07. 会いに行こう。

ぶちん。目の前で肉が弾ける音がした。水の入った袋が破裂したような。血生臭いそれは私達全員に降りかかった。エルヴィン団長の指示で結成された通称リヴァイ班は此度の壁外調査において、ついに欠員を出した。人類最強の兵長が自ら抜栓した、調査兵団における選りすぐりの兵士だった。死体を持ち帰る事はおろか、腕章すら持ち帰れなかった。団長の命で馬を引いて撤退する時。彼の顔がごろんと転がって、此方を見ていた。見開かれた眼球には砂が被さっていて本当にこちらを向いていたかは判らない。言葉で形容できない程に、ぐちゃぐちゃだったからだ。兵長は一度長く瞼を閉じて、それからもう振り返りはしなかった。あれは…そう、追悼のような。今までの全てを讃えるかのようだった。人類最強と呼ばれる私よりも小柄なその背中が。見当違いだって言われるかもしれないけれど、とても、脆く見えた。




「んぬあああああっ!!!!!」
「お前それ何度目だ…」
「エルドさああああん」
「はいはい」

もー、と言わんばかりの顔。だってでかい虫が死んでたんだもの。仰向けで。グンタさんなんか先の見えない作業に絶望し始めたらしい箒に両手を置いて項垂れている。冬を迎えた壁の中では我らが敬愛するリヴァイ兵長の指揮の元、大掃除が行われていた。いや毎日が大掃除なのだからこの場合は、強いて言うならば大大大大掃除である。窓辺に至っては結露が元になってできたカビの駆除に追われている。因みにその窓周りは我らが大好き兵長自らが担当に名乗りを上げた。男前でしょ?知ってる。そんな兵長の行動は調査兵団規模で実行される為、あちこちで口を布で覆い長手袋をはめた兵士が目撃される。

「いやだあああああ!!!!ハンジ分隊長!これはなんですか!!?嫌だ!やめて!やっぱり言わないで!!!!」
「どっちだよーぉ」
「分隊長!気は確かですか!?やめて下さいよ教育に悪い!」
「やだー!!分隊長と洗濯物分けてー!」
「反抗期!?」
「当たり前だあんた!」

断末魔が上がってる。あそこはハンジ班。菌の巣窟だと前に兵長がつぶやいていた。そんなハンジ班は今日も家族喧嘩さながらの会話を繰り広げている。モブリットさんが母な。洗濯物分けて!!とか言われてる。お年頃な娘の台詞だ。何を見つけたんだ一体。にしてもすっげー埃にガラクタ山だな。いっそ清々しい。

「おいおいこの調子だと終わらないぞ」
「掃除の当たり判定が厳しいから」
「気合い入れろお前ら」
「そういえば兵長は?」
「一階から徐々に上がってきてる」
「速い」
「ここまで到達するのも時間の問題だな」
「怖い」

いや負けるなミレア!私は兵長から直々に床磨きの仕事を賜わったんだ!部屋、廊下の表面積をごっそり占める床磨きをね!!兵長の指先を汚すわけにはいかない。ハンジ一家の箇所は諦めるとしてもだ、希望を捨ててはいけない!ひとまずリフレッシュの為に、未だに目が明後日の方向を向いているグンタさんの足元に置かれているバケツを集めて水を入れ替える事にしよう。グンタさんだって綺麗な水を見れば帰ってきてくれる、筈だ。きっと。多分。

外は気持ちのいい風が吹いていてきっといつもの硬いパンだって美味しく食べれるに違いない。牛や豚を満足いくまで食べたのは最後いつだったか。兵団に入ってからはそれもままならなくなった。それでも自分が命をかけて属し、食いっぱぐれがない兵団は外に出ない限りは穏やかなもんで。訓練だって慣れてしまえばあとは維持するだけで精一杯だ。うっかり骨折って負傷する訳にもいかないからかなりの神経をすり減らす。食いっぱぐれはないと言ったが兵団のトンチキ集団である調査兵団は資金繰りが大変だ。だって外に出なければ平和なんだから。

「よいっ、せ」

灰色なんか通り越してもはや黒の汚水を捨てる。この汚水はほぼハンジ一門の部屋から齎されたものだ。手を突っ込むなんてとてもじゃないけど出来ない。そんな事考えたくもない。

「…なんか浮いてる」
「そいつは死んだカメムシだ」
「そうなんですか、カメムシ……ッウオ兵長!!!!」

ナチュラル過ぎて反応が遅れました兵長!じっと死んだカメムシを未だに見つめている兵長のまあなんともコンパクトなしゃがみ姿なのか。うちの兵長が可愛いって?皆までいうな知ってる。

「このクソ汚ねえ汚水、ハンジの部屋だな。」
「こんなバケツがなんとあと8つもあるんです」
「全部に入ってそうだな」

カメムシ。あ、はい…。

……。

ああああああ!会話が続かない!!どうしようせっかく、せっかく兵長が隣にいるのに!割と、そこはかとなく近いのに!死んだカメムシを見つめる兵長の目、ねえ今どんな気持ち!?なにを考えてるの!?ガン見させてもらいながら雑巾が悲鳴を上げるまで捻り切っている私。

