見間違いなんかじゃない


「もうすこしなんだけどな」

左指が痙攣してる。ぐっと力を入れて開いたら、もう震えはなくなっていた。降谷と沢村、川上は捕手達と反省会だ。

「遥華」
「あ…亮介さん」
「どう?コントロール」
「えっと…変化球を取得しようとしてる所です。もう少しで完成しそうなんです」
「へえ、早かったね。結構かかるかとおもってた」
「俺もです」
「ま、頑張って」

べしっ。小湊はプラスチックの透明な箱を遥華の顔面に投げ渡した。不意打ちでもろにヒットした箱はぱこんと地面に落ちる。小湊は既に3年生達の練習に戻っている。鼻を摩りながら落ちた箱を手に取る。

「…ありがとうございます」

中に入っていたのはテーピングだ。変化球の投げ過ぎて辛かったのは事実で、必要としていた代物だ。御幸や倉持に見つかった時が恐いが、有難かった。

「遥華?」
「大丈夫、なんもない」

しゃがんで動かない遥華の姿が気になった倉持が軽く走ってくる。素早くテーピングを背に隠した。倉持にはただでさえ変化球のことで余計な心配をかけている。そんな倉持の為にも早く完全な変化球を見せてやりたい。自分のスキル上げもそうだが、遥華は倉持の為にも変化球を取得しようとしていた。なによりも優しい友達の為に。

「マッサージならいつでもすっけど?」
「え、いいの?じゃあお願いしようかな」

遥華が隠したものなんてわかっている。隠したつもりだろうがバレバレ。…変化球を取得すれば、御幸がリードしやすいし、それこそバッテリーとしての絆も今以上に深めていく。取得にこだわるのは、御幸の為だとしても。俺はもうあいつが大事な時期だってのを本当の意味で理解したから。だから、もうむやみに止めたりしねぇ。前に進もうとしてる上城を誰よりも一番側で見てきた自信があるから。…上城、お前がマウンドに立った時は、その変化球は完成しているんだろうな。なら、後ろは任せとけよ。俺がいる。




3回戦 青道−村田東。5回10点差、サヨナラコールド結城の放ったバックスクリーン直撃のツーラン。これがトドメとなった。

「珍しいじゃねーか、お前がホームラン狙うなんてよ」
「この先の日程を考えたら少しでも投手陣を休ませてやりたくてな…入ってよかった…」
「はっ!できすぎなんだよキャプテン!!」

3番を背負う背中。最近益々貫禄が出てきたのではないだろうか。チームを引っ張るキャプテンの仕事…自分には中々出来ることじゃねーな、と御幸はその背中に頼もしさをひしひしと感じていた。

10対0 青道高校4回戦進出。

「各自ストレッチが終わったらスタンドで食事をとれ!」
「はい!」
「この後の第3試合、全員で観戦するぞ。勝った方が次の対戦相手だ…」

明川学園。ピッチャーは台湾からの留学生。楊 舜臣。あだ名は精密機械。試合は3日後の水曜日。

「試合終了ー!!!明川学園4回戦進出!!」
「今度の相手は今までみてぇに甘くはねぇぞ」




7月21日

「いやぁー暑い!今日も30℃超えそうですね」
「今年の夏は例年以上の猛暑になるそうですから」
「いくぞぉ!インコース!おいしょー!!」
「ごはぁ!」

クリスと金丸は沢村とブルペンに入っていた。バッターが立っていた方が実践に近づけるのではと申し出たのが金丸だ。確かに沢村は投手としても実践経験が少ない。中学とは違うのだ。特に青道のように本気で甲子園を狙って練習しているチームは。

「クリス先輩、降谷見ませんした?」
「いや…見ていないが、どうかしたのか?」
「あ、いや見てないならそれで!邪魔してすんません!」
「そーだ御幸一也ァ!おいしょー!」
「沢村、俺一応先輩!」



「降谷、大丈夫?」
「…フー…」
「だから、最初お前が来た時言ったじゃないか。夏は気をつけろって」

ほらスポドリ。トレーニング室の器具の上で仰向けになる降谷に容器を渡す。本当はサボるみたいで、注意して連れ戻さなきゃならないがこの辛さは身に染みてわかっている。これは東京人にはわからないかもしれない。北に面する北海道と夏は猛暑の東京とでは気候が違い過ぎるのだ。それこそ食事も喉を通らない程。降谷に限らず、遥華も微妙に食欲はダウンしていた。だが、微妙なダウンの為誰にも気づかれてはいない。出身は同じでも一年間東京にいた差はこうでる。実際遥華も頭がぼーっとしている。今年の暑さは例年以上だと高島が言っていた。冗談じゃない。生きてるか?少しかたい頬を人差し指でぷすりと突く。

