約束する、強くなるって
「……倉持」
「あん?」
「沢村はなにしてるんだ?」
垂れた目をちょっぴり丸くして遥華は隣で同じく食事をとっていた倉持に声を掛けた。いつも賑わいを見せる青心寮の食堂。三角巾にエプロンをつけたおば様方がいつも食事を作ってくれるのだが。その中に一人、場違い…というか、明らかに違う人物が混じっている。沢村栄純だ。クリスの盆の上皿には明らかに一発目から多いおかずに白米が溢れんばかりに盛られていた。遥華は羨ましそうに、そして不思議そうにその2人を見つめる。どうせ羨ましいのは飯が他より多く盛られているからだろうが。
「…美味そうだな…クリス先輩のご飯…」
「今お前が食ってるのと同じものだからな!?」
その毎日毎日。沢村がクリスに付き纏っているのを目撃し続けている。何かと沢村は自分みたいだと思っていた。一年前、遥華がクリスにべったりだったのは一年以外皆知っていることだった。あの頃は背も今よりずっと小さかったし、発言も幼稚だったので周りは親鳥を追う雛のように微笑ましかったのだが、今ではその雛は自立し、でかくなってしまったことに一部の人間は格段にショックを受けたことだろう。
「……というわけで俺はずっと沢村を観察してました」
「してました。じゃねーだろ…」
あれからクリスと沢村。あの険悪した仲が次第に良くなっていっているのを観察してて感じたのだそうだ。御幸はそんな遥華の前にしゃがみながらミットを突出している。
「降谷の球、お前に退けを取ってないぞ」
「だろうね。地元にいた頃から同じ型のライバルだったんだし」
「豪速球か?」
「そう、だから俺達のチームはドラゴンチームって呼ばれてたんだ。俺等のニ翼に降谷の怪物…2つ合わせたらドラゴン、みたいな?」
「あー…」
「まぁ俺等の代はそんな呼ばれ方されてたけど…引退してからなにも聞かなくなってさ」
多分、古鳥という捕手がいなくなって、降谷の球が誰も取れなくなったからだろう。
「それより…お前さ、俺の相手してる暇あるなら降谷を鍛え上げればいいじゃん」
「何回も言わせるなよ、俺はお前もマウンドに上げる」
御幸の思いは本気なのだろう気持ちが伝わってくる。
6月一週目。カーンカーンバットに球が当たる音。それを聞きながら沢村は前に監督からアドバイスされたシャドーピッチングに精を出していた。
「ここでグローブをギュッと潰して、ンボッて投げる!ギューってボッ!!略して右のカメ!」
わはははキタァ――!!ついに俺は自分なりの手応えをつかんだぞ〜〜!!!そんな声が遠くのグラウンドの端まで響きわたる。倉持もそんな沢村の背中を何とも言えない顔で見つめていた。
「沢村ァ、なにやってんだよ」
「俺は自分なりに手応えを掴んだんすよ、これで少しは女顔先輩に…」
「あ゛?女顔先輩って…まさか上城のことかよ」
コクコクと首を上下に振って沢村は肯定した。
「なに、お前上城になんかされたの」
「いや、前の1年対2・3年の試合であの人まさか投手だと思ってなくて…あの牽制とか抉るよーなストレートとか…なんか上手く言えねぇけど…憧れたんすよ…」
「………ふーん…でもそれ上城の本気じゃねーからな」
「は!!?」
「まさかあれが本気投球だと思ってたわけ?んなはずねーだろ、なんたって上城は…」
「“氷の鬼神・上城遥華”」
「!!」
「クリス先輩!!」
2人が振り返るとクリスが歩みを進めてきていた。後ろには高島怜の姿も見える。
「極寒の眼でバッターを凍てつかせるような威圧(プレッシャー)を醸し出す。それが氷の鬼神、遥華のもうひとつの異名だ」
「氷の…鬼神?」
「どこの誰が名付けたのかは知らんが…左翼のみの活躍の中でそう呼ばれている」
「雰囲気だけで相手を威圧する高校生投手なんてそうそういないわ。可愛い顔してるけど身長もあるし、なんたって測定不能なレベル球を投球する…彼の名が日本全土に轟く日も案外近いんじゃないかしら」
沢村は若干鼻水を出して改めてその姿を思い描いては憧れた。本題だが。
「沢村、次の試合での登板が決まったぞ」
そんな沢村に近づいたのは二軍から一軍への最後のチャンス。
「威力の…衰え…」
「うん。気遣って誰も言わないけどお前の球、日に日に衰えてるよ」
ある日、小湊先輩にそう言われた。衰え…ている?俺の…球が?
