俺の代わりの坊や


遥華はそう言って、泣いた。必死に腕で顔を覆っていたけど、そんなの無意味なの…知ってる。遥華の涙を見るのは、古鳥が青道を去った時以来。あのときも人知れず、泣き明かしていた。目の赤みはすぐに引くタイプの遥華は、どれだけショックだったのか、周りに知られることはなかった。どれだけ、同室の先輩にも気づかれることなく…どれだけ息を殺してその長い夜を越えたのか。倉持は、倉持だけは…知っている。御幸と同じで、あのバッテリーを見てたんだから。気持ちよさげに腕を振るう。ボールが弾けるように真っ直ぐに…。その黒いミットの中に物凄い音で収まる。少しだけ、古鳥の口角が上がる。互いの拳を突き出して、一球一球…魂込めて。だが…それがなくなったいま。遥華にはコントロールの道しかなくなった。急な鍛え方に身体がついていかない。肩が痛い。腕が痛い。ボールを無意識に離してしまう程に、激痛なのだろうか。だとしたら、自分はなにができる。捕手としてなら御幸のほうが遥華をわかっている。悔しいが。なら、自分は…俺は。

「……てめぇは、弱くない」
「弱いよ…俺は、中学からずっとだ…」
「中学と今はちげーだろ…お前の努力は、皆知ってる。俺も知ってる」
「………俺小学生の時リトルチームに所属してたんだ。俺こんな顔だし、小学生のときは背も小さかったからよく同じチームの奴にいじめられてさ」

学年が上がるにつれていじめもイタズラに変わったことで、野球をやめた。

「中学はせめて違う場所に。俺を知らない奴がいる所へ行こうと思った。…その中学で出会ったのが古鳥だ。古鳥は入学当初からなにかと話したから仲良くなったんだ。」

古鳥は元から野球少年で小さい頃から野球をやっていたらしい。体育の時間のソフトボールで肩の強さに気づいて遥華を野球部に勧誘した。

「最初は嫌だって断ったんだ。またいじめられるのが怖かったから。だけど、あいつしつこいし、我が儘で。…仕方ないから見学だけって、ついてったんだ」

でも、びっくりした。古鳥を筆頭にチームの皆は快く迎えてくれた。馬鹿にするようなこと言う者も誰一人いなかった。

「あいつが率いるチームなんだ。良いチームに違いなかった」
「…それで、入ったのか」
「うん、バッテリーを組むようになってからの試合は快勝。俺達は次第に“二翼”と呼ばれるようになった。」

もぞりと肩から顔をあげた遥華は大きい倉持の目を見下ろした。

「…古鳥がいなくなったら俺はただの…」
「…」
「…いや、違うよな。俺は古鳥を地元に置いていく覚悟で東京を選んだ。なのに、こんなことをお前に言うのは、…やっぱ違うよな」

ふっ、と体を離してへらりと笑った。地面に落ちていたタオルを拾い上げて数回払った。

「ありがとう、倉持」
 

わかってんだよ。お前のその"ありがとう"は無理した"ごめん"の言葉なんだってこと。…ふざけんなよ、ばかみてぇなのは俺の方だ。上城が去っていった方向に転がっていた石を蹴っ飛ばす。

「あ、ねぇ倉持。上城見てない?」

そのとき後ろからジャージ姿の亮さんがやってきた。そしてその手には携帯が掴まれていた。そもそもなぜその携帯を亮さんが所持しているのか。

「携帯さっきから鳴りっぱなしで。なんか大事な用事かもしれないだろ?」
「いや、上城なら…」

未だに振動している携帯のテロップに流れるのは、いままさに電話をかけているであろう相手の名前だ。

「それにしても、おもしろい名前だよね。」
「外人っスか?」
「カルロス…俊樹」

見慣れない名前だった。俺は上城の昔を聞いたことがない。さっきのが初めてだった。この電話の向こうの主も、あいつをよく知る人物なのだろうか。上城には悪い。そしてこれは俺個人としての横暴行為だ。それでも、俺はその通話ボタンに親指の力を込めた。

「あ、ちょっと倉持。勝手に出るの?」
≪…あ。おい?やっと出たな。倒れてんのかと思ったじゃん≫
「…」
≪今日の練習はどうだった?こっちも相変わらずきつくてねぇ。前に話した坊やの王様ぶりも絶好調で≫
「…」

なんだこいつ。

≪今年も夏は厳しいんだって、お前暑いの確か苦手だっただろ?熱中症気を付けろよ。先輩達にいじめられてない?≫
「…誰なんだよ…」
≪?……あれ、遥華じゃあ…ねぇみてぇだな≫
「なんなんだよお前」
≪ん?…あー。そっか。お前か、お前が俺の≫

俺の代わりか

…は?電話の向こうの声は俺の無愛想な声にも全く動じず、むしろ機嫌良さそうに弾んでいた。

≪遥華の側にいるんだろ?…たまにいるんだよな。あいつの顔に釣られるやつ≫
「てめぇ、…ふざけたこと言ってるとまじぶん殴っぞ」
≪お前も坊やかい。…まぁ遥華がお前でいいってんならなにも言わねぇんだけどな≫
「…」
≪あいつは精神面が弱ぇ。右翼が離れた時も立ち直りが長かっただろ?そういう奴なんだ。本当なら、お前のポジションは俺の場所でね。貸してやってんの。わかるか?≫

