御幸の気持ち


「よし、いいぞ遥華」

モチベーションは日に日に上がっている。遥華も、試合が近づくと楽しみで仕方がなくなるタイプだ。やっぱ、投手なんだな。御幸は口元をミットで覆い、口角をひっそり上げた。投手はみんな自己中心的(エゴイスト)御幸の持論だ。そんな投手を輝かせることができる。こんな面白い場所(ポジション)、他にない。剛腕投手にムービング投手。新しい1年が入って、さらに面白い。

「おい?どうした?」
「……御幸、あのさ」

歯切れ悪く、口ごもる。御幸の方を向いては、俯いてを繰り返している。なにかあったか?相談か?思わず立ち上がる。

「…俺、ちゃんと、投げれてる?」
「え?変化球か?投げれてるぜ、夏の本戦までには必ず…」
「それじゃだめなんだ」
「どうしてだ?」

そう問えば少しの間、遥華は思い出したかのように笑った。…相変わらず、花が綻ぶようなカオ。男に言うのもなんだが、そんな表現がぴったりだ。御幸は目線の置き場に迷いながら頬をぽりぽりと掻いて、遥華の足元に視線を落とした。…あぁ、直視できない。あの笑顔に、俺はとことん弱い。前まで、こんなんじゃなかった筈なのに。倉持の一言が頭から離れない。それになんであんな返事返したのか。遥華を支えたい。その弱いところも知っているから。それに捕手としても、人としても、俺の方が支えられる気さえする。…でも、もう片方の脳には古鳥の存在がある。古鳥と遥華のバッテリー。憧れの、2人…。どっちのことを考えても、…胸が苦しい。なにかに締め付けられるようだ。古鳥は憧れの存在。捕手の目標。正直、なんであの時期に転校したのか分からない。中学の時から一緒だった遥華に一言も告げず、誰にも知られることなく。なにかトラブルでもあったのだろうか?同じポジションの捕手としてでも、気になることは山ほどある。話したいことだって、聞きたいことだって…。

今、どこでなにをしているのか。誰と…いるのか。……なんだこれ。そこまで考えついて、はっとする。なんで俺はこんなに古鳥が気になってる?倉持に言われた、前まで古鳥、古鳥とうるさかったのにと。確かにそうだ。今だって、それは変わらない…。でも、え…?自分の頭が急激に冷えていく。遥華も古鳥も男にしては、いっそ恐ろしいくらい綺麗で可愛いと思う。しかし女ではなく、れっきとした男な訳で。それに俺も男な訳で。しかも両方身長190p代とタッパに関しては申し分ない。むしろ日本人の平均超え。同じように鍛えている分肩幅だってあるし、筋肉だってついてて声も平均的に低い。なのに…なんで…。俺、2人に惹かれてるんだろうか。これって…悪い、よな?チームメイトを、そんな目で…。しかも遥華に関しては甲子園を懸けた大会に一緒に挑むバッテリーの1人だ。

「倉持に一方的に宣言してきたんだ。チームの為に早く変化球を取得するって」
「倉持…?」

あ、だめだ自分。なに。なにイラついてんの。元からこいつら仲良いじゃねーか。知ってるだろ、俺も。

「そう、倉持」

…さっきの顔。倉持の、事を思い出して?…いやだめだな俺。顔に出そうになるのを懸命に耐えて、そっか、と声のトーンを上げた。自分の気持ちに気づいてしまったからには、もう気づく前の自分には戻れない。遥華と古鳥に惹かれる。…最低だ。よりにもよって、2人。これじゃあ本当に気が多いみたいだ。頭の中でどんちゃん騒ぎだ。どっちも、気になるんだよ。仕方ねーだろ。遥華の顔を真正面からまともに見られなくて、自然な素振りで俯いた。俺らしくない、こんなの、俺らしくない。いつもの飄々とした自分を思い出せ。

