真っ黒な嫉妬


≪カシャン≫

携帯が地面に落ちる甲高い音がした。答えに迷わず、即答しようと思っていたのに。"そんなに辛いのなら、そいつの側にいるなよ"って。そう言いたかったのに、まるで遮られるように吹っ飛ばされたであろう携帯から僅かに声が聞こえた。それと同時に、ガッ、と骨がぶつかるような音も。まさか、襲われてんの?そう、ひと株以上の不安が過ぎり、一気に背中から冷や汗が湧きでたが。よく聞けばその声は、あの時話した坊やの声で。

≪ふっっざけんじゃねぇぞ!!てめぇ、生温いんだよ!!そんなんで青道ピッチャー名乗ってんじゃねぇ!!俺に少し言われたからってなんだよ!!気持ちが女々しいんだよ!!≫

激しい喝が飛んでいる。

≪俺は別に嫌ってねェ!!!!じゃなきゃてめぇと今まで一緒にいねぇし、肩だって痛めてんのをわざわざ注意したりなんざしねェ!!…ああ言った事は、謝る!!!悪かった!!!≫

≪少し威力が落ちたからって、なんだよ…青柳がそこまで大事かよ!!お前の世界は青柳中心に回ってんのかよ!!なんで大事な事話すのは俺じゃなくてアイツなんだよ!!!!≫

アイツ、とは無論カルロスのことだ。

≪俺の世界は!!!いつだっててめェに振り回されてるってのに…ッ、ふざけんな!野球辞める?いい度胸じゃねぇか!!!哲さんや監督が許そうと、俺はぜってぇ許さねぇ!!!≫

≪…ぜってぇ…辞めるとか…まじ許さねェ…。お前は、左翼だろーが!!鬼神だろーが!!あんだけエグい球投げれるじゃねーか!!仲間だって、俺達が居るじゃねーか!てめぇが居場所がないとほざくのは、俺達と一線自分から引いてるからじゃねーか!!≫
≪、…俺は…!!…ッ≫

遥華の声は掠れていて、聞いてて自分の喉も裂けそうで。そんなこと思うようになるなんて、それこそ思っても見なかった。惚れた弱みってやつなのかも知れないが。カルロスにとって遥華という存在は野球と同じくらい心動かされる。

≪…俺は、素直にものを言えねぇ。例えお前だろうと躊躇はする。…でも、これだけは言っとく。…俺は、………上城遥華が好きだ≫

…あーあ。電話越しからなにも聞こえなくなり、静かになった。カルロスはふいに通話を終了させた。…ムカムカする。生憎ながら自分は坊やではないし初心ではないため、この感情を言うならこれは嫉妬だと理解できる。いや、カルロスに至っては嫉妬なんて生易しいものではない。これは…完全に、大事に大事に育んでたものを横から掠み取られたような耐え難いもの。腹の底から煮え滾る、真っ黒いものが。ふ、と。前方の寮へ続く廊下で鳴と古鳥の姿が見えた。相変わらず鳴は古鳥の周りをチョロチョロしている。人のことを言えたものじゃないが、鳴の古鳥に対する執着はかなりのものだ。見目が良いところも、強がりな性格も野球に関しても、鳴の理想にストライクだったんだろう。生憎、女と遊んでいられない球児の自分たちには恋愛なんて不必要なわけで。というより稲実では基本恋愛は御法度であると暗黙の了解でもある。だからこそ、鳴はどれだけ尽くしがいがあるだろうか。自分より遙かに大きい古鳥に、可愛いを連呼する鳴。行動一つ一つを見つめて、周りが触れると爪を剥き出して。全力で、自分のものだと主張する姿に。

「下手な女より厄介だな、ウチの右翼も、左翼も」

呆れたような、自嘲したような笑みで暫くの間、電光に光る自販機を見つめていた。



「鳴、痛いって」
「え?あ、ごめん!!大丈夫?」

なんなんだ。鳴は腕を貫通するんじゃないかってほどに力を込めてきて。食い込んだ爪が肉に刺さった。どれだけ無遠慮に掴んでいたのかが伺えるほどに、腕に痣と爪の傷が残るくらいだ。