テンポよく喋り倒すその弾んだ声。やはりこいつは昔から上城を知っている。わかってる。

「ポジション?なんだよソレ。上城は物じゃねーんだよ。てめぇがどこの誰だかは知らねぇけど、俺はあいつと個々で接してんだ。関係ねーんだよてめぇは」
≪いいや、あるね。だって≫

亮さんが眉間に若干の皺を寄せてこちらをただ凝視していた。険悪な会話に、気づいているのだろう。電話の向こうは、ひと呼吸置いてからハッ、と笑うように言った。


向こうの相手がなにかしらのショックを受けたのが、電話越しに伝わってくる。寮のホールに設置されている自走販売機の電光を見つめながら一人の男は薄ら笑った。別に意地悪をしようと思ったわけでもないが、いま遥華の隣にいる奴がどんな奴か知りたかったのは事実だ。言い方は悪いが歴代的に遥華の側にいたのは頭の良い統率が出来るタイプか、自分のように添え木になり、遠くからでもいちいち干渉する保護タイプだ。その一人には、青柳古鳥という男が該当する。あれは健全だったから自分の敵ではない。ただ純粋な野球馬鹿であるために、ただ単に遥華の素質を買っての付き合いだったのだろう。青柳から友情以上の気配を感じなかった。だが、この相手はどうだ?完全にハマってんじゃねーか?遥華を庇護するような、警戒心の現れかた…。そんだけ見れれば十分だ。

「おい」
「!」

誰もいなかったホールに低いどこか硬派な声が響く。まだ深夜でもないため、ここに誰かがくる可能性なんて大いにあった。

「珍しいな。お前がここに来るなんて」
「余計なことをしていないだろうな」

青柳だ。普段は部屋に篭もって出てこないくせに、こういう時には現れる。秀麗な顔が歪んでいた。

「余計?なにもしてないさ。ただこいつに、ちょっとイラッとしただけだ」

既に切れている携帯を持ち上げて左右に揺らす。

「それが余計なんだ。大体、遥華との連絡は避けろと忠告した筈だ。」

隠れてやってたな。なんて言われても両手を参ったというように上げて笑った。隠れてといってもホールだ。オープンに、むしろ古鳥を挑発するかの如く。

「青柳のことはただの一言も言ってねーし、心配すんなって」
「お前の好意が、遥華の妨げになるかもしれないだろう。あいつは優しい、絶対に悩む」
「俺としては嬉しい限りさ、そんなに真剣に悩んでくれるなんてね」
「せっかく野球と向き合った遥華を殺す気か。カルロス」

男…カルロスはオールバックにしている自身の黒髪を撫で上げた。いつにも増して冷たい古鳥の眼光を横目に受け流し、ソファの背に両腕をかける。

「野球をなしにしても、それを青柳に咎められる権利はあんのかい」
「権利…?ああ、確かに俺にはなにもない、黙ってここに来た俺には」
「だろう?もっと解放感もてよ」
「……だけど、遥華は野球が好きだ。その無自覚な感情を潰したくない」
「我が儘気質は鳴の影響か?…まっ、俺がどうしようが時間の問題だろーぜ」
「?」
「限らねぇだろ。俺以外にも、お前が言う"妨げ"が青道にもあるかもしんないんだから」

古鳥は息を呑んだ。頭はいいが、こういった話には鈍感な王子様。カルロスの唇が弧を描いた。

「それに、お前も気をつけたほうがいい。お前が俺のタイプじゃなくて良かったな」
「は?」
「そーゆうトコにあいつら釣られんじゃねーの?」

カルロスの言葉の意味を自分なりに最大限の理解をしてみようとしても、恋愛スキルが極端に皆無な古鳥にとっては考えれば考えるだけ混乱を招いた。持ち前の顔の良さとインテリ派な古鳥はもちろん転校初日から女子生徒の大告白会のオンパレードを受けたが、本人は至って真面目に野球の邪魔になると判断し、稲実一の美女を振った強者である。野球が恋人の如く。いわゆる、残念なイケメンだ。女子に言い寄られることもしばしば。男子生徒にもしばしば。というか、記憶に新しい。そう考えればいかに青道には常識が揃った生徒が溢れていたのだろうと再確認させられる。あの頃はよかった。

「お前も苦労すんな」
「好きでなった顔ではない。」
「また贅沢な」

そう笑うカルロスこそ顔は整っており、ブラジルの血が濃い為に肌は褐色で背丈も十分な美丈夫だ。おまけに紳士的な対応で女子の層も厚い。ただ、こちらもオープン残念なイケメンである。告白された際には紳士的にお断り申し上げるのだが、ある日好きな奴がいるからと断ったらどんな子?と聞かれたのでクソ真面目に答えたそうだ。"女顔なんだけど、とにかく可愛い"…馬鹿だろ。"女"なら全く問題はなかったんだが、"顔"をつけてしまうと自ずとその相手が"男性"であることを示してしまう。結局この噂は、というか事実はあっという間に学校に広まった。むしろ、虫除け効果があって一石二鳥だと笑っていたカルロスだが、微妙に顔が良い男子からは距離を置かれたらしい。

「それに、別に俺は気にしちゃいない。」
「そらまた」
「気にしている余裕はないんだ。」

組んでいた腕を下ろしてカルロスを見下ろした。カルロスがソファに座っていることを含めても中々の長身だ。

「じゃあ、俺は行くけど。また…妙なことしないでくれよ」
「へいへい。…まったく過保護な奴だぜ」

古鳥が消えていった方を見つめてクスクスと笑った。




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