離れた罰


…一方青道では笑おうに笑えない状態だった。あの、ホモップルと馬鹿にされても一緒にいて、絡んでいない日はなかった遥華と倉持が。昨日の夕食からずっと離れているのだ。お互い顔を見ようともせず(若干倉持がチラ見程度)遥華なんて顔から正気も感じられない。その上いつもは3杯以上食べるのに今日はノルマも達せずにダウンした。ただ事ではない。確実になにかあった。沢村も小湊春市も二人の先輩を交互に見ながら困惑の表情を浮かべた。

「あの2人なんかおかしくねぇ?」
「うん、そうだね…」
「…あ、」

早々に食事を終えた遥華は食堂を出て行く。つまりダウンだ。立ち上がった沢村は一瞬倉持の方を見てから後を追った。その沢村の後ろ姿を、倉持ただ一人がなんともいえない顔で眺めていた。

「先輩!!!女顔先輩!!」

いつもは大きく見える後ろ姿が、小さい。迷うことなく追いついた沢村はその隣に並んだ。

「顔色悪っ!!医者!医者呼びますか!?」
「…沢村…その、女顔はやめて…言ってなくてごめんなんだけど、実はひどいコンプレックスなんだ」
「えっ…す、すんません」

返された言葉にすぐに謝罪し、いまにも崩れ落ちそうな肩を支えながらどこか座れる場所はないか探す。備えられていたベンチに腰を下ろすとそれっきり何も言わない遥華にあたふた。勢いで追ってきたものの、沢村にはなにがなんだかわからないし、むしろ倉持が何故ここに来ないのかすらわかっていない。いつもはすぐになにかあったら一番に走ってくるのに。なんで。

「あの、俺が監督に言うんで、休みますか…?てか、休んだほうがいーっすよ…。えっと…お、俺言ってきます!!」

バタバタと騒がしい足音が遠ざかって、やっと顔をあげた。本気で具合が悪かったから、助かった。沢村に感謝の言葉でも出ればよかったのだが、生憎とそこまでの元気はなかったようだ。

「…ありがと、沢村」

空気がぬけるような声が漏れた。立ち上がった時に脳みそが揺さぶられるような感覚に襲われ、思わず片膝をついた。昔からストレスに弱いのは十分わかっていた。だから上京するときに親に猛反対されたのだ。古鳥と"昔馴染み"が東京にいるからと聞かせ説き伏せた。決して嘘ではないが、その"昔馴染み"は他校のために連絡を一、ニ度とった程度で。会えてはいない。この一年、お互い球児であることからも。なにかと心配症な奴のことだから全て話せば、即座に宅配でもなんでも使って遥華を地元に送り返すことだろう。それを思い出したら少し笑えた。元気だろうか。幼い頃、たったひと夏の出会いだったが。

「俊樹って、東京だっけ?」

神谷カルロス俊樹。遥華の昔馴染みの男だ。昔になるが、丁度カルロスの一家は北海道旅行に訪れていた。神谷家の乗っていたレンタカーがあぜ道の溝に脱輪したことから全てが始まる。そこをたまたま通りかかったのが遥華だった。田んぼにいるでっぷりとした蛙を両手に捕まえて満足しながら田舎道を歩いていたが明らかに地元民ではない一家を見つけて声をかけたのだ。脱輪した車の後頭部座席に座ってたのがカルロス。目があった瞬間ニッカと満面の笑みを見せてきたのを覚えている。事情を聞いた遥華はすぐに家まで走り、父親や近所の夏バテしたおやじ達に声をかけて脱輪した車の救助を促した。溝から脱出した車だが、エンジン部分が少し擦ってしまったようで動かなかった。宿を探すというカルロスの父親を遥華の父親が収め、慣れない英語の単語をフルに使い"カモンホームスティ!!"だかなんだかを必死に言っていた。カルロスの両親は普通に日本語で話せるのに。故障した車を脇道に押して遥華は頭に疑問符を浮かべているカルロスの手を引っ張った。

『おれの家、帰ろ』
『おまえん家?』
『そう。おれの家』

やはり、カルロスは白い歯を覗かせて頬っぺたを赤くして笑っていた。お互い6歳の頃だった。



土曜日青道グラウンド――前から予定されていた大阪桐生高校との練習試合が始まった。気分も体調もすこぶる悪い遥華は今のところベンチに下げられている。沢村から大雑把にだが体調不良だと聞かされていた片岡は仕方なくベンチに下げたのだ。実力は認めているが、どうもメンタルが弱いのが最大の弱点で。更には熱に弱いために真夏の炎天下のグラウンドで長時間、マウンドに立てないというどうしようもないリスクも抱えている。それでも投手から降ろさないのはその弱点を一発で返すことのできる超豪速球を持っていたからだ。鬼神の一撃はそうそうに捕れる球ではない。バッターボックスに入ったバッターはそれはもう蛇に睨まれた蛙も同然。あっという間に三振させてしまうそれは目を見張るものがあった。