「御幸?大丈夫?」

優しい声だ、泣きそうになるほど。俺が、お前と古鳥に、こんな感情持ってるっていうのに。遥華はそんなことつゆ知らず側に駆けてきては直視厳禁、倒れそうな程の綺麗な顔を覗かせるのだ。




『え?ここ男子トイレだよ?』
『なんでランドセル黒いの?』

本当に男の子なの?今まで生きてきた人生で、もっとも投げかけられてきた言葉。小さな時から、女の子みたいな顔で。姉ちゃんのお下がりの服着せられていたから余計に俺は女の子みたいだった。小学校に上がりたての頃。男の子と遊ぼうとしても、どうにも仲間に入れてもらえなくて、俺は走り回るその子達を遠巻きに眺めていた。むしろ女の子達が可愛い笑顔で、お喋りやお絵描きに誘ってきてくれる方が多かった。

『遥華くんは、将来誰と結婚するの?』
『なにそれ』
『あたしたちのママとパパは結婚してるのよ、好きな人とずっと一緒にいられるの』
『ふうん…』
『だから!ね?遥華くんは誰と結婚したい?』

そのとき一番俺と仲良くしてくれた女の子。少しつり目でおませさんだったけど、とても優しい子だった。夏休みの最中、公園でばったり鉢合わせて、話したのを覚えている。この会話は、その時のものだ。

『…それ、答えなきゃだめ?』
『だめ!いま!いまおしえてー』

まだ二桁の歳もいってない、俺なんかの結婚相手を知りたがっていた。変な子だとは思ったけど、おませさんなんだからしょうがない。

『じゃあ__は誰がいいの?』
『あたし?』

質問に質問を返したら、つり目がちょっぴり丸くなる。やがて顔を朱に染めた。紅葉のように小さい指をもじもじと動かして。

『遥華くんのお家にさ?肌が黒い男の子いるでしょ?』

俊樹のことだ。あの脱輪した件は田舎特有で、物凄い早さで知れ渡った。まだ俊樹が家にいた時。『あたし、あの子がすき』なにかが、すとんと落ちた気がした。この子のそんな顔初めて見た。あれは、まさに恋の顔。まだよくわからなかった俺は、その胸に落ちた物が理解出来なくて、でも俊樹が好きだというのはわかったから、会わせてあげようかなって。

『ほ、本当にいいの?』
『うん、俊樹良いやつだから』

俊樹も、嬉しいだろう?良い子なんだ。こんな俺に構ってくれる子。俺を、馬鹿にしない子。ちゃんと男の子として扱ってくれる子。だから俊樹とも仲良くなれると思ったんだ。

『遥華!!おかえり!!』

玄関の引き戸を開ければ俊樹が両手を広げて走ってきた。相変わらず、足速い。ばすっと音がするくらい勢い良く飛びついてきた俊樹に苦笑いしつつ、あの子に俊樹を紹介した。

『遥華の友達?おれ、神谷・カルロス・俊樹!よろしくな!』

夏休みの間だけだったけど、あの子と俊樹はすぐに仲良くなった。でも俺の中にある、あの日落ちてきた物は益々重くなり、酷い様だった。…俺は多分だけどあの子に恋してた。でも、俊樹は大切な親友だ。だから、それで…。それでいいと思ったし当時はよくわからなかった。俊樹が東京に帰る時も、2人で見送った。

ばいばい、俊樹
じゃあな、遥華

嵐のように出会って、別れがこんなにシンプルなものかと。両親は連絡を時々取っていたようだったけれど、俺は知らない。小学6年生になっても俺の恋は未練がましく続いていていて、その頃には、リトルチームに所属していた。…学年が上がるにつれて、ある日を境にチームメイト達が俺に対しての態度も変え始めた。男としてのプライドも潰されかけた。同じユニフォームなのに。チームメイトなのに。仲間なのに。なにか、別のものに見えた。