「…遥華…さん」
「ん?」

持ってるタオルで寝ながら汗をかく額を拭ってやる。降谷は薄く目を開けた。

「古鳥さんは、野球を辞めたわけじゃ…ないんですよね…?」
「……わからないんだ、でも多分、辞めてはいないと…思う」
「…なら、どこにいったの…?」
「それは、」

中学の時から、古鳥と一緒に可愛がってきた後輩だ。なんでも答えてあげたいが、それに答えることは難しい。降谷にとって古鳥は大切な存在に違いない。卒業した時だって駄々をこねて、もっと投げたいから、もっと取って欲しいと。日が暮れるまで言い続けた。感情表現が苦手な降谷が、必死に。

「古鳥さんに…似た人を…見かけました…」
「え、」
「…でも僕意識半分飛んでたから…はっきりとは…言えないけど…」

降谷は知らない。その言葉が遥華にとってどれだけの衝撃となって反響しているか。遥かに強く内側から響いていることを知らない。

「どこで?」
「…開会式で…」

神宮球場か。遥華は目を伏せた。見間違い…に、なるのか?あの降谷が…古鳥を慕ってる降谷が…人違いなんて…するか?しかし今の降谷は夏バテで自分のように頭もぼーっとしている状態だ。さらにあの日は260校全てが集まっていたのだ。選手達の熱気は、…語れない程だったのだ。

「見間違い…かもよ」
「…なんで?」
「なんでって…」

あれ?なんで俺、そんなこと。古鳥に会いたくない…?いざ、似た人を見たなんて言われたら…俺…、は?なにを言っていいか、わからない。もし…もし再会した時、何故古鳥が自分から離れて行ったのか、その理由を聞くのが…とてつもなく怖い。遥華にとって、一番恐れているのは人に嫌われることだ。過去の経験から裏切られることはあった。それをいつも踏み締めて歩いてきた。一緒に踏み締めてくれたのが古鳥だ。そんな古鳥も…同じ理由だったのか、不透明なのだ。信じたい、だけど…だけど。

「……ん?降谷、俺先輩なんだけど」
「…昔、古鳥さんがこうすれば泣き止むからって言ってました」

遠慮がちに頭に置かれた手は遥華の飴色の細い髪をさらさらと撫でていった。…あー…あの頃はまだ中学生で。古鳥は変に大人だったから、よくこうしてくれたっけな…。まるで、兄のように世話を焼いてくれた。

「…僕はあの人がくれた言葉を忘れない…」

降谷は、忘れていない。絶対に…忘れない。再会を諦めていない。必ず探し出すつもりだ。その強い瞳が語っている。

「…泣いてなんかない」

俺の、恐怖の先を歩いている。なんでそう強く歩けるんだ?なにが降谷を突き動かす。俺は…俺は、古鳥に会って、どうしたいんだ?

「降谷…と、遥華…?」

降谷を探しに来たのだろう御幸が開け放たれた入り口に立っていた。御幸の視線は遥華の頭の上、降谷の手に注がれていた。後輩が先輩の頭を撫でていたら、それはどういう状況だとつっこまれて終了だ。ただ、御幸だから状況が悪いのだ。御幸は自分の気持ちを認め受け入れている。気になる相手の1人が馴れ馴れしくも撫でられていたら、見当違いなのは承知だが腹が立つ。

「お前までなにサボってんだよ!大会真っ最中だぞ!」
「…ごめん、そういうわけじゃ…」
「降谷!お前ランニング終わったんだろーな!」
「終わりました…」
「さっさと来い!ブルペンで投げ込みするぞ!!」

降谷がのそりと起き上がる。…なにか、あったのか。遥華の様子は注意して見るようにしていた。大会真っ最中で、今のところ登板はないにしろ、大事な投手であることに変わりはない。それに気になる相手だったら尚更だ。

「降谷!…今のは誰にも言うな、秘密」
「…はい」
「…は?」

遥華の声が降谷に投げかけられる。御幸達を通り越していく背中に唖然。…ひ、秘密?なにが?なんの?

