黒いミットが似合う手


「上城!」
「今行きます!!」

あのときよりも生き生きした顔で集合する遥華を見た小湊はふっと笑って尻を軽く蹴り飛ばした。

「うわっ!!亮介さん!」
「情けない顔してたらまた降格させてやろうと思ってたけど、大丈夫なようだね」
「…ありがとうございます、お影で目が覚めました」
「じゃあ、頼むよピッチャー」
「はい!!!」

各々の練習場所に入る選手達を片岡監督と青道の校長らが眺めていた。扇子を片手に優雅に額に脂を浮かばせた顔はにっこりと綻んだ。

「新一年生を合わせ総勢94人…なんとも盛観な練習風景ですな。…どうですか?片岡監督、今年こそは甲子園に手が届きそうですか?」
「我々の目標は常に全国制覇です!!」
「いやいや…でもここ5年甲子園から遠ざかってますしねぇ、そろそろ我が校の名を全国に轟かせてもらわないと」
「心配無用。選手個々の能力は去年の都大会ベスト4のチームをはるかに上回りますから。レフトとライトに固定メンバーはいませんがこれらの選手は全国にも誇れるメンツだと思います」
「はっはっは!これは頼もしい!」
「ふむふむ、となるとあとは投手ですか…」

元エースの丹波君が、どこまで調子を取り戻すかですね。

「彼はどうですか?」
「彼…」
「ええ。“氷の鬼神・上城遥華”君」
「彼は有能な選手だと聞きましたよ」

片岡は昨日の遥華の姿を思い出す。力をギリギリまで制御したことで球の勢いとキレが死んでしまっていた。それを言うのは珍しく戸惑われたために言えず終いだったが。御幸は気づいたはずだ、球に若干の遠慮が見え隠れしていた。自分の球の威力を知っているが故に、本気を投げられない故に、段々と遥華独自の球が死んでいく。それはどうにもなくしがたい才能であり、かといって古鳥がいなくなった今そのボールを捕れるのは…。望みは御幸だけなのだ―…




「ハァ、ハァ…」

久し振りの一軍の練習メニュー。サーキットで走り込みを徹底している二軍がチラチラと遥華の背中を見ながら走る。昨日のあの姿を見た後輩達は顔を青くさせながら足早に過ぎ去る。あの威圧はインパクトが大きすぎたのだ。まさに通り名の通り…氷の鬼神。その眼はどこまでも冷たく、バッターは身体が凍りついたかのように固まる。先輩後輩なしにしてもトラウマになる者はなるのだ。沢村は後者ではなく、むしろ憧憬心を捧げていた。同じ投手として、自分にないものを持つあの姿に一筋の目標を持っていたりするのだ。まだまだ成長途中の沢村に、その姿は大きく見えた。

「上城!!ゴー!!」
「はい!」

投手と野手もどちらにも対応できるように兼任する。ライトとレフトは固定がいないからだ。

「……上城先輩ってさ、怖いよな」
「え?なんで?優しいぜ?前ボールの片付けしてたら手伝ってくれたし」
「この間練習中、内緒で飴くれたよあの人」
「だって見たかよ昨日の…」

走り込みの最中、そんな会話が隣から聴こえた沢村はムムム、となんとも言えないような微妙な表情になった。沢村本人は知らないが、遥華は知っている。沢村がなにをどう頑張っているかを。降谷と同じように遠くから見守っている。そんなことを一切知らない沢村は一方的な憧れを抱き、なんとも言えない感情に足は更に早く動き、タイヤを土埃あげながら引きづっていく。

「(あの人のことよくわかんねぇーけど…俺にはただ、必死さが伝わるんだよな…)」

あの人がどう思われていようが、なにを考えてようが。沢村にはあの瞬間、遥華の行動全てに必死さが感じられたのだ。同じ投手であるから感じたのかもしれない。だからこそ、余計わからなくなった。いつか、倉持と増子が部屋で言っていた、あの人の相棒の話し…

『あいつ、今頃どこでなにやってんだと思います?』
『古鳥ちゃんのことか?』
『はい、なにも言わねぇで転校しやがって…上城が起き上がるのにどんだけ時間かかったことか…むかつくんすよ、あいつ…青柳が』

珍しく、倉持が真剣にあのふざけた顔に眉間のシワを寄せていたのを思い出した。あの人の元相棒の…青柳?見たことがないけれど、ずっと仲の良いバッテリーだったと聞いた。ならなんで青柳という男は離れてしまったのか―…。

