06.心はまだ美しいままでいて
「じゃあな」
「はい。お疲れ様でした」
新との件から4日。今回は初陣よりも早く終わった。第三次忍界大戦の爪痕が微かに残っている、特に他里との小さな争いが絶えないのだ。今回はその鎮圧。"写輪眼のカカシ"そう異名がつけられる天才暗部の先輩、はたけカカシとツーマンセルの任務だったのだ。何度かこういったことにカカシとワンセットにされることが多い。片手を上げたカカシはふっと目許を緩めて暗い夜道に消えた。
「……時間早い」
この時間に帰れば間違いなく両親とシカマルが起きているだろう。音を消して部屋に戻る事も可能だが、そんなことをしたら母にばれかねない上に部屋が隣りのシカマルは必ず気づくだろう。勘がいいから。ハァ、と普段なら無縁であった溜め息なんて吐いてシモクは家の引戸を開けた。居間に近づく廊下を進めば光が漏れている。母、ヨシノが夕飯でも作っているのだろう。そのまま素通りするのもなんだか嫌で、シモクは遠慮がちに居間の入り口に佇んだ。見慣れていた、いつもの夕飯を作る後ろ姿。それがなんだか、遠く感じた。ギャップの違いというのだろうか。最近は暗い場所ばかり。生死が懸かっている戦場にいることが慣れてしまった今、この風景はなんとも懐かしく、それでいて怖いものだった。
「あら!シモク!おかえり!なに突っ立ってるの、入んなさいよ」
なに黙って見てんのよービックりするでしょー。なんて小言も貰いつつ、シモクはその言葉に素直に足を………
「シモク?」
踏み出せなかった。急激にわけがわからなくなったのだ。自分が、ここへ入ってもいいのだろうか。たくさんの、敵だとしても人を殺めた自分が…この温かい光の中へ入ってもいいのだろうか?忍たるもの、いかなるときでも私情を挟まない。ましてや暗部の自分だ。
「…シモク」
どうしても、一歩が踏み出せなかった。ヨシノが台所の前でシモクを見つめている。シカクから聞いていた、息子の暗部入隊はそれはそれはショックであった。そして今で、更にショックを受けていた。あの能天気でよく喋り笑う息子が、そんな笑顔一度も見せずにむしろ家にいることすら動揺し、躊躇っているその光景が。ただ居間に入ることすら躊躇うように揺れるその瞳に。逃げるように廊下を突き進んでいってしまった
「……ごめん。お、俺寝るよ、ご飯はいいから」
パタンと隣から襖の閉じる音がして、シカマルはのそりと起き上がる。部屋で寝ていた。兄が帰ることなんて滅多に、しかもこんなに早い時間に家にいるなんて珍しいのだ。静かに部屋の襖を開け、隣りの部屋を伺うように顔だけを出す。兄の部屋は閉めきられている。廊下を這って精一杯気配を消して閉めきられた部屋の前に。耳を襖にぴたりとつけたその瞬間、シカマルは目をまん丸にした。意を決して戸に手をかけて横に引く。呆気なく襖は開かれ、中の様子が伺えた。あのときと同じく、月明かりが射し込む窓辺に足を折り曲げて三角座りで座り込む兄がいた。暗部服のまま。何故か面は再度つけられていて。表情の見えない面が、ただ炎の刺青が入った肩と同じく揺れていた。
「兄貴…」
泣いている。あの兄が泣いている。物心ついたときからいつも一緒にいた。いつも笑顔で怒った顔も見慣れていないのにましてや泣いてる顔なんて…。泣いてる顔といっても、面でまったく見えないが、嗚咽が聞こえるということはそういうことだ。自分より大きい身体を小さく揺らし、シカマルの気配に気づいたのだろう。その面がこちらに向いた。暗部の面は異様な畏怖が込められている。表情を一切変えないその面に見つめられ、シカマルは一瞬びくりと肩を跳ねさせた。それも、ただ一瞬で。
「…こっち寄らないで、部屋に戻れ」
こんな冷たい言葉を吐かれたのは初めてだったが、めげずにあのとき踏み出せなかった二歩、三歩、四歩。
「寄るな」
「聞かねぇ」
「止まれ」
「嫌だ」
「……近寄んないで触んないで」
拒絶も初めてだったが、無意識のうちに言葉が零れる。
「兄貴、どうしたのかおれにはわからねぇけどおれにとって兄貴は兄貴だ」
面の奥の瞳が見開かれる。シカマルはその面の奥の揺れた瞳を確認するとニッと歯を出して笑ってみせた。昔、よく言われたことがある。シカマルと自分の笑った顔がそっくりだと。もう随分と頬の筋肉を使っていない、あんな状況で笑ったら確実にサイコ野郎だ。笑えない場所にいたのも事実だが、シカマルの笑顔の奥に自分を見た気がした。ツッ…と、面の奥で涙が溢れた。俺は兄だから暗部だから。泣いてはいけないのだと、ずっとずっと思っていた。シカマルはよしよしと同じ髪色の頭を不器用に撫でつけた。これじゃあどっちが兄なのか弟なのかわからない。
「…兄貴、母ちゃん毎晩飯作って待ってんだ」
「…あぁ。」
自分より小さいと思っていた手は、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。いや、実際に大きくなってるんじゃない。心が、育っているんだ。シモクはふと顔を覆っている面の紐を外した。カランと音を立てて窓辺に落ちる鹿の面。
「さすが俺の弟…男前すぎ、将来有望株」
「馬鹿言ってねーで飯食おうぜ」
同じ笑みが2つ浮かんだ。