「おい降谷、一体なん…」
「秘密…だから、言えません」

意味のわからないモヤモヤが腹を占める中で、降谷が東京の夏初体験ということを知ったのはすぐのことだった。



「遥華!」

明日の明川戦へ備えていつもより早く上がった。登板はあるのかないのか不明だが背番号を貰ったからには無様な投球は許されない。

「倉持、なんか久々だね」
「お前が変化球取得に集中してっから、あんま近づかないでおこうっつー配慮だボケ」
「あはっ!それはどうもありがとう」

御幸からも散々釘を刺されたのだ。今の投手がどれだけ大事な時期を背負っているのか。2年生投手で川上がいるからと言っても遥華の持ち味が必要になる場面が出てくるかもしれない。"その時"の為の練習だ。集中を切れさせたくない思いは、倉持にも勿論ある。

「倉持、あのさ」
「あ?」

遥華の口は開き掛けて、閉じた。なにかを伝えようとしている。倉持は口元を見ながら静かに言葉を待ったが、

「……ごめん!なんでもない!」
「はぁ??」
「ごめんって。なにを言おうとしてたか忘れたんだ」
「ったく…暑さで頭やられてんじゃねーのか……って、オイ」
「ん?」
「お前って出身どこだっけ」
「北海道だけど」
「去年ランニング中でぶっ倒れたの、誰だっけ…?」

たっぷり間を置いた後、遥華がにこやかに顔を上げて頷いた。

「俺です」
「ふざけんなお前!早く日陰入れよ!帽子取れ!氷持ってきてやっから!」
「いや!去年より深刻じゃない!倉持!」
「去年よりも、お前は大事なウチの投手だろーが!万全な状態で行け!」

倉持の、素直な心配や行動が。苦しいほど嬉しい。氷を求めて無駄に俊足で駆けて行く背中。遥華より小さい筈なのに、大きく見える。こういうの、ずるくないか?ベンチに腰掛けて倉持の言いつけ通り日陰に入る。倉持は、本当にいい友達だ。自分だって青道ナインのレギュラーで疲れている筈なのに、俺なんかの為に。深い青の帽子を持つ手に力が篭る。…古鳥に似た人を見た、か。その言葉を聞きたかったのに、聞きたくなかった。住所も連絡先も、転校先の学校も教えてくれなかった。それ以前に、転校するということすらも。主将も苦々しい顔で、行き先は知らないと言っていた。嘘をつかない人だし、本当に知らないんだと思う。だから聞かなかったんだ。あんな顔するから、聞けないじゃないか。結城は遥華達が1年生の時からなにかと口下手ながらフォローしてくれた先輩で、特に遥華とクリスのように、古鳥と結城も確かな絆を築いてきた。その絆を持つ結城の言葉を信じてる。信じれる根拠は日々の生活から性格から滲み出ている。あんな誠実な人、他にいやしない。主将の言葉を信じている。

「おら!氷!」
「え、タライごと持ってきたの!?」

結城が下した、最善の判断の亀裂はすぐ側まで、押し寄せていた。




7月23日AM 9:30

「戦い方はミーティングの通り、サインの確認を絶対に忘れるな!」
「はい!」
「これからの試合、チーム全員で戦い抜くぞ!先発は降谷!準備はいいな!!」
「はい!」
「それから川上と沢村!お前達もいつでもいけるように肩を作っておけ!」
「はい!」

選ばれなかったか。今度こそはと思ったが、やはり甘くないか。一年にとっては甲子園を懸けた初めての大会。吸収するものは吸収して成長して欲しいという気持ちも監督から見え隠れする。発展途上の磨けば光るダイヤモンドの原石のような彼らは、もっと飛躍するだろう。丹波さんがまた3年生にいじられている。だけど皆知ってる、それは同情や温情なんかじゃない。信頼から生まれる絆だ。例えマウンドに立てないとしても、心と共に戦うということ。本当に、3年生の先輩達には心酔する。

「遥華、今日も陽射しが暑いから気をつけろよ」
「…去年のことは、忘れようよ」
「はっはっは!むり!今年は降谷だから、同じ出身者としてサポートよろしくな」
「任せてくれ」
「それと、ほい」
「?」
「帽子、預かっててくれ」

ベンチには天井があるから帽子は被っていなかった。御幸は滅多にキャップを被ることはないが今日は持ってきていたらしい。ふわりと軽く頭に乗せられて視界が帽子のツバで隠れる。慌てて顔を上げれば2番の背番号が太陽の下、グラウンドに脚を進めていた。なんだよ、と思いつつも律儀に帽子を預かる。

「上城」
「倉持、早くしないと整列…」

しゅばっ!言葉も言い切らない内に隣に置いたキャップがひったくられた。今頭に被っているのは御幸のキャップで倉持がかっ攫ったのは遥華のキャップだ。

「借りっから、これ」

なにを付けても一緒だと思うが。倉持は自分のキャップを遥華のベンチに投げる。サイズを調節して、また太陽の下を駆けて行った。遥華の呆然とした呟きは歓声に呑まれて掻き消えた。

「いや…それ、俺のキャップ…なんですけど…」
「整列!!」
「いくぞおおおおおおおお」

AM 10:00青道−明川 試合開始



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