「っらぁしゃああああああ」

合宿疲れも取れない中で全国レベルの桐生との試合。降谷も、全国の厳しさを突きつけられたのだろう。打たれっぱなしはプライドに触ったのかオーラダダ漏れで。4回で11失点。4回途中でもう100球は超えている球数。ようやく目をグラウンドに向けた遥華はクリスの手元を覗き込んだ。じっ、と。

「…どうした?」

見兼ねたクリスが極めて優しく声をかける。数日前から、体調が優れていないのはわかっていた。あの倉持となにかあったのだろうとも想像がついていた。だが、それらの事を言葉で伝えるほど、クリスと遥華の仲は軽くはない。お互いのポジションは投手に捕手。一年間一緒だったのだ。特に遥華とクリスは。べたべたするような仲でも、切磋琢磨するような関係でもなく。今現在の沢村のような関係でもない。遥華が自立してからは、お互いがお互いを知っているが故にお互いを干渉しない。そんな関係が作り上げられた。わかっているが、敢えて口には出さない。相手が、自分に寄りかかるまで。だから遥華もクリスがレギュラーの枠に選ばれなかったとき、声を掛けなかったのだ。選ばれなかった者に、選ばれた者がかける言葉なんてない。クリスも弱音も悔しさも遥華の前で吐き出さなかったのだから。言葉では表現できない関係。でも確かに繋がっている絆。わかってて、なにも言わない。クリスはもう一度だけ、自分の手元の記録を見つめている遥華に声を掛けた。

「…俺なら、あのエースを捩じ伏せられます」
「…!」
「お願いします、監督。」
「…おん、ッ…上城先輩!!次の登板は俺なんすけど!!!?」

沢村の吠えがグラウンドにも伝わったのか、御幸もベンチを振り返っている。深々と頭を下げてる遥華の飴色の髪は風に吹かれ小さく揺れていた。降谷は桐生のエース、館への投球をスッポ抜けが怖くて深くはさみ込まなかったが為に20世紀最後と言われた魔球(スプリット・フィンガード・ファストボール)を無意識に放った後。あれから流れが変わったのは明らかで。次のイニングからは沢村の番だった筈だ。

「体調がよくないと聞いていたが」
「なんでもありません。今、この試合を投げないと、俺は…」

我儘は承知です。帽子を握る力が篭る。

「俺は、なんのために青道を選んだのか、わからなくなってしまいそうで」
「…遥華」

御幸の無意識に出た言葉は誰の耳にも入らなかった。一軍に帰ってきた時には、目の色が変わったのを御幸はちゃんと気づいていた。見てきたから。倉持となにがあったのかは知らないが、監督に頭を下げるほど、焦っている。

「…」

片岡は思案するように黙った。沢村の唾を呑む気配も感じる。沢村、一年にとってこの試合は刺激剤にもなってもらわねばならない、これからの夏を考えると。遥華も一年前にも合宿で沢村達と同じように刺激を与えられた。状態のいい降谷を下げるのも渋っているが、今回は一年に全国の厳しさも見せることが目的の一つにも入っている。大事な戦力であるのは変わらないが、いまではない。

「却下だ、…戻れ。投手!降谷に変わって沢村!」




「明日のダブルヘッダー第一試合川上!!」
「はい!」
「2試合目先発丹波!!」
「はい!!」
「疲れもあると思うが二人には一試合ずつ投げ抜いてもらう、いいな!!」
「はい!!」

ここのところ、毎日そうだ。相当のストレスがかかった状態、小学生の時と同じだ。

「、…はぁ…」

こんなんじゃ、マウンドに立たせてもらえない。明日のダブルヘッダーは丹波さんと川上。自分は名前を呼ばれなかったんだ。洗面所の鏡をぼーっと眺めた。俺は…俺は、どうすればいいんだ。あれだけ練習していたスクリューにナックル。肩の負担があまりにも大きすぎて、倉持に言われた言葉を思い出す。お世辞でも心配してくれたんだなって。水道の水が流れる音がする。あの切れかかっていた電球が変えられている。頭をぐるぐる回る。ぐるぐるぐるぐる。そんなときだ。

