宿す愛
イッキ主
覚悟、決めたよEND


タオルで髪を軽く拭きながら熱気の籠った洗面所を出たところ、
柔らかな灯りと静寂の中で眠る彼女の姿を見つけた。
首から下げたタオルをそのままに
濡れた髪を掻き揚げるようにして頭を抱えれば、
「参ったね…」という呟きが滴り落ちる。


「ねぇ、起きて。こんなところで寝ていたら風邪ひくよ」


彼女の無防備な寝顔に心臓が痛いくらい脈打つ。
それを誤魔化すようにテーブルに突っ伏して眠る彼女へ声を掛けたなら
彼女は小さくぐずりながら身動ぎ、ゆっくり時間を掛けて瞼を上げる。
とろんとした瞳も、ふるり揺れる長い睫も、熱く零れる吐息も
その仕草一つ一つに惹きつけられ、
イッキは熱がこもろうとする瞳を思わず他方へ逸らす。


「これって…」


ふと、ぶれた視界が定まった先。マグカップや雑誌、携帯電話など
落ち着かないテーブルがある中に紛れる手帳がやけに目に付いた。
見覚えのない薔薇色のそれは間違いなく彼女のもので
そうなれば、どうしても気になってしまうから困りものだ。
そんな興味津々といった眼差しに気付いたのか
彼女は寝惚け顔を一変、手帳を胸に抱えてしまう。


「そうやって取り上げられると余計に気になるんだけど…」
「あ、いえ…これはただの日記で」
「へぇ。君、日記なんて書いてたんだ」


一緒に暮らすようになって暫く経つが初めて知った。
どこか照れたような彼女を見る限り、
あまり知られたくなくて、隠れて書いていたのだろう。
そうだとしたら、読ませてくれるわけもないなと
早々に諦め、手帳から視線を外した。

そのことを意外に思ったのか
彼女は手帳を抱き締めた腕の力を緩め、不思議そうに瞬きする。
彼女が甘いのを良いことに普段から強引に押し切ることがあるため、
その反応も仕方ないと思うけれど、つい苦笑いが零れる。


「大丈夫。女の子の日記を見ようなんて不躾なことはしないよ」
「っ、そうですよね」
「でも、ちゃんと僕のことが書かれているか気になるな」
「え…あ、はい!沢山書いてますよ。今日は一緒に出掛けたので
いつも以上にイッキさんのことばっかりになっちゃいました」


彼女があまりに感慨を込めて話すものだから
気になって「昔の日記も大切にとってあったりするの?」と問うてみれば
彼女は一瞬、呆けた表情を浮かべたが
すぐに我に返ったようで、慌てて首を横に振る。


「実は日記は先月から書き始めたので、これが1冊目なんです」
「先月って…もしかして、記憶喪失になったのが切っ掛け?」
「はい。あの時は記憶の手掛かりになればと思って書いていたんですけど
記憶が戻ってからも、何となく書き続けてるんです」
「…」
「イッキさんのこと、沢山書いてあるので
これでまた記憶喪失になるようなことがあっても平気ですよ」


それはあくまで副産物だとして冗談ぽく話す彼女だが
本当は抱えている不安を紛らわせるというのが一番の理由であると
気付かないほど鈍くはない。

突然の記憶喪失に悩み苦しんだ彼女。
また起こるかもしれないと不安になるのも当然だ。


「イッキさん?」
「愛してる」
「っ、え…あの」
「僕は君に伝え続けるから、不安に思うことなんてないよ。
君の記憶がなくなっても、例えそれが戻らなくても…
君が僕の恋人で、どれほど愛しているのか、何度だって教えてあげる」
「…私、イッキさんを傷付けたくないんです。
私の記憶がなくなって一番傷付いたのはイッキさんだと思うから
もう二度と同じ思いをしてほしくないんです」
「全く、君って子は…」


彼女は記憶喪失であることを打ち明けられず
しばらく隠していたことを悔やんでいるのだろう。
でもそれは信用できないと思わせたイッキ自身の責任。
そして本来なら、彼女の変化を気に掛けてあげるべきだったとも思う。

彼女が記憶を取り戻した今でも
そんなことを思い返して自己嫌悪に陥ることがある。
同時に、彼女がまた記憶喪失になるようなことがあれば
気付いてあげられるだろうか、また好きになってもらえるだろうか、と
不安になるのも確か。


「僕はね、愛してるって伝えた後に君が見せる真っ赤な顔を見ると
嬉しいって思うのと同時に安心するんだ。
記憶があるって分かるからってだけじゃなくて。
こんなに僕のことを好きな君が僕を好きじゃなくなるなんて
有り得ないって思うから」
「…何ですか、その自信は」
「でも事実でしょ?だから、僕は傷付かないよ。
どんな状況に置かれても君は僕を見てくれるって分かっているから」


驚いたように瞳を瞬かせる彼女に照れ臭くなり
「たまに君が言葉で伝えてくれたら、尚安心するんだけどね」なんて
からかうように言ってみせる。

途端に照れて、困ったように目を伏せる彼女に
漸くいつもの調子が取り戻せるような気がしたのだけれど
彼女は覚悟を決めたような勢いで顔を上げ、
「私、何があってもイッキさんのことを好きでいます」
そんな言葉をくれるから、過去も未来もどうでも良くなるほどに
目の前の彼女に恋して愛して、抱き締めた。








End




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