『ねぇ、__。遥華のことどう思ってんの?』
『え?やめてよ、そんなんじゃないよ』
『とゆうか、あいつって本当に男?』
『まあ、ぜんっぜん見えないよね!』
『最近野球チームでも浮いてるらしいじゃん!』
『本当?女の子みたいだから?』
『やっぱそうじゃない?』
『ふーん…でも関係ないかな、だって遥華って面白くないし、小さい頃一緒にいたのだって俊樹君に会いたかったからだし…』
『てか俊樹君てそんなかっこ良いの?』
『当たり前じゃん、その為に遥華に付き合ってあげたんだからさ』
『え。可哀想』
『でも俊樹君さあ………』

野球を辞めたいと思った同時期に。俺の耳に届いたそれは、目の前が真っ暗になるほど、酷いものだった。俺はストレスへの耐性が弱かったが、まだ発達途中の心に、更に強烈な負荷が2倍で降りかかったことで、なにかが壊れた。大好きだったあの子と。大好きだった野球と。あの白に染める雪が降る中で。すべてを棄てた。毎日飽きずに振込んでいたバットは形が変わるまで地面に叩きつけて捨てた。グローブはカッターで裂いてから燃えるゴミの袋に押し込んだ。昔のアルバムを引っ張り出して、あの子と写った写真すべてを集めてライターで燃やした。ユニフォームは欲しがった近所の子どもにあげた。…俺は、すべてを棄てた。手が真っ赤になるほど寒かった雪の日。写真を燃やし尽くすその炎が、とても暖かくて。涙が零れるほど。愛おしかったんだ。じわじわと灰になる笑顔のあの子。隣に映る俊樹まで燃えてしまったのはごめん。決別の意味も込めて、俺は都心の学校から少し外れた中学を受験した。

『なんで俺を野球に誘うんだ』
『…野球、好きなんだろ?』

少し気難しそうな顔の彼は、眼鏡のブリッジを上げて聞いてきた。それが…青柳古鳥。当時から俺と似た意味で浮いていた奴。

『ねえ遥華、青道って高校知ってる?』
『なに姉ちゃん急に』
『あそこの学校顔面偏差値高いんだよね、特に野球部!』
『だから、なに』
『あんたがそこ行けばイケメンとお近づきになれるかもしんない』
『は?』
『姉ちゃんお嫁に行けるよ、だからさ、私からも言ってあげるから』

青道、行っておいで

『…小学生の時、野球辞めたあんたは、可愛くなかったけど、中学上がってからは、野球、また始めたじゃん?』
『姉ちゃん…』
『生き生きしてる。野球してる遥華は。行きたいんでしょ?青道。切り抜き持ってるの知ってんだからね』

姉ちゃんは聡い人だった。古鳥と出会って、また野球を始めて。それが高まってることを、すぐに見抜いてくる。

『あんたは、変わったよ。変われたよ』
『…っ、姉ちゃん…』
『…イケメンの友達たくさん作ってこいよ!約束ね!?姉ちゃんの結婚がかかってんの!』

"遥華くんは、将来誰と結婚するの?"

『女子って、そればっかり…』

…あの子の言葉は、俺の中で清算した。大切なものを両方棄てた俺だけど、片方をもう一度だけ拾って、いま、そのために前に進もうとしてる。今度は、今度は。手放さないように、この手で掴んでいよう。前よりも、大きくなったこの手で。氷の鬼神、左翼。2つの異名を背負うに相応しい投手に。

「遥華」
「いま行くよ」

甲子園をかける、この大会の前だからこそ思い出すのかな。俺のトラウマともいえる小学生時代、あの子の存在。親友の俊樹。俺を青道に送り出してくれた姉ちゃん。相棒だった古鳥。全てが、今の俺に繋がる。野球を手離した日、ボロボロに切り刻んだグローブは元には戻らなかったけれど、俺の心は戻ってきたよ。大丈夫、俺には、今の俺には、