「…ねぇ。さっきの奴と付き合うの」
「は?いや。断ったよ丁重に」

そう返すとにっこりと笑顔を向けてきた。年相応の無邪気な顔。先程、鳴がこうなる前に俺は名前もうろ覚えな同級生に告白された。こういうのは別に慣れてしまっていたから丁重にお断り申し上げるとどこで見ていたのか鳴が現れて腕を引かれたのだ。その時のえげつない程に強い力。

「良かった。だよね!古鳥があんな奴と付き合うわけないじゃん」
「お前な…」
「じゃあさ!俺は?」
「え…?」
「ねえ、俺が好きだって言ったら、受け入れてくれるの?」
「それは…」

また、あの顔だ…。盲目的に、鳴の瞳に自分だけしか映らない…。スッ、と。脳裏で自分に控えめに笑いかけてくれた顔がチラついた。大事にされていた自惚れはある。…哲さん。青道にいたときに本当に世話になったし、最悪のお別れをしてしまった人。俺の…大事な…。

「古鳥?」
「!あ、…」
「大丈夫?ごめん!!変なこと言って80%は本気だけどね!さっきみたいにいつでも守ってあげるけど、でも…気をつけてね」

つけた傷に視線を落として、鳴は笑う。その"気をつけてね"が、俺に言っていることはわかるが、ニュアンスが違うように感じた。まるで…また、男に告白なんてさせたら、こうなるぞ、って言ってるように。背筋が、酷く寒かった。

「あ…あぁ、気をつける…」
「うん!」

俺は…とんでもない奴に、目をつけられたのかもしれない。



ざわっ。翌日――…食堂に入ってきた二人に大勢が目を丸くした。

「ヒャハハ」
「力入りすぎなんだよ!!腫れが引かないよ!!どうしてくれるんだよ!!」
「男前になってよかったじやねーか!俺もその涼しい面殴れて晴れ晴れしいぜ」
「ふざけんな!痛くて球投げられなかったらどう責任とってくれんだ!」
「男だろ、気合でなんとかしろや」

…左頬を真っ赤に腫らせた遥華と、そんな遥華の肩をバシバシ叩く倉持のいつもの光景が。

「いやいやいや!!お前らなにがあったんや!!」
「倉持の暴力だよゾノおおおおおお」
「両手を広げて来んなー!!!気持ちわりぃ!!」
「愛あるストレートだったろーが!」

…昨夜、色々爆発させた倉持が遥華を殴ったことからもわかるが、結局は男は拳。分かり合うには拳しかないのだ。よくわかっている倉持でもおおまかな理由がイライラしたから殴ったという不良っぷりで。殴られた遥華は、たまったものではなかったが、倉持の本心を本人から暴露されていっそ清々しく。あんなに野球を辞めたがっていた自分は、どこかに行ってしまったようだ。頬はじんじん痛むし、真っ赤に腫れているが、倉持のあの鼻につく笑い方にいつの間にか釣られて笑ってる自分は本当に単純だ。あのあと電話が切られていたことに気づいたのは倉持の見かけによらずしっかりした腕の中で声を上げて喚き終わってからだった。悪いことをしたと思った。いつでも見守ってくれている俊樹を心配させた挙句に倉持の怒声もしっかり聞いたことだろう。かけ直していいのかわからずに、取り敢えず倉持に促されて食堂に来たが…。腫れが引かないこと。

「だ、大丈夫ですか?」
「おいおい…折角の顔が台無しじゃねぇか」

後輩の小湊がわたわたしてすっかり温くなったタオルを水で冷やしてきてくれる。御幸が若干顔を引き攣らせながら、でもどこか安心したように2人を交互に見た。上手く本人達で纏まったようで。倉持は少し警戒した顔をしていたけど、なんてことないいつもの笑顔で御幸は沢村達の所へ戻っていった。



その奥の席にいる伊佐敷や小湊はその"いつも"を遠巻きから眺めていた。

「良かった、ひとまず倉持も落ち着いたようで」
「全くだ。よくキレなかったな亮介」
「あんだけカラ元気見せられちゃ怒ろうにも無意味な気がしてさ」

伊佐敷に軽く笑う。

「…そういえば、合宿の最終日…相手知ってる?」
「…稲実だな」
「そう。俺的には今度は哲が心配かな」
「チッ、いなくなっても俺達を振り回してくれるからなァあいつ」
「それだけ、哲達にとって特別だったんでしょ。青柳のことは別に嫌いじゃなかったよ」

