だめ投手


「おい!!倉持!」
「!!」
「なんだよ、らしくもなくボーッとして」

誰のせいだと…!!倉持はイラついたが勝手に人の携帯を開いた挙句、電話に勝手に出てしまった罪悪感からなにも言えず、というより携帯を開いたという事実さえ口外できそうもない。沢村の変わりに返してやる"若菜"へのメールとは訳が違うのだ。

「…、なんでもねぇよ」
「…あっ」

そっけなく返すと覗き込んでいた遥華の胸を押し返して先を歩く。

「どうしたんだよ!朝から変だぞ、なんかあったのか?」

俺が昨日なんか変なこと話したから?明らかに落ち込んだように項垂れたその姿を横目に見たがどうも、まだ顔は見れそうもない。それは、あのカルロスとかいう奴の電話に勝手に出たからじゃない。奴の言った"言葉"にあるのだ。思い返しただけでも腸が煮えくり返りそうになる。

≪いいや、あるね。だって≫
≪遥華は俺のものだし≫

…なんだよソレ。向こうが勝手に言ってんのか。まさか事実だとでも言うのか?じゃあなにか?遥華とあのカルロスとかいう奴の関係は…

「倉持!」
「…ッ、うッッッせぇな!!!!!」

伸ばされた手をバシッと叩き落として叫んでた。投手の大事な、こいつにとったら左手を。

「倉…持…?なんだよ、どうしたんだよ…」
「あームカツク。そうだよな元から俺等全然馴れ合えないよな!!」
「…え…?」

違う。

「俺、馬鹿じゃね?お前の相手なんてしてっからだ」

違くて。

「小学んとき虐められてたんだろ?当然だろそんな女顔じゃ」

違ぇ…

「高校変えたって、お前変われねぇわ」

違ぇ!!!

「――…青柳がいなきゃ満足にピッチングもできねぇ駄目投手のくせに!」

…早朝の寮の外はあまりにも静かだった。風が木々を揺らす音、水道の水滴が落ちる音。あまりにも静か過ぎて、目の前の輪郭がぼやけたようだ。遥華のスパイクからゆっくりと顔をあげた。伸びた前髪が飴色の瞳にかかって、風で小さく揺れた。古鳥が青道からいなくなった時よりもか細く。

「……、そう、なんだけど…さ…」

それだけ。それだけの、言葉とも言えない声を口から紡ぎだしてその背中はなにも語らず泣きも喚きも怒りもせずに。俺の前を去った。

「っ…!」

思わず口を手で覆った。なんで、こんな暴言…言いたかったわけじゃ…自分が信じられなかった。俺は、ただ…。次に顔をあげた時。いつも笑いながらひょっこり顔を出してくる影はなくて。ただ閑静な"いつもの朝"が広がっていた。嗚呼、これは中学の時仲間"だった"奴にされたことと同じだ。自分は、奴と似たようなことを…上城にしてしまったんだ。



「グラウンドに礼!!!!」
『したぁ!!!!』

合宿、終了――。監督のノックに応えた先輩の姿は多くの者の目に焼き付いた。

…もう一球…お願いします…監督…

あれが…あれが青道の"後ろを守る者達"。特に、兄の亮介の姿を見て一番に衝撃を受けたのは弟の春市であろう。そんな先輩達を見ながら、あれだけ練習していたナックルもスクリューも。今日は投げなかった。御幸が捕ったのはただ一つ。ストレートのみ。そうするように言ったのは御幸だ。別にそれに対しては何も言うつもりはないが。

「おい」

聞かずにはいられなかった。古鳥の元相棒。あの計測不能の超豪速球を投げる剛腕選手。鬼神。左翼。その重みすべてが乗りかかってきたかのように今の遥華には覇気が感じられない。

「え?なに?」
「…それは俺のセリフだろ?なんかあったのかよ」

癖の強い一年生には確かに手一杯だが、彼も立派な投手の一人だ。投手の変化も汲み取るのが女房役…捕手の務めの一つでもある。新しいコントロールの道を取り、今現在とてもデリケートな遥華。少しの変化も与えてやりたくはなかった。一番に集中しているこの状態を切れさせたくはなかったのに。

「なんでもないよ」

そう、至って普通に答えると踵を返して寮に戻っていく。

「ちょ!おいおい!!」

なにがなんだかまっっったくわからない御幸は更に頭を悩ませるばかりだ。なんでもねぇだ?そんな顔色で言われても、説得力ねぇよ。


頭が回って吐きそうだ。倉持の言葉が理解できなかったわけじゃない。あいつは、元から俺が嫌いだったと、よく思っていなかったと遠回しに教えてくれた。教えてくれたんだ。倉持はなにも悪くない。あいつの優しさに甘えに甘えて、あいつの領域に土足で踏み込んでしまったんだ。電気が切れかかって点滅しているトイレは独特の臭いがして個室で放心して切れかかってる俺とその電気は似ているような気がした。すぐに誰か気付けば新しいのに取り替えられて何事もなかったかのようにお役御免するんだろう。自分が、酷く不必要な存在だと感じ始めた。――…青柳がいなきゃ満足にピッチングもできねぇ駄目投手のくせに。まったくその通りだ。