≪ピピピピピピピピッ≫
「…あ、」

ポケットに入れていた携帯が軽快な音を立てて振動した。一気に現実に引き戻されたように、意識がはっきりした。

「も…しもし」
≪お。今度はちゃんと出たな≫

懐かしい声に、無性に涙腺が刺激されて必死に歯を食いしばった。携帯のディスプレイには…"俊樹"。

≪元気か?遥華≫

優し気な声に、楽しそうな喋り方。褐色の肌に白い歯が、とてもよく似合う…俺の幼馴染で、大事な人だ。



「倉持」
「なんだよ御幸」

面倒くさいのに声を掛けられた。そう思いながら足を止めて振り返ってやったら、やっぱりというか。腕を組んでこっちを見やる。心底怒っていて、それでいて呆れている様な顔。

「遥華になにした?」
「お前にゃ関係ねーし」
「いや、あるんだよなあこれが」

…その会話が、あの電話の会話を思い出させるようで。眉間に思わず皺が寄る。

「お前、今があいつの一番大事な時期だって分かってんのか」
「はっ。あんな肩肘に負担掛けさせる球種やらせといてよく言うぜ」
「だからそれもあの時話しただろうが。それでもやるって本人が決めたんだ。集中状態も良くて完成に近づけているって」

確かに、聞いた。遥華がボールを無意識に落としているところを見て御幸に詰め寄った時。あれは本人たっての希望であり、誰も球種にあれこれ進言してはいないと。

「くだらねぇ事で、あいつの集中妨げんのはやめろ。ただでさえコントロールのストレスが溜まってんだからな」

くだらなくなんか。御幸の発言がもっともである事は最初から知っている。コントロールを選んだのは、青道の為であることも。そして、同時に少しもやもやさえした。コントロールを選んだ事に苛ついて心配したのは、単に遥華の身体が気になったからだ。でかいけど、細いから。骨とか脆そうだなって。でも、それと同時に。…御幸の為にあんなに努力してんのか、って。古鳥のような本気球を捕れないから、ならコントロールを取得してリード力のある御幸が捕れて、尚且つ組み立てやすい投手になる為に?って。考えてるんじゃないかって。古鳥がいなくなってからといえば、なにかと御幸と組んでるのをよく見かけるから。その2人のバッテリーが段々と、息が合うようになってきている気がして。今もそうだ。なに、らしくもなく本気でムキになってんだよお前。

「なにがあったかは知らねぇけど、頼むぜ本当に」
「なにムキになってんだよ」
「は?」
「青柳、青柳って煩かった癖に。いざいなくなると上城かよ」

気移りし過ぎなんじゃねぇの。なんなんだよその切り替え。怪訝なツラに腹が立つ。

「…青柳がいなくなってから、遥華をマウンドに立たせられる奴は俺しかいない。右翼が離れていったなら今度は、俺があいつの片翼になる」

だから、これ以上遥華に負担を掛けるのはやめてくれ。御幸はそう言い終えると、じゃあな、と片手を上げた。なんだよ…、いつものように茶化せよ…。




最悪だ。なにが、って…全てが。やはり遥華を傷つけた罰なのだろうか。寮から少し離れたグラウンドの便所で遥華の声が聞こえた。誰かと話しているのは明白で、引き返そうと思った。…相手の名前を聞くまでは。

「そうか…お前も忙しいのか。え?俺、別に元気だよ…そう感じない?俊樹は鋭いな」

俊樹…あの携帯のディスプレイを思い出した。と、同時にいけ好かないそいつの言葉もチラついて舌打ちをする。相手の声は幸か不幸か聞こえはしないがめっきり見なくなった笑った横顔がとにかく悔しくて。

「いや…友達に嫌われたみたいなんだ。俺が、甘えすぎたから…嫌気が差したのかもしれない…あいつには、本当に励まされっぱなしで…なにも返せなくて、自分が、…」

電球を仰いだ遥華の顔は真っ白の光に反射して、そのまま…掻き消えそうで。

「…何度か、退部を考えたんだ。俺は古鳥がいなけりゃただの人だから。鬼神でも左翼でもない、…駄目投手だから」

"――…古鳥がいなきゃ満足にピッチングもできねぇ駄目投手のくせに"

「俊樹…俺、野球辞めた方がいい?」

…倉持の、なにかがブチリと切れた。引き返そうと止まっていた足を今度こそ向けて。足音で気付いて片耳に携帯を当てたまま、倉持を見上げて唖然としていた。そんなのお構い無しにズカズカと歩んで、携帯を奪ってその辺に放った。

「な、」

携帯を目で追う遥華の胸倉を掴み、そのまま右の拳を…思いっきり顔面目掛けて振り下ろした。



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