カタン、食器を片した亮介は早々に席を立ち、食堂を後にした。空席になった隣から視線を外し、いまだに腫れのことで騒いでいる遥華とそこを遠慮なく引っ張る倉持が。似ていないはずなのに昔の結城と古鳥を思い出すようでそっと目を背けた。知っているから。結城と古鳥には強い絆があったこと。お互いを言葉にせずとも大事に思っていた事。無口で、口下手で不器用で。似ている二人を、自分は傍で見ていたのだから。主将の結城なら次の練習試合の相手は聞かされているだろう。当日に気が散らなければいいのだが。不動の4番にはいつでも不動でいてもらわなければならない。酷だろうが、古鳥のことを内心では一番に引きづっている結城も、そろそろ前に踏み出してもらわなければならない。




合宿最終日――青道・稲城実業・修北 3チーム総当たりによるダブルヘッダー。第1試合、青道‐稲城実業

「8回ついに稲実打線が火を噴いたぁ!!一気に逆転!!この勢い止められねぇぞ!!」

…同じ西地区、最大のライバル―稲城実業主力メンバーのいないチームでも、やはり稲実、強い。川上の気力も気を抜けばガタガタに崩れてしまう…と思ったけれど、川上は動じてない。ちゃんと周りの声も出ているし、ランナーも、宮内のミットも見えている。川上の精神は尊敬している。あそこまで強くなりたい。未だにベンチに下げられているのは体調不良が原因じゃない。あの2つの球を完成させないといけない。それで少しでも、皆に追いつけるなら、どこまででも追求してやる。稲実の主力はベンチには留守だ。

「すいません、トイレ行ってきます」

部長に小さく告げてからベンチを抜け出した。自分の顔が周りとは違うことには気づいているが、…なんだこの視線のレーザービーム。青道の帽子を深くかぶりなおしてグラウンドを離れる。一気に水面から顔を出せたみたいで心地よかった。それだけ、自分は思った以上に稲実の威圧感に呑まれていたんだろうか。グラウンドを一望できる少し小高い脇道にあがった時には良い感じに風が吹いていた。身体を伸ばす。今青道は修北との試合中だ。ダブルヘッダーに選ばれたのは川上と丹波さんだから今は丹波さんがマウンドに上がっているんだろう。早く戻って応援しよう。腕を大きく伸ばして調子に乗って腰まで後ろに伸ばした。

「ッ、う、おおおっ!!?」

と思ったら急に両手を掴まれて前に引き戻された。空がぐるんと回って目が回る。やっと落ち着いた時に見えたのは自分の手首を掴む褐色の大きい手。白いユニフォームの胸元にはINASHIRO。こいつ、稲実の…。少し顔を顰めて顔を上げる…

「……あの…えっと…どちら様で?」

はて。どこかで会ったことあっただろうか。いや、確実にどこかで見た顔なんだ。それがどこでなのか…いや。本当に。思い切って勇気を出してそのワイルドイケメンに訊ねる。ひぇぇ…オールバックだよ。絶対外国人さんだよ。倉持の髪も逆立ってるけど、比べものにならないくらい威圧感半端ないよ。若干冷や汗かきながら。繋がれたままゆさゆさ揺らされている手首を凝視する。

「…お前、上城遥華で…合ってる?」
「え。や、はい。俺ですが…」

なんだなんだなんだ。なんで俺の名前を…!!不信感丸出しにして相手を見つめればそいつは太陽が煌めくようにニッカと笑ってみせた。

「……まさか、お前…………俊樹?」
「ああ、正真正銘、神谷・カルロス・俊樹だ!」
「ん…なあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!?」

東京にいるとは聞いていたけど、電話もしてたけど!!そういえばお互い自分の所属している野球部の名前を言っていない…いや。おかしいだろとか言わないで。お互い球児だとはわかっていたからこう…内部事情は喋んない方が賢明だというね。暗黙の了解があってだな…!!