「…俺の班から欠員がでるのは今に始まったことじゃねえ。あの日の陣形に文句だってねえ。…生え抜きと呼ばれても、お前みたいにまだ3、4年そこらの若造だった」

…あ、そっか…。あの日。あの日か…。兵長がカメムシの死骸からなにを連想したかダイレクトに返答された。

「何度も見てきたら、それが当たり前だと思うようになってしょうがねえ。絶対に正解な答えなんて喩えカミサマだって待ち合わせちゃいねえ。それを人間なんぞに律儀に教えてくれるわけもねえ。」
「…はい」

兵長がなにを私に言わせたがったのか。ひっくり返ったカメムシをつついたら、急に羽をばたつかせて飛んでいった。まだ生きていたんだ。あんな汚水に浸って。虫でさえ、こんなにしぶとい。

「…私、兵長にきちんと覚えていてもらう為に。取り敢えず…見つけて貰えるように、そこかしこにワッペン仕込むところから始めようと思います。」
「んなもん一々探してる暇はない」
「それでもいいです自己満足です」

つい、と上がった黒目がちな三白眼がほんの少しだけ細められた気がしたけれど、気がしただけだ。私が兵長の心を理解できるようになるのなんておこがましい。それでも命短し乙女の身だ。

「例え兵長が間違えた!て言っても、私はついていきますもの」
「俺にてめぇの命を預ける程、信頼に足ると?」
「この部隊に選ばれてからは、ずっと!私はそう思ってますよ!少なくとも初陣の時みたいにふらふらしてないと思います。」

そう、おこがましい。だけど私達を命の分岐に導こうとしてくれている、不器用なまでに優しいこの人が。
せめて己の選択を間違えたなんて言わせないくらいに、強くなってやろうと思った。汚水に落ちても生きていた虫のように。私の命がどれだけ小さなものだとしても。





タムシュ。あたしの愛馬の名前。なんかそういう顔していたからそう名付けた。ハンジさん達の馬より全然若造らしいけれど、足だって速いしそれにものすごく愛嬌のある顔している。すぐに前歯ひん剥く。出っ歯。ハンサムと呼ぶにはかけ離れているけどあたしはブサイク可愛いタムシュが好きだ。すぐに顔をベロベロ舐める。だけど好き!

「180p超えの天使の話する?」

あ、脱糞したこの野郎。馬小屋には色んな馬がいて中には凛々しい団長の白馬もいたりする。馬小屋の掃除は不評だけどハンジさんの部屋を掃除したりハンジさんを風呂に入れたりハンジさんの巨人話を聞くより百倍マシ。それにほぼ誰もいないからこうして独り言を洩らすには丁度よかった。

「まさか生きて天使に会えるとは思わなかったの、あ、こらそっぽ向かないで」

あたしの話に興味ゼロ。しかしいいのだ。どうせ聞かせる相手なんてタムシュかミレアのどちらか。馬か人か。因みに反応は一緒。

「団長の馬はハンサムだね。身体は大きいのに顔は小さいし白くて綺麗。」

入団してから馬小屋のお世話は持ち回り新兵の担当だった。あたしはもう新兵じゃないけれど好き好んでタムシュといる。兵団の人が苦手な訳じゃないけど最近やっかみが増えた。大した能力の無い私が隊長クラスの人たちと言葉を交わすのが気に入らないのだ。わかる。紅茶すら碌に注げない人間なんだあたしは。何度目かの縁でモブリットさんにハンジさんに。そして団長に面白がられているだけで。ミレアはわかる。だってあのリヴァイ兵長指名の精鋭部隊に選ばれたんだよ。討伐数だって壁外を重ねるごとに更新していく。確実に目的持って成長している。最初とは大違いだ。
それなのにあたしは対人関係で心がもさついて。

「タムシュ達の方が団長達の役に立てるよね」

運で生き残ってるだけ。あたしに単騎討伐はほぼ不可能。訓練をパスできたのはあれが動かない人形だったから。実戦で自分の能力を思い知った。あたしはどう足掻いても援護型だ。能力でカバーできないのならばと筋力を鍛えてみたけれどそういう事じゃなかった。身体が重くなっただけで逆効果だった。つまり、そう。あたしにはセンスがなかった。それで、そんな凄い人間でもないどこまでいっても平々凡々。団長はセンスは悪くないと言うけれど、だけど。

「うううわあああベロベロしないでえ」

知ってか知らずか。動物は時々こうして急に側にくる。人間なんかよりずっとずっとずっと信用に足る。結束協力チームワークが根本な兵団内でこんな寂しい事思うもんじゃないけど。思うだけいいじゃないか。声に出さなきゃいいじゃないか。人の心が読める人間がいる訳でもあるまいし。

「あ!もうご飯の時間だったか!180p超えの天使の話、また聞いてね」

若干渋い顔された気がする。動物はこんな時まで素直だ。大変よろしい。


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