84.そっと手を放すから

「兄貴っ、」

シカマルが荒々しく扉を開けたのはイヅルが出てほんの数分後。相当慌てていたのか、冷静さを欠いた三白眼は見開いていた。綱手は中におらず、シモクが一人。窓の外から注がれる陽を、まるで植物が光合成するかのように。ゆっくりとした動作でシカマルに視線を合わせた。いざ一ヶ月半もの間会いたいと思っていた相手が目の前に突然現れたら。なにを言っていいのかわからなくなる。そもそも俺はなにを伝えたかったのか。それすらも曖昧で。ただ。無事に帰ってきたということだけ、膝が笑う程安心した。

「っ、…はぁあ…心配かけんな…兄貴」

シモクの前にようやっと、震える脚を叱咤して立った。

「急に行方不明だとかなんとか…里抜けも疑われてたんだからな」
「…ったよ…」
「あ?」
「…俺、強くなったよ」

綱手やイヅルに向けるものとは違う。シカマルにそう言った笑顔は先程の歪な笑みでも皮肉な笑みでもない。なにか、一枚剥がれたかのような。危うくて、儚くて。それでも一切なにを考えているのか判らない顔。まるで…まるで亡霊だ。

「強くなったって…兄貴は元から強えーだろ」

シカマルから、ふいに逸らした。遠い目はどこを向いてるのかわからない。声にも抑揚がない。…前よりも、ずっとずっと感情を読み取れなくなった。好きな女のタイプを聞いた時は。素直に気持ちを前に出して、アイスを落としたり、人間らしかったのに。…根のカリキュラム。それは、ここまで人を深く変えるもの…?

「これでいい…俺は暗部だ。元から…存在しちゃいけなかったんだ。感情なんてそんなもの…だから俺はいつまで経ってもナグラさんみたいになれなかったんだ」

シモクの目元は窪み、真っ黒な隈が降りて。片目を覆い隠す硬い髪は目の上までまだらに切られていた。元々白みが強かった肌は乾燥して一層、病人染みた青白さだ。背丈はある筈なのにシカマルよりも細っそりと骨が浮き出る程…まるでゾンビのようだった。

「俺が…」
「兄貴、しっかりしろって」
「俺が悪かったんだ」

顔を覆った両手首を掴んだ瞬間…その異様な細さに驚き、手を離して後退った。女の腕。それと大差ない程、痩せていた。

「だから…ダンゾウ様に感謝してる。俺の甘ったれた思想は…ここには必要ないものだったから。消してくれて、感謝しているんだ」
「兄貴!思い出せよ!あんたが守った、イヅルは…!?それだけじゃない、教官してた頃の兄貴の信条を受け継いだ暗部だっているんだぜ!」
「そんなもの必要ない。そうだ…早急にまた意識指導のし直しだ。そんな思想、持っているだけで危険だ…」
「兄貴っ!」

なんで、こんなことになってるんだ。確かに火影は感情を失っていいとは思っていないと。ただ少しでも忍になり切って欲しいと。感情を殺すことを覚えろと言っていただけな筈なのに。兄は何故、自分を更に責めているんだ。感情が、中途半端に抜けて。中途半端に残されているのは、後悔、苦悩、自棄。不の感情ばかりがシモクの中に居座った。人は。特に忘れられないものばかりが残ってしまうという。それが笑顔だったり、喜びであったり。それであれば喜んで生きていけるのに。シモクの中にあるものは。忘れられないのは。…死、憎悪、怨嗟。幼い頃から留まり続けた"居場所"で得たものだ。そして、突きつけられてきたもの。忘れられる筈がない。忘れたくても。忘れちゃいけない。自分の中にある大切なものを守ろうとした。ナグラや9年間の間で出来た、仲間たち殉職者達。何年経とうと。忘れるわけにはいかなかった。自分が帰還屋であることで。周りから疎まれることも。後ろ指を差される。
周りを見捨てて自分だけ助かる。臆病者。シカマルに対しての劣等感。親から読み取る失望感。周りが見せた嘲笑い。自分自身に対する不甲斐なさ。忘れたかった。忘れるものなら。それすら感じなくなる程。奪って欲しかった。中途半端に終わったカリキュラムを。シモクは心の中で嘲笑した。こんなものか、ダンゾウのカリキュラムとは。ただ…人を中途半端に苦しめるだけか。なにか大切なものを失ったような喪失感。顔に出そうとしても、筋肉はピクリとも動かない。泣きたくなる程、動かない。イヅルを斬ったとき。天井に敵がいると思った。だから斬りつけた。…味方だったのに。それでも、少しの動揺もしなかった自分。心という奥底のものすら。なにも振動しなかった。この先、死を前にしても。置き去りの仲間が出ても。きっと俺はなにも感じない。来た道を戻ることも。自分の身を挺して庇うことも。…もう、ないんだろう。シモク自身が…そう感じていた。
涙を流したくても流せない。指の隙間から見えた少しだけ変化した表情を。シカマルはなにも言えずに。ただ目の前に立ち竦んでいた。唇を無意識に噛んだ。せっかく会えたのに。その再会すらも。酷く悲しいものに変えていく。遣る瀬無い。本当に。
大人は身勝手だ。