「そ、それって」
「青柳と組んでた時は本気のストレートを投げれていたから威力もスピードも上がっていったけれど、今は反対に本気で投げれてないからね」
「でも…あの威力じゃ誰も捕れないので…だから、」
「わかってるよ。お前が二軍で努力してきたことは」
小湊先輩はいつもの笑顔ではなかった。
「御幸が捕ろうとしてることも知ってる。でもね、今の御幸じゃお前の球は捕れないし今の緩いストレート一本じゃ、試合で使ってもいつか必ず攻略される」
小湊先輩が言いたいことはなんとなくわかる。でも、どうすればいい?捕手を気にせずぶつけろと?自他共に認められる殺人球並の威力を伴った球だ。
「…俺が言いたいのは…」
「おいっ!!今二軍の試合にクリスが出場してるぞ!!」
「なにっ!!」
「マジか!?つーかあいつ肩大丈夫かよ!」
「見に行こうぜ!!」
今日の試合は黒士館だった。その一言で伊佐敷や結城、丹波達は急いでトレーニングをやめて走っていってしまった。
「ヒャハハハ!あの人が復活したらお前のレギュラーの座も危ないんじゃ…あれ御幸は?」
「あの人ならもう出ていきましたよ。…誰よりも早く…一番に」
後方に残っていた降谷に問えば少しだけ微笑を称えた彼は出口に視線をやった。遥華も綺麗に笑いながら頷いた。
「あ?お前は行かねーの?てっきりもういっちまったのかと」
「俺は俺で色々やらなきゃいけない事、あるから」
「じゃあ俺は行ってくっから!帰ってきたら話してやるよ!」
「頼んだよ倉持」
それにクリス先輩のことだから。きっと…。片手を上げて先輩たちの後を追っていった倉持を見送って遥華は再びボールを指に挟めた。
「遥華さんはなにやってるんですか」
「…俺さ、お前と同じストレートしか案外できないんだけど…完成させてみようと思う」
「?」
「威力が落ちるのは仕方ない…だけど俺にはまだコントロールの道がある。」
降谷は頭にクエスチョンを浮かべて小首を傾げている。そんな姿に笑いがこみ上げてきて降谷の機嫌を落とさぬ程度に笑った。
「これ以上、御幸にも小湊先輩にも迷惑掛けられないからな」
「はぁ…?」
その少し離れたところで宮内と残っている小湊はクスッと口角をあげた。
ドコッ ボカッ ガシャン。夕暮れのグラウンドになんとも様々な音が響いていた。壁に投げているのだが、時にはフェンスに。威力は半分以下。遥華は球をコントロールすべくこの練習を練ったのだ。
−…おれが言いたいのは…威力が落ちたなら、『変化球』でも投げればいいんじゃない?
−変化球…?
−そう、お前って器用だからさ
「違う…こうじゃなくて…こう、かな?いやぁ指痛い」
御幸のピッチングの誘いも倉持の対戦格ゲーも片っ端から断ってきたのだ。まだ数日だけれど、はなにかを掴みかけていた。
「…そういえば、中学のころ古鳥にもなんか言われた気がするんだよな…」
いつも口を開けばお小言だったから大半は聞きながしていたけれど。ぼけーっとしていると沢村が走ってきた。すごい顔で。
「沢村?」
「ああああああ居た!!!セ、センパイ!グラサンが全員呼べって!!」
「グラサンて…監督のこと?」
キビッとした姿勢で緊張しているのか若干ふんぞり返っている沢村に遥華は軽く肩を叩いた。
「わかった。ありがとう」
「う…うっす!!」
頭を下げた沢村はその時、ふとあの時試合会場にいた背の高い男を思い出した。今のように肩をポンと叩かれたのだ。
物々しい空気に包まれていたそこは。片岡が召集した1・2・3年選手達だ。二軍も一軍も関係なくそこに整列している。レギュラー達のすぐ後ろで遥華は片岡と部長を見やる。
「今から一軍昇格選手2名を発表する!!」
来た―――
「これまでの練習試合を参考に自分の判断でメンバーを決めた。選ばれた者は我が校代表としての責任を自覚し…選ばれなかった者は夏までの一ヶ月一軍メンバーをサポートしてやってほしい」
一軍昇格メンバーは…
「1年小湊春市・同じく1年沢村栄純 以上だ」
……監督の、判断は絶対だ。これが最善かつ最良なのだろう。わかってはいるが、3年にとってもレギュラーにとっても、また遥華にとっても。クリスが、上がってきてくれると信じていたかった――
「この二人を加えた一軍20名で夏を戦う…明日からの練習に備え今日は解散だ。選ばれなかった3年だけここに残れ!」
ぞろぞろと、無言で3年以外の選手は建物を出ていく。わかっているのだ。選ばれなかったあの3年生達の、彼らの夏は――…
「これからもずっと…俺の誇りであってくれ」
ここで終わったのだと。
「出て行ってどうする気だ?辞退でもするつもりか」
沢村は、枠が2つのことを頭に入れてなかった。クリスも皆も一緒に一軍へ上がろうと、そう思っていたのだ。信じていたのだ。クリスの元に駆け寄ろうとしたとき、同じくその場にいたレギュラー達。結城に、そう声を掛けられた。
「誰がなんと言おうとお前は監督に認められたんだ。ウチの“戦力”としてな…そんなお前が選ばれなかった者になんて声をかける…」
非情だと、思うか。
「俺達にできることはただ一つ…」
薄情だと、思うか。
「選ばれなかったあいつらの分まで強くなることだ」
結城のその目は、更に覚悟を背負った、そんな陳腐な言葉じゃ言い表せない。そんな色が、ただ静かに揺らめいていた。
「…これでもう、突き進むしかなくなったな俺も…お前も」
俺は最期まで戦い抜くぞ…クリス先輩の分まで…だからお前も強くなれ…
強くなれ――…