「俊樹!!何年ぶりだ!会えて嬉しいよ!」

何年振りだ何年振りだと両手を握って問いまくる。適当にあしらわれて軽く呆れたような顔を向けてきたけど、俊樹は悪びれなくまたニッカと笑っている。ほんとこいつの笑顔眩しい。

「それより、昨日は大丈夫か。偉く揉めてたみてぇだけど」
「あ。そのことなんだけど。ありがとうな。俺、どうしようもなく女々しくて…俊樹に迷惑かけてごめんな」
「いや。なにもないならいいんだけど」
「話してたその友達。一発殴られて目が覚めたんだ。それに仲直りもできて。掛け直そうとしたんだけどなんて言えばいいかわかんなくて、」

「…殴られた?」

…言わなければ良かった?目の前の俊樹の笑顔は変わらないままだったが雰囲気がガラッと変わった。あれから十年は経ってるんだ。変わってるに決まってる、その体格もかなり逞しいし身長も俺ほどじゃないが高い。そしてなにより、表情が…威圧的だ。

「もしかしてその腫れって…」
「あ、…いや、これは別に暴行ってわけじゃ…」
「お前…自分が昔のチームメイトに何されたのか忘れたのか?おい。そいつどこだ。今から話しつけて来てやる」

昔のこと……なんで俊樹が知ってるんだ?なんで今更その話を。いや、俺に危機感を持てということなんだ。きっとそう。俊樹は優しいけどちゃんと締めるところは締める。俊樹の母親と俺の母親は仲がいい。だからきっと筒抜けだったんだ。

「な…なに言って、」
「確か、くらもち、とか言ったな。…………貸して貰ってる分際で…」
「…俊樹?」

顔が酷く怖かった。俺は俊樹の怒る顔を見たことがない。幼少期からの仲だ。泣き顔は知ってても笑い顔は知ってても。ここまで顔を歪める俊樹を見たことがない。俺がまごついたからか俊樹は俺を見た後、深呼吸をしてもう一度視線を向けた。

「…もういい。…ちゃんと冷やし足りてんのか?…痛かったろ」

褐色の手が腫れた方の頬に優しく被さる。てっきり倉持のおふざけのように引っ張られるのかと思って身構えたが俊樹がそんなことするはずがない。いつだって優しいのだから。まるで自分が殴られたみたいに痛そうな顔する俊樹になんだか申し訳なくなる。

「大丈夫。悪意があって殴ったんじゃないし、…倉持があのとき殴ってくれなきゃ俺野球辞めて、俊樹とも今再会できてなかったと思う」
「…」
「だから、今じゃ殴ってもらってよかったなーって。別に俺がいいってわけじゃないからな!?そこわかっとけよ!?昔と今は、違うから!!」

何も言わず曖昧に笑った俊樹の顔をついまじまじと見てしまう。…面影はあるけれど、格好よくなったな…。外国の血も混ざっているからか、同学年とは思えない色気というか。なにを話していいのかわからなくなる。じっと見返されるのも落ち着かないし。

「な、なんだよ」
「いや、変わってねぇなと思って」
「なんだそれ」
「昔も今も俺が知ってる上城遥華だと思ったわけよ」
「お前はなんか変わったよ…良い方にな?背は俺のがまだ余裕だね」
「背は敵わねーな」

でも俊樹は変わらないよ、そういうとこは。俺の話に笑顔でなんでも受け止めてしまうところ。

「遥華!!!!」
「御幸?」
「!」
「!お前…カルロスか?」
「え、知り合い?」

御幸は俊樹を見てサングラスの向こうの目を見開いた。歯切れ悪くのらりくらりと俊樹を避けると俺に耳打ちでするように口を寄せた。

「………丹波さんが、顔面にデッドボールを食らった。今日の試合はもう終わりだ」
「!!嘘…」
「これが嘘ならどんなにいいか……、戻るぞ」

丹波さんが、顔面にデッドボール…!?しかも、今の時期に。夏の戦いは始まってしまうのに…!?

「…俊樹、俺、戻らないと」
「あぁ、なんかあったのか?」
「……、いや、」

稲実の選手も帰らずに試合を見ていたんだ。ここで俺が教えなくても俊樹には伝わる。それに、今は。御幸に腕を引っ張られてグラウンドに戻る。俊樹はちゃんと戻ったかな…。バッターボックスには血の痕が見える。…デッドボール以上に…大きい怪我しただろうこれ…!!丹波さんの姿はもうないから、すぐに病院に担ぎ込まれたみたいだ。



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