「…………辞めちまうか……野球…」

青いタイルの床を眺めたその瞳には後悔なんてものは映っていない。小学生のときに受けた痛みが抉れた気がした。あの時の痛みといったら。俺が決めた道は、どうやら間違っていたようだ。どうせ、俺には…

「退部届って、書くんだっけ…」

ジジジッ…バチンッ。電気が限界を迎えたように、切れた。





ばっ。空を見上げた。隣にいた鳴は突然の古鳥の行動に目をまん丸にさせている。

「なに?なんかあるの?」
「いま…なんか…」
「ん?」
「いや…なんでもない」

すでに暗くなった空は星がちらほら出ていた。ナイターが消えたグラウンドは閑静で寮は逆に賑わっていた。

「今日も暑かったね。大丈夫?青柳」
「あぁ、平気です。さすがに二年目は慣れたようで」

三年の平井翼が肩を叩きながら言った。古鳥の体を心配してくれる先輩である。鳴も口では言わないが信頼を置いている野手の一人。カルロスはあのお決まりのソファに座り、携帯をパカパカ開いたり閉じたりして遊んでいる。

「いやいやいや、大丈夫じゃないじゃん!さっきまでフラフラしてたくせに!」
「鳴、余計なことを…」
「青柳、投手に物申す前に自分の健康管理をきちんとしとけ。」
「は、はい」

原田雅功。この稲実の主砲であり4番で捕手。そんなある意味すごい先輩にさすがの古鳥も姿勢を正して原田に少し頭を下げた。同じ捕手としても引けを取らないが、先輩は先輩。原田と同じことができる器を持っているとしても、この人のようにはなれない。入部したときに思ったことだ。…成宮鳴をコントロールできるのはこの人しかいない。この人が引退した時に引き継ぐのは、自分か一年の多田野樹か。その二人に絞られるだろう。原田は古鳥の尊敬する内の一人だ。ちなみに他にも伊佐敷に結城は青道にいた当時から尊敬していた。その敬意はしっかり伝わっていたのだろう。あの二人はなによりも古鳥を可愛がっていた。クリスにべったりだった遥華に触発されたわけでもないが北海道を出て寂しかったのかもしれない。だからこそ、兄のように接してくれたあの二人に絶大な信頼を寄せていた。不器用で口下手な古鳥にはその言葉が言えずに。そのまま結城にだけ理由を告げて青道野球部を去った。荷物を抱えてバスで揺られながら。少し、何故だか涙が零れた。信頼していた中学時代からの相棒にもなにも告げることなく去ったことへの罪悪感が当時は半端ではなかった。自分の身を護るように遥華との接触を避け、アドレスも変えてしまった。…感じていたのだ。遥華に自分という名の"保護者"がついていたら、どうしても成長出来ないということ。妨げになっているのは、自分自身なんだと気づいた時には転校を考えていた。遥華のため、それに、…自分の為に。

「古鳥?」

肩を揺すられて意識が浮上した。眼下には自分を心配するように少しだけ歪められた鳴の瞳があった。

「大丈夫だ」

鳴は、優しい。それはもう絹で包み込むかのように、二人でいる時は尚更優しい。優しすぎて、時折すごく怖くなる。その瞳に、自分しか反射されていないことが。先輩に色々言われて絡まれている時も、必ず助けに入るのが鳴。転校してまだ日が浅かったが、古鳥の写真が学校内で出回るという事件が起きた際にも。鳴だけが、いの一番に写真を回収して回ってくれた。野球に勉強に忙しかった筈なのに。

「鳴、その…」
「なに?」
「あの…、…ありがとう…いつも」

結城や伊佐敷に言えなかった言葉だ。言わずに胸のうちに秘めて、後悔した。もうしたくないから、言えるときに伝える。口下手が相まって、更に素直な気持ちなんてストレートに出した試しがなかった。どこを見ればいい?相手の目を見ればいいのか?そっと視線を戻すと…

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」

…顔を、思いっきり輝かせた鳴がいた。

「ね、ねぇ古鳥!!もう一回!!もう一回言って!!」
「い、言うわけないだろ」
「お願いだから!!こっち向いてー!!!」
「ふざけるな!」

なんだこれ、なんだこれ。顔に一気に熱が集まったかのように火照る。下でぴょんぴょん跳ねてる鳴を押し返して片手を顔に持って行く。なんでこんなに恥ずかしいんだ。

「かーわーいーいー!!!」
「煩い!」
「…あのさ、俺達がいること忘れてイチャつかないでくれない?」

白河の冷静で淡白な声が賑やかな食堂で小さく呟かれた。




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