愛に沈む魚
イッキ→主
アニメ「スペードの世界」


手の届く距離にいたのに触れるどころか真面に話をすることもできず。
彼女がこちらを見てくれないだろうかと何度も期待して
それが叶うと周りの雑音が消え、2人きりの世界にいるような気分になる。
そんな1日の終わりに2人で夜空を見上げたあの瞬間は
流れ星が起こした奇跡だと思わせるくらい幸せだった。

女の子たちの制止を振り切り、湖に向かう自分は我慢してきたことだけでなく
喜びさえも台無しにしてしまったのかもしれない。


『先輩がずっと部屋に戻ってこなくて』
『2人でペンション内を探したんですけど、見当たらないんです』


ダイニングルームに飛び込んできたミネとサワの言葉に
傍にいた女の子たちは動揺を見せた。
それを指摘すれば、湖で少し話をしただけだと答えたが
皆が何らかの形で彼女を傷付けたのは明らかだ。

普通なら、湖で何をしていたのか辛抱強く聞くところだが
今回は妙な胸騒ぎを感じ、何より先に彼女の無事を確かめたいと思ってしまった。

怪我をしていたら、泣いていたらどうしよう。
漸く彼女に気持ちが伝わったというのに
駆け寄って行ったところで拒絶されるかもしれない。
彼女と流れ星を見て、キスをしたベンチの横を通り過ぎながら
彼女を失った世界で自分が生きる意味はあるのだろうかと考えた。


結局、自分のことばかりなのだ。
好きになってもらいたい一心で彼女を振り回して
上手く愛することも、守ることもできなかった。

嘲笑うかのように吹き抜けていく冷たい風と
雲間から零れる月明かりに照らされる反転したボート。
荒れた呼吸をそのままに水音一つしない湖を見つめた。
無事だと信じたいのに岸に辿り着いた彼女の帽子が現実を突き付けてくる。

彼女は本当に此処にいるのか。
いたとして、灯は消えずに残っているだろうか。
その答えは水底にあると考えた瞬間、湖へと飛び込んだ。

全身を包む冷たさに身体の機能が一時停止したようだった。
追い掛けてきていた女の子たちだろうか
上から降ってくる自分の名前を呼ぶ声に、浮力も手伝って
水面へと引き戻されそうになるけれど暗く冷たい底へ手を伸ばした。


ごぼごぼと水の流れる音が耳を擽る。
どこを見ても闇ばかりで意味をなさない視覚に対し
音だけが刺激を与えてくるようだ。
彼女を探しているはずなのに、何も見えないことに安心している。

彼女はこんな場所にいるはずがないと思いたいがゆえに
ただ沈んでいくだけの自分になっていた。
その一方で、自分はこのまま彼女に会えず死んでいくのだろうかという思いから
少しずつ零れる息と一緒に涙が水に溶けていく。



『彼女はここにいるよ』


酸素が不足して意識が朦朧とする中で聞こえてきた声。
少年のものと思われるその声が聞こえたほうへ視線を向ければ
暗闇の中にぼんやりと光が見える。
身体が重くて思うように動かないけれど、殆ど無意識に光を目指して進む。

そして、光の中に飛び込むと同時に水草に沈む彼女の姿を見つけた。
目を閉じたまま、眠るようにそこにいる彼女は
儚げな美しさを身に纏い、昔本で見た人魚姫を彷彿とさせる。
彼女は湖にいない、いたとしても手を伸ばすことができる。
そんな希望を抱いていなかったわけではないが
ここにきてあまりに冷静でいられる自分は
湖に飛び込んだ時点でこの結末を受け入れていたのかもしれない。
そして、彼女を失った世界で自分が生きる意味なんてないと
とっくに答えを出していたのだ。


泡のように軽くて脆い彼女の身体を抱きしめて、冷たい口づけを交わす。
肺に残っている僅かな空気を全て彼女に捧げれば
唇の隙間から零れた息が2人を祝福するようにきらりと光った。







End




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