「なに笑ってんだよ」
「姉ちゃんとの約束思い出して」
「は?」
「御幸は性格に難ありだけど。顔はいいなーと。」
「はっはっは、ひでえ!」

俺の、過去は俺だけのもの。俺だけが、抱えていけるもの。


《ただいまより西東京大会二回戦、青道高校対米門西高校の試合を始めます。両校のスターティングメンバーは…》

米門西高校。マウンドに上がった選手の背番号は10。米門の左のエースではない。そしてアンダースローを得意とする投手。先頭打者は倉持だ。遅い球は予想以上に打ちにくい。カーブなのかスライダーなのか、スピードがなさ過ぎてそれすらも判断できない。打席が小湊に回ってきても打った所でサードライナー。

「伊佐敷お前が打てー!」
「吠えろー青道のスピッツー」
「誰がスピッツだらっしゃあああ!」

豪快にスイングされたバットは見事に…パスッ。

「ットライーク!」
「お、落ち着け伊佐敷ー!!」
「ボールよく見てヒゲ先輩!」

カキイイイン!球は高く飛んでいく、が深く守っていたライトに捕られてしまう。青道は初回から三者凡退をきしてしまった。遥華は昨日から少し様子がおかしい降谷が気にかかっていた。先発としての緊張もあると思うがそれだけではない気がする。御幸は気づいていないのか、いつも通りだ。…俺の気のせいなのか?

「プレイ!」

むしろ気合が入っているように見えなくもない。それに。ズドン!!!!!!

「うわあああ何だ今のボールは!?」
「んゴーって聞こえた?」
「こ、これが1年の投げる球か!?」
「何Km/h出てんだ!?スピードガンねーのかよ!!」

調子も良さそうだ。打席に立つのを恐ろしく感じさせるのは、遥華と同じスタイル。

「きたー!!三者三振ー!」

それを気にしていたりする。青道には5人の投手が存在するが全て型の違う投手だ。降谷と遥華だけが同じ豪速球型の投手。…言い方を変えれば剛速球と豪速球だ。降谷は豪快なフォームと音がとにかく際立つ。まだ1年であれどこれだけの音を響かせる投手はいないだろう。遥華は剛速球。打者だけがわかる剛健の一撃。しかも測定不能の力も秘めたその左手には剛速が似合う。同じスタイルではあるが、種類が違う。御幸が面白がるのもそこだ。結城の一撃が放たれる。大きな当たりでは決してないのに。右シフトの隙間を強烈な速さですり抜ける。続いての増子も連続のヒット。1、3塁は埋まる。

「遥華」
「?」
「そんな顔してんじゃねーって。見てろよ」

バットを持った御幸はニカッと笑い、ヘルメットを被った。そんな顔って?狙い〜打ち〜。御幸のメインテーマの曲が流れる。

「ケッ」
「え?なに?倉持」
「別に、なんでもねーよ」

どかっ、と隣に座ってきた倉持は得意の不良顔で打席に入った御幸を見ている。御幸はランナーがいると絶対に当ててくる。そういうタチだ。相手の柔らかい場所を遠慮無しに走り抜けるのが御幸一也という男だ。

「抜けたぁー!!青道怒涛の3連続安打ー!!!」
「外すわけがないよな」
「あ?」
「いや、なにそんな青筋立ててるの」
「あいつ…俺が空振りした球狙って…ムカツク!あいつムカツク!!」

ばすばすとタオルに拳をぶつける。可愛らしい理由に遥華が思わず笑えばバツが悪そうに視線を浮かせたが、すぐに向き直る。遥華の気の抜けた顔をしっかり見た後、安堵したかのように笑んだ。

「今日登板なくても大丈夫そうだな」
「え?…うん、選ばれただけで幸せ。それに夏は始まったばかりだ」

「試合終了ー!!」

17対0 5回コールド。青道高校3回戦進出。



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