「(…その人の気持ち、…わかんねーけど…)」

青道に行くと決めた時、見送りに来てくれた地元の仲間たち。あの時のような、どこか寂しくて、悲しく切ない…そんな気持ちを。沢村は知っている。




「あ。クリス先輩!!」
「………遥華か」
「あがりですか?先輩!」

練習終了後、荷物を持ってスタスタ歩くクリスの後ろ姿を見つけた遥華は躊躇わずその背中に声を掛けた。滝川・クリス・優。御幸の次に実力が高い捕手として有名である。御幸に正捕手のレギュラーをとられておかしくなったという噂があるが…遥華はそんなの気にしなかった。自分が1年のとき、色々良くしてもらった先輩だからだ。確かに、目の輝きとハキハキした物言いは変わってしまったけれど。遥華にとっては、今でも尊敬すべき大事な先輩であることに変わりはなかった。

「随分と元気になったものだな…」
「はい、皆に叱咤されましたから…もう落ちませんよ」
「そうか」
「あっ、引き止めてすみません!!お疲れ様でした!!」

クリスはなにか眩しいものを見るように目を細めた。以前のような調子に戻りつつある遥華は頭をぐわんっと下げてクリスに背を向けて走っていく。当然だが、一年前より大きくなった背中を視界に入れたクリスは暫く見守っていたがやがて帰路につき、夕焼けの中にその姿は消えた。

 

「…御幸、いい加減にしてくれよ…いくら監督が言ったからって…」

ドパァァァァァァン!!!!!その日の深夜。ブルペンには御幸と遥華が向い合っていた。監督が言ったのだ。遥華の球の威力が、力を制御すればするほど死んでコントロールが疎かになると。昼間は降谷との練習がある御幸はこうして深夜に呼びつける。

「もうすぐ試合があるだろ?お前は正捕手なんだ、無理のある球は受けない方が―…」
「わりぃな、遥華…捕手がこういうのもアレだけど…もう少し付き合ってくんね?」
「古鳥に追いつきたいが為の行動なのか?それは」

その言葉に御幸はサングラスをかけ直すだけで、それ以上の反応は起こさなかった。

「…こんな短期間で追いつけると思わないほうがいい…あいつはとんでもなく才能に恵まれた奴だから…それに、努力も比じゃなかったんだ」
「わかってるぜ、そんなもん。言ったろ?見てきたんだから」

御幸はハハッと笑ってミットを構える。

「ならなんで、今この時にそんな無茶をしようとするの?」
「……お前の球の威力が死んでいくのがわかんだよ、それはずっと誰も捕れないから鈍っていって、最後には使えなくなるかもしれねぇ…誰がそんなことさせるかってんだ」

キッ、と目を鋭く吊り上げた御幸に少し前のことを思い出す。

“青柳みたいにはなれないかもしれない。今はまだ取れねぇけど、…約束する”
“あいつの代わりに俺がお前をマウンドに立たせてやる”

「言っただろ。あいつの代わりにお前をマウンドに立たせてやるって」
「…お前に似合わないロマンチックなセリフだよな」
「なっ、オイ、俺はすんげぇ真剣に…」
「ありがとう、だけどゆっくりでいいんじゃないかな…少なくとも…夏の本戦までは」

甲子園…前の先輩達が届かなかった、夢。

「俺だって自分の持ち球を殺す気は更々ないし、死なせるつもりもない」




夏が近づく今日この頃。一人の男はそんな空を眺めてはのんびりと欠伸を噛み砕いた。

「関東大会一回戦は青道対横浜港北学園だってよ」
「あれ、青道ってお前がいたところじゃねーか?」

空から切れ長の目線を外して先輩に向き直る。

「どうだ?元所属していた青道の観戦に行ってやれば」
「もう関係ないことじゃないですか」
「にしてもお前もひでぇ男だよな、まさか昨年勝ち越された“ウチ”に転校なんてよ」
「お前を見たら青道の奴等なんて言うかなァ」
「まさか…俺が抜けた程度で青道の打線は死ぬことありませんよ」

紺色の髪を風に吹かせて

「俺が興味あるのは青道では2人だけですから」
「あぁ、前言ってた元相棒君?」
「ええ。なんたって俺が転校したのはあいつの為でもあるんですから、今年の本戦で更に強くなってもらわなければ困るんですよ」
「本当に、えげつねぇ奴だぜ」
「なんとでも。俺の考えが変わることはありませんよ…先輩」

黒いミットを左手にはめながら。



prev next

back


×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -