01、松川君

──あれは、私が青葉城西高校の"保健室の先生"になって5年目。
紫陽花やタチアオイで鮮やかに賑わっていた校庭の花壇から色が消え、蝉の声が夏を告げ始めた季節のこと──


『お昼のニュースです。気象庁は今日、関東甲信越地方が梅雨明けしたとみられると発表しました。この先一週間も晴れる日が多く、うだるような暑さが続くでしょう……』

誰も居ない保健室で、テレビのニュースをつけて一人お弁当タイム。
いつもの時間、いつものチャンネル、いつもの晩御飯の残りを朝自分で詰めただけの代わり映えのない弁当。

【そんな刺激のない毎日じゃボケるよ?せめて他の先生とも仲良くしときなよ、まだアンタ腐っても20代なんだから】

とこの前、高校の同窓会で友達から言われた言葉を思い出す。
(…余計なお世話)
とは思いつつも、確かにこんな毎日に物足りなさは感じてる。
でもだからって何か新しく習い事をするだとか、そんな行動に移すのは面倒くさくて。
わざわざ貴重な休み時間に、神経すり減らしてまで他の先生と無理矢理話す必要性も感じてないし。

はぁー…

めんど……

広い保健室、遠慮のない大きな溜め息をついて、箸片手に思い切り椅子のリクライニングに仰け反ったその時、

『お邪魔、してます』
『…へッ?!』

すごく背の高い少年の顔が、反転した私の視界に映りこんできて、心臓が止まるくらい驚いた。
いつもの“保健の先生”しか知らない彼に、ここだけは自分一人だけの空間だと思い込んでいた私は、無防備状態の醜態を晒してしまったということだ。
その事実で、少し動揺してしまった。

『あ…、えと、ま、ま松川君?!』
『はい』

3年生の松川君。1年生の頃からテーピングを巻いて欲しいと言って時々保健室に来てた、すごく背が高くて大人しい印象のコ。
まだ一度も部活してるところ見たことないけど、バレー部やってるらしい。

『いや、「はい」じゃなくてっ!いつから居たの?!入るときは声掛けてよ、びっくりするじゃない』
『ノックしたんですけど、返事がなかったから。すみません、驚かせて。でも先生の素が見れたのでちょっと親近感湧きました』
『んもう……、一瞬心臓止まったじゃない。それで…今日はどうしたの?まだお昼休み入ったばかりだけど。お昼、食べた?』
『いえまだ。だけどさっき購買でパン買ってきました。ここで食べようと思って』
『……ん?ここで?』
『ここで』

普段も真面目な感じで、そこまで冗談を言い合ったり仲良く話したこともない彼だけど、何となく、そのいつものテーピング巻きに来るあの松川君ではない雰囲気を察知して、その違和感を探ってみることにした。

『えっと、じゃ、そこのテーブル使って。ちょっと狭いけど』
『ありがとうございます』

応接用のソファに座ると、松川君はお昼を食べ始めた。

『その焼きそばパン美味しいよね。私も好き。でも売店いつも混んでるし、それ早くに売り切れちゃうらしいから、ここでは買ったことないの』
『そうなんですね』
『松川君、背が高いから売店の人混みでも欲しいもの取れそうよね。ほらっ、私チビだから人に埋もれちゃって』
『へぇ…』

ダメだ、完全に空回り。悲しくなってそれ以上は話しかけるのを止めた。
そこまで知った生徒でもない松川君が、わざわざこんな時間に、一人で保健室へ、しかも昼食持参で来るなんて、どういうことなの?!
変に彼の真面目な雰囲気に圧されて、為す術なくその言葉を出すことができなかった。
とりあえず、彼が食べ終わるまで静かにしてよう…とあきらめた時、松川君が少し笑った、ような仕草をした。

『今度来るとき、買ってきますね』
『いいよ、生徒に物を買ってもらう訳にはいかないし。てか、私が“チビ”っての笑ったでしょ』
『いや、可愛いなと思って』
『もう、大人をからかわないのっ!それより何か用事があって来たんじゃないの?』

あ、勢いで聞けた。
てか松川君、案外話せるコだったのかな?
とか考えてたら、ほらまた真剣な顔…

『うちの学校って、一応進学校じゃないですか。皆とりあえず大学行くし。でも俺、目的もないのに大学行くのは時間もお金も勿体無いし、親に迷惑かけたくないから、その選択肢はないかなって思ってて』

なるほど、進路相談ね。
でも、担任でなく、何で私…??

『ちゃんと考えてるのね。うちは専門学校への進学や高卒での就職は少数派が現実だもんね。松川君は具体的にどうしたいの?目標みたいなの、何かある?』
『それで俺、公務員になろうかなって考えてます』
『え!まぁ…安定してるし、食いっぱぐれはない職業よね。市役所とか?』
『いえ。消防です』
『し、消防士?!松川君バレーしてて体力あるだろうし、体つきも良いから絶対似合う!』
『先生が、前に同じようなセリフを言ってくれたのがキッカケで、消防士になるのもいいかなって。先生は、なんだか覚えてないみたいだけど』
『え?…あ、ごめん』

それで私のところに来たの…
それにしても、自分の放った言葉で人の人生変えちゃうなんて。

生徒と話すときは少し気を付けなきゃいけないな、──と思った。

2

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