隣を必死な形相でなりふり構わず走るのはオクラだ。シモクが帰って来たと告げに家を訪ねた。久々の休みで寝ていたらしく、いつも割かし引き締まっている顔はまさしく、今起きましたと言わんばかり。

「帰ってきたぞ」
「?」
「シモクが!帰ってきたぞ…!」

みるみると。しょぼくれていた目が見開いて口が大きく開いた。ある意味、こいつが一番シモクの帰りを待ち望んでいたに違いない。寝巻きのままサンダルを突っかけて向かいの屋根に飛び移った。家の鍵はいいのかと注意する間も無く、俺も切羽詰まっていた。

「シナガ先生には!」
「ドアにメモ貼っつけた!」

ドタドタ。忍のくせに、足音くらい消せよ。それ程に余裕がないオクラは久し振りだ。

「新は会ったのか!?」
「俺はたまたまシズネさんに聞いたんだ、シカマルに一番に伝えたから、まだ会ってない」

シカマルは、もう再会を果たしただろうか。シモクのことだ。どうせシカマルに引っ付いているんだろう。あのだらしない顔で笑ってるんだろう。

「…シカマル?」
「あぁ、…うっす。新さん、オクラさん」
「どうした、何故ここにいる?部屋に入らないのか?」

シモクがいると言われた火影の医療室の廊下で目頭を抑えるシカマルがいた。

「…兄貴は、帰ってきてなんかいない。」
「…は?」
「…じゃ、失礼します」

軽く頭を下げて出口を目指す背中は、とても帰還を喜ぶ姿ではない。むしろ…。

「ガセネタか?」
「まさか。シズネさんを疑うなよ」

言いながら、俺たちは扉を叩いた。

「…失礼しま……、シモク!!!!」
「シモク!!」

窓のすぐ下で。椅子に腰掛けているシモクを見つけると、オクラは瞬身の術の如くその腕を掴んだ。

「シモク!探したぞ!!無事に帰ってくれてなによりーー…」

…オクラの顔が固まった。信じられないものを見たように、表情が強張っていく。確認するようにもう一度掴んだ腕を、ばしり。

「…お、い?」

シモクが弾いた。まるで触るなと言いたげな、それでいて粗雑な態度。いくらオクラが失言したとは言え、これはあんまりだ。オクラがどれほど反省しているか。俺は口を開こうとしたが、オクラが片手で制した。

「…心配した。ずっと謝りたかったのだが、一ヶ月半も会えなくなるとはな…これだから、喧嘩は嫌いだ」
「オクラ。俺はお前を恨んじゃいないし、これから先もそんな感情は持たない」
「だが、」
「謝るだとか。やめてくれ。それをしてなにになる。時間の浪費だ。」
「おいシモク!」
「俺に感情なんていらない。里がそう推奨したんだ。それに火影公認だ。俺の居場所は変わらない。お前達と語らうことはない」

両の目が俺たちを見上げた。なにも考えてない、ぼんやりした目。顔の筋肉がまるで死んでいるかのようにぴくりとも動かない。無感情。それがしっくりきた。




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