71.もうここまででいいよ
「火影様、すんません。これ以上の戦闘は出来ません。俺の方で話をしたい。奈良シモク班はこの対決、棄権します。」
これ以上は駄目だ。まさか、オクラが言うとは思わなかった。
「シモク、来い」
両方の膝はついていない。だが、だめだろう。シモクは戦意を失った。これ以上やろうとしても時間の無駄であり、無意味である。火影と新は違う意図でこの演習の場を設けた。火影は純粋なる暗部への速やかな復帰の為に。新は中忍試験を受けられなかったことに対して、そしてシモクをこちら側に繋ぎとめる為に。下忍時代。任務でチームワークを確立させた新はスリーマンセル。第4班を大事に思っている。だからこそ。一人道を違えざる得なかったシモクを、俺たちはなにも変わらないぞ。と、繋ごうとしたのだ。自分の立場も、何者なのかも。そんなの一番分かっているシモクにとって。オクラの言葉は重すぎた。再確認させられたのだ。自分が気を許せる、一番信頼している仲間から。
「なにいってるんですか。シナガ先生」
手を振りほどかれた。
「戦っているのは俺です。」
繕った不細工な面。
「やれますよ」
嗚呼また、傷付くのはお前か。
「だって俺」
お前にまた一つ
「暗部ですから」
傷ができていく。どこかで思っていた筈だ。それに、俺と話した時も言っていたじゃないか。
『俺はッ、あの日、オクラと新と!先生と!!中忍試験に挑みたかった!!先生が言うチームワークを、意識し始めていたから!!三人なら、って…思い始めてたんだ!なのになんでだよ!!なんで、俺が…、俺だけが皆と共に並べないんだ!!!』
叫んだあの言葉が全てだ。シモクの本心だ。繕うことができなかった、分厚い笑顔の面の下。本当の気持ちだ。思いだ。
「戦意を失った者をあいつらに相手させる程、俺は薄情じゃないぜェ」
「部外者は見ていてください」
「ちょっと、そりゃないでしょーよ」
シモクの元先輩だというはたけカカシがポケットに手を突っ込んだまま降りてくる。
「カカシ先輩にも関係のないことです。俺はこんなことで戦意喪失しません。気にしてません。俺は大丈夫なんです」
まるで今まで作ってきた言葉が流れ出しているかのようだった。はたけカカシの唯一の片目が歪む。シモクがなにを言おうと。精神的にダメージを受けたことに変わりはない。
「大丈夫じゃないから、シナガさんは止めたんだ」
「倒れませんから。絶対に倒れませんから。」
動揺して、かなり心が乱れている。こんなに動揺するシモクは初めてだ。焦点が合ってるのかすら危うい切れ長の目は地面を見つめていた。長い黒髪を揺らして近づいた影はシモクの真後ろで止まった。それは呟くような。
「棄権だ…シモク」
新の声が、やけに沈んだ演習場に融けた。
「棄権…?なぜ」
「シナガ先生の言う通りだ。お前は戦意喪失している。」
「そんなことない」
「あるから言っているんだ。今のお前に、命を預けて戦いたくはない」
シカマル達は無言で対戦相手たる3人を見つめた。シナガもカカシも話に割り込める雰囲気ではないと悟り、成り行きを傍観した。
「オクラも、殺気を向ける相手を間違えているぞ」
今だに興奮冷めぬオクラに静かに説く。その顔は歪めたままだ。
「…昔は、その優しい性格を、お前の長所だと思っていた!それこそお前だと!…でもな!!昔と今は違うんだ!俺たち忍は命の取り合いをしている!」
「それでも俺は…!」
「お前は暗部、里の重鎮!甘く衰退するな!優しさを履き違えるな!守りたいものの対象を、…間違えるな!!!」
「…お前も…、お前も!俺のなにがわかる!!?俺のなにを知ってそんなことを言ってるんだ!」
「嗚呼、わからないさ!暗部は秘密組織、ただの木の葉の忍である俺たちにはわからないさ!!」
「いい加減にしろお前ら!」
いのの目には涙すら浮かんでいた。見たのだ。あの時、心転身の術で。苦しい苦しいと。親を探して泣き喚く子どものように。あてもなく頼りない足取りで歩くように。苦汁を舐め続けるあの人が。お願いだから。
「お前はあの日俺たちと違った!」
シモクさんを追い詰めないで…!!
「…もう、いい」
「なに!?」
「それなら、」
シモクの目がオクラに据える。はっきりと、その口から出てきた言葉。
「……もう俺に関わるな!!」
拒絶の、言葉。
「…悪かった…な。」
「…俺の方こそ兄貴が…すんません」
「いいや、俺のせいだ。…あいつを見ていると…あの日…九尾事件を思い出す」
シカマルは演習場に佇む背中を見つめた。公式演習はお開きとなった。予想していなかった事態に、綱手も頭を抱えているだろう。最後、あの一言を放ったシモクは持っていた苦無を地面に投げつけて演習場を出て行った。出て行った後も、ガツンと壁を殴りつけた音が聞こえた。物に当たるような性格ではない為に。困惑した。特に旧い付き合いのシナガ達は。
「…俺の家はこう見えて厳格でな。幼い頃から忍としての家系を継いでいる。俺は勿論、2つ下の妹もだ」
九尾出現の時、シカマルは産まれたばかりだ。だが、語り継いでいるのは九尾出現がとんでもない被害を生んだということ。殉職した忍は夥しい。そして当時の四代目火影の死をもって、終結させたのだ。まさに…悲劇の夜。
「戦いには三代目の命令より参加することはなかったが、俺は違う。土中家の長兄として影ながら援軍として一族で向かったんだ」
「…」
「忍として、目先の任務を優先するのは当然。そこで……俺は妹を見捨てた。妹は九尾の攻撃で吹っ飛んだ瓦礫の下敷きになった。当時の俺は、さした力もなくて刷り込まれていた精神"任務優先"が俺を突き動かしたのだ」
「…」
「…酷い、罪悪感だった。自分がとても醜く思えた。これが忍…?忍とはなんだ?って、自問自答を繰り返した」
確かに土中オクラという青年は、戦闘能力が高く、体躯も良い。生半可な修業はしていないとは思っていた。
「だからか……暗部という場所に身を置きながらも。昔と全く変わらず自分の思うがままに行動できるシモクが憎らしく、羨ましくてな…。あの時の俺が重なるのだ。正義を履き間違えたのは、俺だというのに…」
オクラの一言は、仲間としてのシモクを否定したも同然だ。
「昔の俺と同じだと仕立てて、責め立てる。否定する。……最低最悪だな。俺は」
確かにシモクの行動は自由が効いている。仲間を見捨てることはできない信条。それは暗部でも変わらない。暗部の暗黙の了解に背く行為であっても。忍として間違っていると避難されても。ツルネ…後のイヅルの件が良い例だ。あれは忍としての行為を逸脱している。忍は戦う為に存在する。人助けではない。だから…オクラは間違ったことを、言っていない。
「知っているのだ…あいつが喜んで暗部に属していないことくらい…わかっていたのに…!俺たちと違うなど…そんなこと…」
大きい身体がくの字に曲がった。
「…オクラさんは…なにに気づいて…兄貴に声を荒げたんすか?」
「…俺たちはアイコンタクト一つで大体味方の考えが読めるようになっている。さっきの策もシモクが立てた。"俺がシカマルをとる"と言ったから任せたのだが…」
「……兄貴は俺を、とれなかった…」
「その通りだ。弟のお前に傷を付けることが出来ない上に、戦闘放棄だ。それは任務放棄と変わらない」
もしかしたらあの影分身を消し去ったその瞬間の隙を狙っていたのではないか?その一瞬をわざと見逃したのは…シモクだ。
「…俺も、あいつくらいに規則もなにもかも投げ出せる勇気があれば、……妹を助けられたかな」
オクラはベストのポケットから折り目がついて草臥れた紙切れを取り出した。
「俺たちは…ずっと、並んでる。…並んでるんだ…」
遠目から見たそれはどうやら写真のようで。そういえば自分達、第十班も撮った気がする。真ん中にオクラさん。左に新さん。右に兄貴。真後ろにはさっき棄権を申し立てた上忍が写っている。表情は、掠れ過ぎて見えない。
「……ごめんな……シモク……」
絞り出された低い声はシカマルしかいない演習場に木霊してはすぐに風で掻き消えた。