57.それらはすべてまやかしで

俺が今やるべきことは公式演習のための修行しかない。中忍試験は今日で2日目だ。今回の中忍試験は早い、3日で終わるもの。前の試験は6日と長かった。

「よぉ。シモク」
「…え」
「なんだァ、その面。師匠様の顔も忘れましたってかコノヤロォ」
「ぎ、ギブです!!ギブです!!すいません思い出しました!!!」

固められた首に酸素が大量に入り込み、噎せた。相変わらず、容赦がないというか軽いというか重たいのか。

「シナガ…先生。お久し振りです」
「そうだなァ。オクラの馬鹿面と新のボケ面はよく見るが…このアホ面拝むのは久し振りかァ」
「…痛いです顎引っ張らないで下さい」
「なんでお前がまっ昼間から里をうろついてんだ。」
「…色々ありまして、療養中なんです」
「ふぅーん、色々ねェ」
「っ!!」

ぐわりと襟刳りを掴まれた。肌蹴た着物の首から胸にかけての拷問傷の痕は消えることなくそこにある。

「こいつァ、イビキの拷問痕だな。良い子チャンのシモクは一体なにしたのかねェ」
「…もう終わったことです。言いたくありません」
「反抗期か」

先生の手を払って襟首を正した。今更、語るには億劫な話だ。なにせこの先生は俺の自己犠牲的な思考をよく思っていない。昔ならこれを個性と呼んでくれていたが、ここまでくれば別だ。大人になれば、命がかかれば、それはただの自殺となんら変わりない。

「昔から言ってんだろ。もう二十いったんならその考え正しやがれ」
「…俺は守りたいものを守れれば、それだけでいい」
「自分を守れない奴が他人を守るなんざ、随分なお笑い種だなァおい」
「なんとでも仰って頂いて結構です。」

長く、細いため息がつんと尖った唇から洩れた。

「……なァシモク。三人でやったBランク任務覚えてるか?」
「…他里の迎撃任務のことですか」

シナガ先生のやる気なさげの三白眼は俺を通してその日を思い出しているかのようだった。

「俺はあの時お前達三人が別々なものを感じたと踏んでいる。オクラは仲間意識の向上と勝利への高揚。新はチームワーク並びに絆の実感。……お前は仲間意識と…自己犠牲だった」

非難気に細められる目に、思わず視線を足元に落とした。なん、ですか…その目。

「下忍になってからD〜Aランクまでの任務を、何故順番にやらせると思う?それは徐々に上がる難易度の任務にチームとして対応できるか見ているからだ。最初は仲良しこよしで草むしりやったりなァ」
「…」
「築き上げられたチームワークは、本来なら中忍試験で最終審査され、更にその過程で磨きがかけられるシステムなんだ。…だがお前は暗部に異動となったことにより最終的なチームワークを未完成にここまで来ちまった、自己犠牲だけ自立させて」
「…そんなこと、」
「お前の活躍は届いている。だから、その傷のことも聞き及んでいる。」

知ってた、くせに俺の口から言わせようとしたらしい。胸がむかむかする。久し振りの苛立ちだった。

「また自己犠牲的な行為をしたそうだな」
「あれは最良の選択だったと信じています。現に彼は火影に忠誠を誓ったんですから」
「相手が良かっただけだ。これから先も同じとは限らねェ」
「……人を傷つけるくらいなら、傷つけられた方がマシなんだ!!!!」

仮にも外なのにでかい声を出してしまう。今までにない感情の乱れ。良いも悪いも、わからないくらい頭に血が上る。

「…なら何故暗部にいる。暗部は後ろ暗い任務を専門に扱う場所だ。当然人の命もごまんと奪う。…お前はそこで、飼い慣らされているだけだ」
「…なにも分かってない癖に…俺が暗部に行くとき、止めもしなかった癖に…、今更どの面でっ、説教するんだよ!!!!」

俺の恐怖が貴方にわかりますか。俺の我慢が理解できますか。俺の見てきたものが想像できますか。俺の苦行を見たことがありますか。俺の本音を…知っていますか。

「俺はッ、あの日、オクラと新と!先生と!!中忍試験に挑みたかった!!先生が言うチームワークを、意識し始めていたから!!三人なら、って…思い始めてたんだ!なのになんでだよ!!なんで、俺が…、俺だけが皆と共に並べないんだ!!!」

三人で、試験に受かろう。大丈夫。三人なら、できる。なんでも。あの頃の思い出は、鮮やかだったくせに、もうなにも見えないんだ。悲しい事、辛い事、見たくないもの、息をしていない身体、現実。そればかりを、まるで永遠のタイムレコードのように。いつでもどこでも、果てしなく続いていく。手放した者、去った者、いなくなった者。彼らの背中ばかりが脳にこびりついて、鮮やかな思い出は色を失い排除されていく。忘れる事は、自然の摂理だとは思わない。覚えている者は覚えているのに。何故。俺は覚えていないの?目を閉じるたびに、武器を握る度に。ひとつひとつ。大切なものを落としてきた。落とすしかなかった。人の死は、なによりも覚えているのに。人の血は温かくて鉄臭くて鮮やかなのを覚えているのに。ぽっかり空いた穴。引き裂かれそうなくらいリアルな痛みと現実。

「…なんで…俺は暗部なんですか…暗部じゃなきゃ、俺は新達と肩を並べて上忍やってるんでしょうか。先生の言うチームワークを大事にして。今でも皆と、今よりずっと、ずっとずっと…」

笑えていたのかな。シカマルのアカデミーの卒業を朝から晩までお祝いして。中忍試験の修行に毎日付き合ってあげて。試験を観に行って、当然受かるから次はもっと盛大にお祝いして、ケーキ作って食べてもらうんだ。甘いものあまり食べないだろうからチョウジといのも呼んでさ。辛い任務の後は一緒に泣いて立ち上がって。おやすみって、隣の部屋同士、弟に、家族に言うんだ。…そうやって、シカマルと普通の兄弟がやれていたのかもしれないのに。

「俺を繋ぎとめているものは、自己犠牲や情け、増してやチームワークでもないんです」

それは、もう昔の話になった。

「里の繁栄、皆が幸せに暮らすそんな世界を作るためだけに俺はここにいる」
「…弟が聞いたら、どう思う」
「シカマルには、色んな人が側にいるんです。そこはシカマルの世界。…俺なんてもう必要ないんですよ」

大事すぎて、近づきたくないよ。失う事ばかりが最近多すぎた。怖い。怖いから。もう、見るのも辛いよ。記憶の中の弟を可愛がるだけで、もう精一杯なんだ。なのに、俺は我儘で欲張りだから、現実のシカマルを手放せなくて。その手を、離せなくて。離したら最後、俺は多分俺じゃなくなる気がして。頭が回る。嘔吐しそうになるところを喉を閉めて耐えた。

「シカマルは、立派になった…俺の見守りも…ここまでかもしれません」
「…弟はまだ若い、お前が消えて良い筋合いにはならねェ。頭冷やせアホが」

シナガ先生はくるりと背を向けて目元を押さえながら去った。嗚呼、謝り損ねた。どの面で説教なんて、言われたくないよね。そんな言葉、ぶつけられたら俺ならショックだから。でも、今先生を追うことはできないから、一先ず気持ちを整理しよう。…そして、笑おう。いつもの俺みたいに。

「俺は幸せだ俺は幸せだ俺は、幸せだ…」


別に、感情を揺さぶるつもりはなかった。ただ思い出して欲しかっただけだ。暗部に入った後のことを、オクラや新から聞いていたから。少しでも昔を思い出させたかった。願わくば、自己犠牲を改めて欲しかった。愛弟子が師より先に逝くなんて冗談じゃねェ。

「…上手くいかねェなァ」

給水タンクに腰掛けて仰ぎ見た木の葉はオレンジ色。

「ったく…、俺だって、お前を引き止めたかったさ…」

その話が少しでも早く俺の耳に入っていれば。俺はなにをしてでもシモクの暗部異動をぶった切っただろう。初めて、火影に恨みにも似た気持ちが沸いた。…酷いじゃねェか。これから中忍試験を控えたガキに。やっと仲間意識を芽生えさせた個性派揃いの三人に。いきなりその資格さえも、もぎ取って。火影もその負い目があったのだろう。せめてもの抵抗で、シモクの居場所を確保した。本来中忍試験はスリーマンセルが条件だが、俺は2人だけのツーマンセルで試験に出させた。火影が許したのは、つまりそういうことだ。詫びのつもりだ。最初こそ補充として入ったガキは根性なく早々に離脱した。忍になる素質も資格もねェ。そんな奴はオクラにも新にも邪魔になると判断したまでだ。

「…知ってる、お前が耐えてんのは」

1人だけ。皆と道が違ってしまったこと。暗部という特殊な場所での生を余儀なくされたこと。毎日血濡れの任務をしているのは。木の葉崩しで、暗部の遺体を回収したとき、ここにお前がいたんだな、と。噂の生き残りは、お前だったのかと。それを知ったとき。…どれだけ辛かったことだろうか。あの背中に、どれだけの期待と畏怖と中傷を背負っているのだろう。もうシモクはガキの年齢ではない。れっきとした大人だ。だが、俺にはこう見えるんだ。…昔のように。目だけは迷子のガキのように揺れに揺れて迷い続けている。

「……あーちくしょう。この歳になるとどこもかしこもユルくていけねェ」

頬を伝う俺にとっては気持ち悪い感触。涙、なんてこの歳で。

「同情なんぞ、屈辱的だろうなァ」

シモクのことを思い出せば、ガキの頃から今まで。奴は心から幸せと呼べる時はあったのだろうか。いつもなにかを我慢して耐えて。本当の笑顔ってやつを、俺は見たことがあったか。溜めに溜まった限界がいつの日か、決壊しないことを柄にもなく本気で願った。




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